石段
「江戸での話はお前のほうがよく知っているはずだ。」
蔵王権現は大方の話は終わったと言うかのように、酒を舐め箸の先の豆腐を舐めた。
「まだ勝軍の兄さんの知らない話があるんですよ。」
源九郎はニヤニヤと佐保姫と勝軍地蔵を見て、蔵王様もひょっとしたら知っているかもしれませんけどと勝軍と佐保姫に酒を注ぎながら、その先を続けた。勿論、勝ち誇った顔をしながら。
「その後に佐保の姐さんが、晴の兄貴を追いかけて江戸にいったんでさぁ。」
佐保は源九郎に体当たりをかまして口を塞ごうとするが、その先を聞きたい勝軍に取り押さえられて、仕方なく足を伸ばして源九郎を何度も何度も蹴りつける。
「私も引きづられて一緒に行きましたがね、途中々、物見遊山を期待してたのが馬鹿みたいで、ほれ急げやれ走れと。」
姐さん、市杵島姫に喧嘩売っちゃったもんだから、道祖神が道を繋げてくれなくて、陸で行くしかなくてですね、とても難儀な思いを覚えておりますとも。
その頃の江戸はまだ寒村みたいなところで、道に迷うどころか道なんか有りもしませんし、神の社なんてものも見当たらない。こりゃまいりましたね、って感じでしたよ。
そしたら姐さん居ても立っても居られないもんだから、時を遡るか降るかすれば見つかるんじゃないかと、お伊勢の御上にお願いしたのは吃驚しましてね。御上に直言出来るなんて、まさかこの人凄い人なんじゃないかと思ったくらいで。
掛巻くも畏き天照大御神、清明が分け御霊安倍童子、一目見舞う事が出来たならば、このあふるる涙で禍つ罪穢れを押し流し、千早ふる御神の御技祓い給え清め給え。
姐さんが天に向かって怒鳴りつけるから、そんな怒鳴ったってどうしようもないですよ、って言ってから直ぐに時量師神が降りてきちゃって、あんまり御上を困らせるんじゃないです、我がままが過ぎますよ姫さまって言うんですよ。多少の我がまま聞くのが娘への義理立てでしょうよって、凄むんですよ、姐さんが時量師神に。
エッ娘なんですかいって聞けば姐さんは、いや姪だから娘も同じって。その時に初めて知りましたがね、偉い御人なんだと思ってましたけど、私はてっきり蔵王権現様のお孫さんだと思ってたから、お伊勢のお身内とはねぇ。
え、その先を続けろっておっしゃいましたか、ちょいと酒で喉を湿らせねえと、え、怒るよって言いましたか。
そりゃぁ非道いんじゃありませんか、勝軍の兄さん。あんたが私を怒ってないときなんかありますか。姐さんなんか殴ったり蹴ったりしてばっかりで、案山子じゃないんだから、私だって言い返す時もありますよ。大体ね、アタシが世話焼いてるからアンタ達三人は何時も遊んでいられるんでしょうよ、アレ、清の兄さんが居ませんね、どこ行きやがったコンコンキチが。
「アタシって言ったな。」
「もう酔いが回って大往生でありんす。」
馬鹿をお言いでないよお前達アタシはこれっぽっちも酔ってなんか居ませんよ。こっからが面白いんだよ。
時の神様が、ならば一つ時の流れを繋げてやろう吉と出るか凶とでるかは姫さま次第、とお言いで、時の神様は目の前を右手で払うような仕草をしたと思ったら目の前に急な階段が現れて、そうですね百段くらい有りましたかね、上の方なんか人なんか米粒より小さく見えて高い石段でしたよ。
そしたらね、上の方にチラリと人影が見えたもんだから、姐さんがアレは晴十郎だとばかりに駆け上がっちまって、アタシもね、時の神様が繋げたところだから間違い無いと思ったと同時に、なんで姐さん最初からお願いしなかったのかねぇって。
まぁいいや。凄い勢いで駆け上がるんですよ、アタシの本性の狐でも追いつけないくらいで。
