↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狐稲荷千本桜  作者: 小栗雄十


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
45/51

吉野山

「俺と佐保は蔵王権現様の所に寄ってから帰るけど、おめえ達はどうするよ。」

 信貴山城を後に山道を降りながら勝軍地蔵菩薩は、晴十郎と真とご隠居の三人に尋ねた。

「オイラ達は熊野権現様の所へ行かなきゃならねぇ。蔵王様は又今度だな。」

 源九郎狐は何故自分には誰も聞かないのだろうかと思ったが、それは取り越し苦労のようで、源九郎の袖に抱きついてしっかりと掴んで離さない佐保姫がいる。

 それで源九郎はどうしたかというと、晴十郎に悲しげで引きつった笑顔の眉を八の字にした顔を向けたが、晴十郎は諦めろと言わんばかりのスンっとした顔でフンっと鼻を鳴らす。

 夜がすっかり明けて、空は春光よろしく淡い青が広がっている。

 去年の年の暮れに、王子稲荷の倉稲魂命(うかのみたま)様に、熊野の誓紙を取って参れという用事を仰せ使ったのが事の起こりだった。

 いくつか寄(・)り(・)道(・)をしたが、熊野権現様の手ずから誓紙を頂戴すれば、この旅も終わりに近づくというものである。

 寄り道という面倒事が、つまらなくて取るに足らないものということはなく、滑稽だったり時には救済の力添えといったものまであり、とても興味深い話であった。が、元より面倒事の嫌いな性分の晴十郎であるから、避けて通るほうが良いに決まっている。

 蔵王権現様とは昔から昵懇の仲と、晴十郎が口にしても問題のないくらいの付き合いであったから、このまま素通りというのも味気のない話ではあるけれども、、今の晴十郎にとっては旅を終わらせることの方が、物凄く大事な話である。晴十郎に聞かなくてもわかる話である。

「主様(晴十郎)ここらで御暇(おいとま)おさらばえ、慕って後を追うなどしやせんが、この後(のち)御目見得(おめみえ)一日千秋指折り数えるあ(・)ち(・)き(・)でありんす。」

 佐保姫の別れの言葉に背中を押されて、その場を後にする晴十郎達であった。



「どうしてアタシを兄さん(晴十郎)から引き剥がすんですよ。」

 佐保姫に捕まっていた源九郎が、勝軍と佐保姫に食って掛かる。が、それを勝軍は含みを持たせた言い方で、源九郎を宥めに掛かった。

「お前(源九郎)さん気づいてやれよ、あらあ、とっとと誓紙貰って今まで通りに怠けたいのさ。」

 喉から手が出るくれぇにソワソワしてやがったろ、黙って行かせてやるのが、俺(・)達(・)の(・)兄(・)貴(・)の(・)源(・)九(・)郎(・)狐(・)ってもんじゃねえか

「う、うん、それじゃぁ仕方ありませんね、心を広く持って見送るとしましょうか。」

 どうやら、俺(・)達(・)の(・)兄(・)貴(・)という言葉が源九郎の胸の内をくすぐったようであり、源九郎は鼻息荒く自慢げな顔をしている。

「ところで源(・)九(・)郎(・)の(・)兄(・)貴(・)。何やら狸親父(家康)と裏で宜しくやってるらしいじゃねえか。」

「なんのことやらサッパリですよ。」

「馬鹿をお言いでないよ。バタバタ騒ぐ七夕じゃあるまいし。」

 勝軍と佐保姫が詰め寄り、源九郎の顔から血の気が失せる。源九郎の顔だけ明後日の方に向いて、少し斜めの上目使いが、源九郎が白状したも同然と物語っている。

「なぁに時間はたっぷりあるんだ、場所替えてゆっくりと聞こうじゃないか。おめえの言い訳ってやつをな。」

 なんなら、俺の愛宕山で酒用意してやってもいいぜと勝軍が源九郎の左脇を抱え込めば、蔵王権現様への土産話に丁度良いでありんす、と佐保姫が右脇を抱え込む。

 二人に引きずられた源九郎の顔は、声にならない悲鳴をまき散らしていた。

 勝軍地蔵菩薩に春の佐保姫、源九郎稲荷狐の三柱が目指すは吉野山。役小角(えんのおずぬ)という修験者が霊峰としたことが始まりと聞くが、何しろ晴十郎が人の世に生まれ出るずっとずっと昔の話で眉唾ものだが、本当の話と伝わっている。

