那須与一
「南無八幡大菩薩願わくばって言ったら、真お前ぇの出番だ。」
「うん、分かった。」
この娘は本当に分かってんのかね。下手うった挙句に、兄ちゃんがちゃんと言わないから駄目だったとか言いそうだね。
源九郎の奴が何か言いたげに自慢げな顔してやがるが、どうせ、アタシの格好良いところ見たら兄さん達は恐れ入ったねと言うに違いない、とでも思ってやがるのかね。
二人して得意満面で憎たらしい、転んでしまえ。
いよーはっ、はっ、はっ、いよぉーー。
北風激しく波高く磯を打つ中で、揺れる舟は上へ下へと定まらず。
「ぉっ、始まったね。」
「真の手にした弓がオイラの思った通りの弓矢であれば、外すわけがねえ。大船に乗っときな。」
「船に乗ってるのはやられる方だけどな。」
「ちげえねぇ。」
晴十郎と勝軍は遊びと割り切り、目一杯楽しむつもりのようだが、佐保姫はそんなつもりは無いようである。
「いいでありんすか、的外したら源九郎が痛い目に会うでありんす。」
ヒッと悲鳴を上げた源九郎が上目使いでこっちを見る。佐保姫の仕置きはこちとら想像付くものでもないけれど、散々やられてきた源九郎は、思い出すだけでも相当な仕置きらしい。
舟に立てられた竿の扇も同じで上に揺れて下に動く。竿が倒れぬようにと押さえる女御の艶姿。沖に平家の舟並び陸に源氏の馬揃い、何方にしても晴れならずという事なり。
「アレに見えるは扇の的、誰ぞ目に物言わせる兵居らぬか。」
口にしたのは、源三郎頼朝の舎弟で源氏の総大将、源九郎義経その人なりて、古今において並ぶ者がいなしは紛う無き事実 玉の緒もたゆたふばかり。
「玉の緒とはこれまた大袈裟な物言いだねぇ。」
何処かで聞き覚えのある声がしてそちらの方を見れば、ご隠居が酒を舐めていた。
「ご隠居いつの間に来やがったんで。」
「馬鹿だね。さっきからそこに居たじゃないか、気付かなかったのかい。」
いいや、気付かねえ理由がねえが、佐保と一緒に来たって言うから気付かなかったんだな。
「誰にも気付かれねえで酒舐めてるところなんざ、増々神掛かっているんじゃねえかと。」
「いんやこりゃ狐狸妖怪の類だね。酒舐め狸じゃねえか。」
「おい晴十郎、よりにもよって狸とは聞き捨てならないね。悪口にも程があるよ。」
まあ、いいさ、可愛い孫娘の晴れ舞台を拝もうじゃないかとご隠居は酒を舐める。
「いいかい真。日の丸は御上だから射抜くんじゃないよ、扇の要に当てるんだよ。」
分かった爺ちゃん、と真はご隠居の腕にしがみつく。
居並ぶ武者が飛び交う鳥を射落とす腕前の名人が居りますと述べると、義経はその者の名はと問う。
「那須与一宗高にござりまする。」
裾から薄墨に跨がった真は、そのまま下手の舞台に薄墨ごと乗り上げ、舞台に上がると薄墨は真の打掛の背中の刺繍へと帰っていった。
赤地の錦の直垂に萌黄の鎧を纏い、足白の太刀を履き、二十四本の切斑の矢とそれに鷹羽を合わせた鏑矢を背負う。滋籐の弓を小脇に抱え九郎義経の御前に畏まった。
「那須与一、見事あの扇を射抜いて子々孫々の誉れとせよ。」
「恐れながら私めでは射損じることかと。射抜ける者にお命じ下され。」
「外しても構わぬ。」
いよいよ那須与一の見せ場に掛かろうかと言うところでどうやったのか知らねえが、当たりが暗くなり、本舞台だけに月明かりが差す。闇の中ポッカリと浮かび上がる袴姿の女御殿が、女御っつっても中身は幽霊なんだが女御と思ってくれ、手招きを揺ら揺らと向こう端の舞台にする。
そしたら、またスンと暗くなり、直ぐにこっちの舞台に月明かりでもってポッカリ浮かんだ。
「ほれ、あれだよ、あの与一はうちの孫娘なんだよ。」
凛として芍薬みたいだろって、ご隠居、大喜びではしゃいででいやがるねぇ。
波打ち際に歩み進み、覚悟を決めた那須与一。
「南無八幡大菩薩、我が国の神明、日光、宇都宮、那須大明神。願わくばあの的射抜く神通を授け給え。射損じたらば、弓を切り折り腹かっさばいて果てまする。」
弓をやや下に向け矢を番えた真は、胸の前に右手を置き、弓を持った左手を前に出しながら的に向けた。なかなかどうして様になった構えで、武神の勝軍と肩を並べるとジジイのご隠居が言いたそうだ。弓の流派は幾つかあるけれど、強いて言うなら桜真流ってとこだろうな。
的を狙った真は目を瞑ってゆっくり息を吐いた。息を吐ききった真は目を見開き、矢を射放つ。
鏃が光り、その光りが軌跡となって闇を切り裂いていく。矢が飛んでいくのか的に吸い込まれるのか、真っ直ぐ扇の要にカンッと音を立てて当たり、扇を弾き飛ばす。
ほんの一瞬沈黙が訪れるが、皆々が溜息を吐露した。
「見事、日の本一の弓取よ。」
義経に扮した源九郎が沈黙を破ると一斉に歓声が巻き起こる。
真は晴十郎に向けて笑顔で両目を瞑った。