急で物凄く高い石段でしょう、転ばなきゃ良いけどねぇって思ったら案の定、裾踏んづけちまって仰向けに転げ落ちそうになってしまって、肝冷やして首筋がサァァっとなって、ありゃあ助けに行くのも間に合わないと。
そしたら、凄い事が起こったんですよ、蔵王様。こっからは勝軍の兄さんもよく見知ってる話でしてね。
背中に天女の拵をあしらった黒っぽい濃藍の羽織袴姿で六尺はあるんじゃないかって大男が、転げ落ちてくる姐さんをがっしり受け止めて抱き寄せたんですよ。ここは危ねえから走っちゃいけねえ、ってね。
アタシが見たときは、抱き抱えられた姐さんがゆっくりその男の顔見たときの表情が忘れられないんですよ、晴十郎の兄さんにやられちまった時のような乙女の顔でしてね、頬が遠目のアタシでもわかるくらいに紅葉見たいに紅く染まっちゃって目なんかトロンとしちゃってね、一瞬で分かりましたとも、ありゃ晴の兄さんなんかどうでも良くなっちまったな、アタシの苦労は報われなかったとね。
その大男も姐さんの虜になっちまって見つめ合ってるんですよ、アタシは馬鹿馬鹿しくなって二人の横を通り過ぎてでしてね、晴の兄さんを探しに上に上がったんです。
二人の気配がどうもしないもんですからね、振り返って二人を見たんですよ、そしたらね蔵王様、どうしていたと思いますか。
同じ場所で抱き合ったまま見つめ合ってるんですよっ。
「そんなに事細かに言わなくても良いじゃねえか。」
珍しく勝軍が源九郎にタジタジで、少し顔を朱くしている。
その時は分かりませんでしたけれども、蔵王様のお見立てどうりでしてね、その大男が何を隠そうご存知勝軍地蔵菩薩の愛宕権現その人そのままてなもんでございますよ。
今でこそ、東照権現様が必勝祈願を願ったとか、上杉の人が必勝を祈願して兜の前立てに愛の字を掲げたとか、室町殿から惟任日向守まで武神の加護を願ったと言いますがね、征夷大将軍の坂上田村麻呂って御人が最初っていうくらいに古刹の菩薩様でして、古刹の蔵王様に言うのも変な話で御座いますがね。
今じゃぁ、こんなアホ面下げて、佐保佐保って言いながら尻追っかけ回している次第で。
あんまり言うと怒られちまいますから黙って話を続けますが、後は大した話は御座いませんよ。階段上がって、下谷様に連れられて火産霊神にご挨拶している晴十郎の兄さんに目出度く再会、勝軍の兄さんはそこで晴十郎の兄さんと知り合ったわけで、佐保の姐さんは、すっかりあっちの熱が冷めてこっちのほうに火のついた炭放り込んで、腕にしがみついて離そうとしない。
兄さん姐さん、この際だから言わせてもらいますがね、アタシの仲立ちで皆が皆仲良くなり大団円になったのを、お忘れになったらいけませんよ。
それに姐さんはアタシの姐さんなんですよ、いつも目を細めて笑みを溜めながら、子狐のアタシを膝に乗せてあやしてくれてたのに、今じゃぁ笑顔の先は勝軍の兄さんが独り占めたぁ狡い話で。
此処まで捲し立てた源九郎は仰向けにばったり倒れてグガッグガッといびきを立てた。
「今度こそ本当に酔いつぶれやがったな。」
御免、佐保姫様が此方においでと伺いましたが、と障子の向こうの外の方から声が聞こえてきた。
「居るよ。他の者が居ても構わぬのなら入っておいで。」
「誰だか分かんねえのに良いのかい和尚。」
勝軍は声と蔵王の間に立ち塞がろうとするけれど、蔵王はそれを制して勝軍を座らせた。
「何、拙僧の庵と分かってくるのだから、心配などない。」
何より、勝軍地蔵菩薩に喧嘩売る奴がいるのなら、酒の肴に丁度いい。
「大歓迎だ。」