 この役小角と言う男は、人の都合で括ることのできない男であったらしい。

 生駒山を根城にしていた山賊夫婦を、討伐した後に従え小間使いに使っていた。この夫婦が実は鬼で名を前鬼と後鬼と言った。それを小間使いに使っていたから、清明の式神に近いものだったのかもしれない。

 ある時には、天皇に弓を引くこともあったらしいが、難なく取り押さえられ、海の向こうの伊豆大島へ流刑になったけれども、毎晩、海の上を歩いて渡り富士山へ登ったという。役小角はただの人なのだから、これらの話は嘘だと思うが、所々に本当の話が混じっているんじゃないかと思う。富士山に登ったとか、島抜けを普通にやってのけたとか、そういう話に尾鰭が付いてしまうのはよくある事だ。

 それこそ豊家の偉い御人がよく使った手じゃねえか。

 その後に吉野のお山を駆け巡り、そこを修行の場にして寝泊まりをしていたところが、いつの間にか生臭坊主が住み着いて沢山の寺や庵になっていった。

 この吉野山に役小角が奉ったのが金剛蔵王権現様だ。

 権現様と言うのは神様仏様とはちょいと違う。神様であって仏様でもあり、神様じゃなくて仏様じゃぁない、問答みてぇな話だが、それぞれの良いところにを拝借してごちゃ混ぜにした存在であり、上手く言えねえが信じればお助け下さるって言う事だ。

 家康も勝軍も権現様だが、気まぐれな神様連中と違って、人間臭いというのが特徴なのかも知れないのだけれども、よくわからない。神様には無い、衆生救済って根っこがあるから、そういうもんなんだろう。

 神社の鈴を鳴らして、神様仏様どうかお助けくださいナムナム、なんていうのがほとんどの人間だから、神とか仏とかって言う括りは人間には関係のない話なんじゃねえかな。

 吉野山に幾つかある寺社の一つに吉水院と言うところがあるが、なかなかの来歴があり、近いところでは秀吉の花見宴で御座所と使われたり、南朝の天皇の住まいになったりもしていたが、なんといっても、義経と静の逃避行の隠れ家であったことが、建物自体の風格を一段上の物としていた。



 源氏に捕まった静御前が鎌倉殿(頼朝)の前に引きずり出された時の事。

 京の都で名高い静御前であるから、心此処にあらずとも見事な白拍子の舞を披露してくだるであろう、と鎌倉殿と北条政子から八幡宮に舞の奉納を静に求めた。

 ひょっとしたら義経を赦免してくれるのではないかと淡い期待を抱きながらも、胸の内から溢れ出てくるものは、吉野山からし(・)ず(・)や(・)し(・)ず(・)と義経恋しさの歌ばかり。

 鎌倉殿の怒りが噴き出すのも当然の事、死をも恐れぬ命知らずの振る舞いだと刀の柄に手をやるが、政子の取り成しでなんとか収まった。

 私であっても、貴方様を想って同じ様に謡う、と。

 そして、命を助けてあ(・)の(・)腹(・)の(・)子(・)も助けてやってはどうか、貴方様も清盛に助けてもらったではないかと政子が言ったが、いやいや、助けた頼朝と義経に清盛は討たれてしまったではないか、と鎌倉殿は答える。

 あの切実に溢れる想いを涙せぬ女子(おなご)は居りませぬ、私共、敵(かたき)の前で舞いたくもない舞を踊り自害もせずに只耐えているのには、腹のや(・)や(・)子(・)の為に御座います。

 ならば生まれ出てくる子が女子(おなご)であったなら助けよう、男子(おのこ)であったならも(・)う(・)言(・)う(・)な(・)。(・)

 せめてもの救いであったのだけれども、生まれてきたのは男子。名もついていない義経の子と静御前は、鎌倉の由比ヶ浜で、涙の幕引きとなった。



 勝軍地蔵菩薩と佐保姫と源九郎稲荷狐はその吉水院の前に辿り着いた。

 義経と静御前が逃避行の中で、少しの間だけ笑って過ごした記憶の残っている吉水院であるが、その二人の結末を知っている者としては、暖かく柔らかい陽の光の差す所と光の届かない陰の所の明暗を見るだけで、胸の詰まる想いが胸の内を走る。

 不変の神であるけれども、有限の人の想いは、時に激しい泣き笑いの繰り返しだと、佐保姫の胸を打つ。

 愛しい男と引き離されたら、果たして正気でいられるのかと、佐保姫は勝軍の横顔を見た。

 それに気付いた勝軍は、わかっているのかわからないのか、ニカリと笑って返す。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。