第7回 夜明け、真実の家族
「……何の光だ、これはッ!?」
粉砕された扉の破片が散らばるダイニングで、旧勇者が顔を背けながら叫んだ。
エルセの首元にある青い魔石――かつて彼が「安物」と切り捨てた石から溢れ出すのは、夜の闇を塗りつぶすような漆黒、それでいて慈愛に満ちた不可思議な光だ。
「おい、エルセ……! その格好は何だ! 聖女ともあろう者が、息子の親友に抱かれて……っ、そんな恥知らずな顔をしてッ!」
旧勇者の怒声が、静寂に包まれた部屋に虚しく響く。
しかし、床に座り込み、カイルの腕の中に身を預けているエルセは、動じなかった。
乱れた法衣から覗く白い肌には、カイルが刻んだ愛の痕跡が、誇らしげな勲章のように赤く浮き出ている。
「……恥知らず、ですか」
エルセは、潤んだ瞳をゆっくりと夫へと向けた。
その瞳には、かつての従順な妻の面影など、微塵も残っていない。
「でも……この子は、貴方が一度も触れようとしなかった私の『孤独』を、たった一晩で全て溶かしてくれた。……この光は、私とミリアがずっと守ってきた、貴方たちの知らない『愛』の結実なの」
「ミリア……!? おい、戦士! お前の妻もそこにいるのかッ!」
旧勇者の背後で、旧戦士が血の気の引いた顔で立ち尽くしていた。
彼の視線の先。
アルスの逞しい胸板に背中を預け、事後特有の艶めかしい吐息を漏らしている賢者ミリアがいた。
「……うるさいわね、筋肉だるま。知的な会話もできない男は、外で吠えていなさい」
ミリアは外された眼鏡をアルスにかけ直してもらいながら、冷徹に言い放った。
「ミリア、貴様……っ! 俺という夫がありながら、親友の息子と不義密通など……ッ!」
「不義? 笑わせないで。貴方は私を『便利な魔力計』としか思っていなかった。……でも、アルス君は違う。この子は、私という一人の女のために泣いてくれたわ」
母親たちは、夫たちの支配を完全に否定し、少年たちの愛を「真実」として宣言した。
「ふざけるなッ! アルス、カイル! 貴様ら、親を何だと思っている! こんな狂った真似、世界が許すはずがないッ!」
旧勇者が腰の剣を引き抜こうとした、その時。
パキィィィィィンッ!!
空気が凍りついた。
アルスとカイル。
二人の少年から放たれた威圧感が、かつて魔王を屠った英雄たちの身体を縫い付けたのだ。
「……親父。あんたはもう、英雄じゃない。ただの『過去の遺物』だ」
アルスが冷たく言い放つ。
「俺たちは、母さんたちから最高のアプローチを学んで育った。……身近な人を、世界で一番幸せにするための方法を。……あんたたちが捨てた愛を、俺たちが完璧に継承したんだよ」
「そうだ。……僕たちは、エルセさんとミリアさんの『願い』そのものなんだ。……あんたたちの入る隙間なんて、最初からどこにもないんだよ」
カイルの声が、ダイニングに重く響く。
息子たちは、父親たちの存在意義を根底から粉砕した。
「く……っ、化け物め……っ。何なんだ、その魔力は……っ!」
旧勇者と旧戦士は、自分たちが育てたはずの息子たちから放たれる、未知の力に圧倒されていた。
かつて旧勇者と旧戦士は、世界最強の聖女と賢者と交わることで強化を受けていた。今、彼らを打ちのめす力は、その比ではない。
それは単なる武力や魔力ではない。
四人の「情愛」が共鳴し合い、増幅された、世界の理さえ書き換えるほどの巨大なエネルギー。
一方向的ではない、双方向に何度も往復することで増幅された力。
「……帰りなさい。新しい女を買いに行ったのでしょう? なら、そちらと遊んでいればいいわ。……ここはもう、私たちの『聖域』なの」
エルセが、カイルの頬を優しく撫でながら告げる。
そのあまりに冷淡で、しかし幸福に満ちた拒絶に、父親たちは毒気を抜かれたように立ち尽くした。
「……覚えていろよ! こんな不浄な関係、すぐに破綻させてやるッ!」
捨て台詞を残し、かつての英雄たちは逃げるように去っていった。
壊れた扉の向こう、夜の闇へと消えていく足音。
ダイニングに、再び静寂が訪れる。
だが、それは先ほどまでの張り詰めたものではなく、温かく、柔らかな平穏だった。
四人は、もはや言葉を介さずとも、自分たちが「真実の家族」になったことを確信していた。
「……ふふ。行っちゃったわね、あの方たち」
エルセが可笑しそうに笑うと、カイルの胸に顔を埋めた。
「怖かったですか? エルセさん」
「いいえ。……貴方の腕の中にいれば、世界の終わりだって怖くないわ。……ねえ、ミリア」
「ええ。……論理的にも、感情的にも、今の私たちが『最強』だということが証明されたわね。……アルス、少し、肩を貸して。……何度も絶頂したから、まだ腰に力が入らないの」
「いくらでも貸すよ。……俺のミリア」
アルスがミリアの細い腰を引き寄せると、彼女は幸せそうに目を細めた。
窓の外。
激しかった暴風雨が嘘のように止み、雲の切れ間から黄金色の朝日が差し込み始めた。
朝の光が、荒れ果てたダイニングを照らし出す。
床に散らばったワインの瓶。
ボロ布のようになった聖女の法衣。
そして、お互いの母親を抱き込み、深く、深く愛を誓い合う二組の影。
それは、世界で最も醜悪で、世界で最も美しい家族の肖像だった。
「……おはよう。カイル、エルセ、ミリア」
アルスが、朝日を浴びながら告げた。
「……おはよう。……私たちの、新しい朝ね」
エルセが微笑む。
ミリアが頷く。
カイルがその手を強く握る。
かつての勇者パーティが築けなかった、真の絆。
血の繋がりを越え、友情を越え、ただ純粋な「欲望」と「救済」で結ばれた四重奏。
食卓には、誰かが淹れたてのコーヒーの香りが漂い始めた。
昨夜の背徳は、今や彼らにとっての日常となった。
もはや誰も、彼らを分かつことはできない。
しかし。
穏やかな朝食の最中、ミリアがふと、窓の外を凝視して動きを止めた。
「……ミリア? どうした?」
アルスが問いかける。
「……おかしいわ。……王都の鐘の音が、止まらない。……それに、街の方から感じるこの不吉な魔力は……」
ミリアの表情が、賢者のそれに引き締まる。
その瞬間。
屋敷の遥か上空で、巨大な「光の魔法陣」が展開された。
「――見つけたぞ。背徳の罪を犯した、偽りの英雄たちよ」
空から降り注いだのは、父親たちではない。
教会の最高戦力――『異端審問官』たちの集団だった。
彼らの背後には、醜い嫉妬の表情を浮かべた旧勇者の姿があった。
「……なるほど。力で勝てないから、権力に頼ったわけか」
アルスが不敵に笑いながら、腰の剣に手をかけた。
「カイル。……母さんたちの『本当の強さ』、世界に教えてやろうぜ」
「ああ。……僕たちの聖域を邪魔する奴らは、神様だって容赦しない」
新世代の勇者パーティ。
その真の初陣は、世界中の倫理を敵に回した、壮絶な防衛戦から始まろうとしていた。
(第8回へ続く)




