晴十郎
晴十郎にその気がないのは傍目から見ても分かりきっていたし、当然佐保にも伝わっていた。佐保は段々憔悴していって足取りも覚束なく食も細くなっていった。
晴十郎が今まで培ってきた思慮分別というものは、清明が殆ど持って行ってしまったから、晴十郎とて悪気は無いものの抜き身の刀を振り回す子供のようなものじゃて。
これじゃぁいかんと九郎と相談した結果、取り敢えず、佐保の目の届かない所へ晴十郎を連れ出そうということになった。
「ところがですよ、晴の兄さんを外に連れ出そうとしたら、辻々に道祖神の見張りが居るんですよ。」
「後をつけてくる素振りをするもんだから、これはただ事ではないと引き返した。」
拙僧と源九郎はそもそもの事情を知らないから、これはなんだということになったが、すぐに建速須佐之男命のお出ましを受けて解決をした。
高天原では木花咲耶の様子がただならぬ雰囲気でフラフラとするものだから、佐保姫に何かあったのではないかと、蔵王権現殿のところへ伺えば、案の定であった。清明の無邪気な毒牙にかかってしまったのだな。
これはすまない、うちの市杵島姫と清明のカクカクシカジカと須佐之男尊から理由を聞いた。
佐保姫は清明の毒気に当てられているだけなので、お互いが見えない所に清明を連れていけば、自然と治るであろう。だけれども、市杵島姫が言うことを聞かなくて此方に追いかけてきて、あちこちを道祖神に見張らせているのだという。
あっちも清明、此方も清明じゃ纏まりが悪いから、これからは晴十郎と名乗るが良いぞと須佐之男尊が言うから、晴十郎の名の由来はと須佐之男尊に聞くと一言、名前だけでも格好の悪い奴にしてやろうと思ってのとお答えになった。
「娘がのぼせている男憎しというところかの。」
「それで合点がいったわ。お偉いさんは清の奴を晴明って呼ぶからなんだろうなって思ってたんだ。」
ところで木花咲耶姫の調子が悪いとなんで佐保の様子をと勝軍が聞くもんだから、源九郎と佐保姫がえっと驚き佐保姫が少し笑いながら答える。
「知らなかったのかえ、あちきは木花咲耶の現身にありんす。」
「お前、木花咲耶姫なの、それって仏の俺といいのかい。」
なにを今更いいなさる、今も昔も神の理屈は気紛れ任せ、春浅しに薫風薫り、星月夜の冬北斗、高天原の彩雲に、描くこの世の三千世界、全て主様の物でありんす、咎める者は誰彼居ようとあちきが許しやせん。
「須佐之男尊とご一緒していた大年神様が晴十郎のその後を面倒見るってことになっての。」
当の晴十郎は行く宛もなく何がしたいってわけでもないし、時間だけはたっぷりあるし須佐之男尊の申し出に敵意が無いことはわかっていたから、大年神の言う事を聞いて従うことにした。
大年神は晴十郎の溢れ出す神気を抑える事を晴十郎に教え、同時に佐保には、晴十郎のそれは薬にも毒にもなるが、今のお前には毒だから正気を保てと諭す。晴十郎にその気が全くないのだから、当然の事、毒というのも間違いではないだろうし、人の身であったのならば悶えて死んでしまう。
佐保は正気に戻ったけれども、振られた形になってしまったから暫くは落ちてしまったが、お前のお陰かどうか分からんが、今まで通りの笑い顔を見せるようになって安堵しておるよ。
「それから姐さんガラが悪くなったのは本当の話で、急にあちきとかありんすとか言うようになっちゃって。」
「黙れ子狐。」
顔が真っ赤になった佐保は、九郎を畳の上に力任せに押し倒し、空いてる手で九郎の腹を殴る。
「今している話は晴十郎の話であちきの話でありんせん。」
「そうですそうです、姐さんの話はもうしません。」
酒を舐める蔵王権現は、九郎と佐保に笑顔を向けて勝軍地蔵には話を続ける。
「大年神の治めるところの一つに、武蔵の国があっての、江戸のことなんじゃがその頃から江戸だったらしいがの、遠いというだけの理由だが、しがらみも薄いということで下向することにしたわけだ。」
配下の道祖神達にここを見張らせていた市杵島姫は、当然のことながら大年神と晴十郎のことを追いかけてくる。晴十郎をなんとか押さえつけて自分の物にしてしまおうとするわけだ。
元来気の強い女子であるからの、佐保は。須佐之男尊と大年神の庇護の下、私も身を引いたのだから、市杵島の姫御前も見守るだけにしてください、貴女様だけが我を通したら誰も得しません、と。
向こうを張った佐保が、大年神と晴十郎を近江の海で舟に乗せたところまでかの、拙僧が見知ってるのは。それから先は、お前のほうがよく知っているんじゃないか。
近江の海の上で捕まりそうになったがなんとか逃げて、その後も道々で市杵島姫の現身の弁財天が現れては肝を冷やしたが、何とか江戸に入り、大年神の妹御の倉稲魂命の助力で持って赤城の狐に晴十郎を入れた。
見た目は晴十郎そのものだけれども、容れ物の赤城の狐の放つ神格が混ざってよくよく気をつけて見なければ晴十郎とは直ぐに分からない、これぞ正真正銘の晴十郎ということだの。
市杵島姫にはお見通しだと思うが、市杵島姫が欲しかったのは、清明の現身というか分身というべきかの晴十郎であって、狐の晴十郎ではないから、今のところのちょっかいは無いみたいだが近寄らない事に越したことはない。
「あちきも同じで間夫の晴十郎はこの世におりんせん、察しておくんなんし。」
あれはあちきの可愛い弟でござりんすと佐保が勝軍に言う。言い訳じゃなくて心の内の本心であるのだろう、勝軍の目を真っ直ぐに見据えていた。
「色男なりの苦労ってのは俺には分からねえが、顔が良いだけで逃げなきゃいけねえってのは難儀なもんだな。」
ところでなんで神楽坂の赤城稲荷なんでぇ、稲荷ならどこにでも居るのに。
「これは聞いた話を噛み砕いて拙僧が思ったことなんじゃがの。」
赤城神社の御祭神の赤城姫は、元は人の身ながら龍神の気を得て神成むった姫神で、龍神の格を得たのだから龍だと思うのだが、その正体は大ムカデでの、日光の中禅寺湖を手に入れようと大暴れした事があったんじゃが、そこを手にしていた二荒山の大神が白の大蛇に化けて赤城姫を追い払った。
二荒山大神はこの機を逃さぬようにと、追いかけて行ったのだが、逆に赤城姫が追い払った。
女子の願いは良く叶える姫神様と聞いてはいるが、荒々しい顔を隠しているわけだな。
こっからが拙僧の想像なんだが、古くから鎮守の稲荷として鎮座していた所へ、そんな姫神が盛り込んできたわけだ。
その時に所の呼び方まで、牛込の神楽坂と変えられたわけだ。これは、この地を赤城姫に分捕られたってことだと思うがね。
稲倉魂命は追い出されまではされなかったものの、まあ、悔しかったんだろうね、それで晴十郎の力で持って逆転しようと思ったのじゃないかね。須佐之男と大年神の顔も立たせて一挙両得と言うわけだ。
「伊勢の連中の腹の中は、捻くれてるもんだな。」
だが、何となくは分かる気がすると勝軍は膝を叩いた。




