家光
小田原を通る際に馴染みの神社へ立ち寄ることにした。元宮は大稲荷神社と言い、戦国の北条氏の建立だが、御祭神はやっぱりウカノミタマ様である。
本物なのか偽物なのか現実なのか幻なのか本人なのか別人なのか、そっちもこっちもウカノミタマ様なんだから、考えてる事が全部筒抜けと思ってしまうが、そこのところは考えちゃいけない。神様のお話だから故に、そこもやっぱりご都合よろしく。
こっちのウカノミタマ様は物腰の柔らかい男のお姿で、晴十郎を見つけると気さくに声をかけてくれる。昔馴染の一柱だ。
「そろそろ顔見せる頃だとは思ってたけど、ちょいとおかしな時季じゃねえか。もうちっと、こう暖かくなってからじゃねえのかい。それに下谷様もご一緒かい。」
「ちょいと訳ありで掛川にいくのさ。近くを素通りしようもんなら後ろから、正一位神位宣命の大稲荷様に尻の辺りを蹴られちまうよ。」
正一位神位宣命とは天皇から下賜たまわった神様の位。天皇がつまるところ貴方様は偉いんですよっていうお墨付きを下さったということだ。人の天皇から神様が賜るっていうのもおかしな話だけれど、天照大御神の直系だから出来る話なんだとも思う。それでも、こっちもそっちもウカノミタマ様なのに、それぞれ位階があるってこともおかしな話だ。
「晴十郎はね、アレさ勘違いしてるんですよ。王子稲荷様のお言いつけで熊野に行くんですよ。」
ケッ、熊野なんか行くもんかい。そうだ思い出した、この狸はオイラをだまくらかしてケムリにまいちまおうとでも思っているに違いない、そうはコンコンキチのスットコドッコイだ。
ご隠居様は狸じゃなくて、お狐様だ。晴十郎はねっとりとした目付きで斜に見るが、ご隠居様は見透かしてでもいるのか、目尻を垂らしてニンマリと笑う。
「それにしたって二人ともご無沙汰だ。今日は泊まっていくんだろうよ。久方ぶりに晴十郎に飯でも喰わせたいしな。」
「そう言っていつもオイラに作らせるよね。」
オマエは包丁仕事が好きだろう、と言いながら、ご隠居様と晴十郎の間に入って二人の背中を社に向けて押し出す。
こっちは海がデカいから魚もでかいね、と大きな土鍋を囲炉裏にしつらえた。鮪と葱のぶつ切りにセリとナズナの醤油仕立ての葱鮪鍋だ。
醤油はまだまだ珍しい物だが全く無いわけじゃない。昔から奈良のほうで仕込んでいたし下りもので来ることだってある。
鮪は江戸では猫も喰わねえ生臭い魚だけれども、細かく手を掛けてやれば、旨い魚だ。
釣った時にエラのところに刃物を刺して締めて尾ビレの付け根を骨のところまで斬り付ける。その後は縄に括り付けて海の中を引っ張って冷やしながら血抜きをする。
陸に上がって捌くときに丁寧に脂を取り除けば、少しパツンとした歯ごたえだけれどもそれが美味い。少し寝かせればネットリした舌触りで、これも美味いのだけれども、そこにいくまで殆どが傷んでしまう。
だから江戸の人は皆不味いと言う。江戸に着くまでに傷んでしまうからだ。
いつの間にか囲炉裏を囲む数が増え賑やかになっていた。火産霊命の姿もある。
「ホムスビ様はこの時期忙しいんじゃございませんか。」
「うん。逃げてきた。」
ご隠居が尋ねればサクッとこたえが返ってくる。直接顔を見ることも言葉を交わすことも、本当ならばとてもとても畏れ多い神様だが、とても身近な神様だ。
元々は京都の愛宕山の火の神様で、足利尊氏がこの地に鎮座奉った。その時からここは愛宕山と呼ばれ、まあいろいろあったのだけれども、江戸の時代に神君だとかその家臣大久保忠世の子供だとか、まあどっちかだな、江戸城の脇にお連れした訳だ。やっぱり、そこからそこも愛宕山になり愛宕神社と呼ばれるようになる。
この江戸の愛宕神社は、曲垣平九郎のあの話で有名であるけれども、本当のところは徳川家光が駄々をこねただけの事。我儘で面倒臭い生まれながらの将軍だ。
子供の頃の家光は、まあその子供なりの苦労をしたらしいが、それでも天下の征夷大将軍の御子息だから、下々の人間からすればどんな無理難題も押し通してしまったのだろう。そんな育ち方をすれば、そんな大人になるのは至極当たり前。
余は生まれながらの将軍である。違うと思うのなら国許に戻り兵を起こすが良かろう。
江戸城に大名達を集めて宣言した言葉だが、大名達は褒めちぎる。流石は神君家康公の正統の貴種、将軍にお成りになる覚悟をひしひしと感じる、これで徳川子々孫々まで安泰だ、とか。
徳川秀忠が存命で大御所として幕府を差配していたのだから、将軍になったばかりの三代目がちょいと背伸びして、虎の威を借る狐の如く偉ぶって威張ったんじゃねえかなって思っちまう。
俺は偉いんだから言う事聞けよ、文句あるなら喧嘩するか、やれるもんならやってみろ、と。本当に戦になったらどうするつもりだったんだろうか。
そんな家光が言ったわけだ。そこの石段の上の梅が咲いた枝が欲しい、と。そんな枝どうするつもりなんだろうか、振り回して遊ぶつもりなのか、はたまた持ち帰って飾っておけと言うのだろうか。お城に戻れば、そんなもんは幾らでもあるのだろうに。
畏まって御座ると、側に付き従っている近習が石段を駆け上がろうとするのを見た家光、それはそれで気に喰わない。
元々が、無理難題を押し付けて困らせるのが好きな性格だ、そんな足で行っては遅いではないか馬でいけ馬で、と言い放つ。
見れば急な石段、あれは九郎判官義経の鵯越の逆落としてな具合、同じ馬だけど向こうは降りていけばいつか着くが、こっちは逆上がりで登んなきゃなんねえ、途中で馬が足踏み外して転んじまったら、下まで転げ落ちて振り出しだ。それだけなら良いが、怪我でもしたら洒落にならない。怪我も怪我で大怪我だ。
皆が皆、黙りこくってうつ向いたり顔を背けたりしているところを、何だ誰も取ってこれないかと家光は言う。
そこへ進み出たのが、あの曲垣平九郎。某がと言ったかどうかはわからないけども、一息で駆け上がり枝を取ってヒラリヒラリと飛ぶように降りてくる。
こうなったら、家光はニコニコとした破顔でご満悦、手元にあった小刀を褒美に渡す。それも当たり前、誰もが躊躇している所、当の家光本人だって出来る訳がないと思っていたのだろう。見事に馬でやってのけたのだから。
その時からここは出世の石段に成った。




