出世稲荷
江戸城の牛込門から少し行ったところに、神楽坂という名前のついた坂がある。
古い古い時代に牛込氏という豪族が上州の赤城山一帯を支配していたが、この地に事情があって移り住んで来た。
どんな事情かは知らない。その頃のこの地域はまだ湿地の様なところで、少し雨が降ると泥濘んで水捌けの悪いところだったそうだ。代々伝わる土地を捨て、あまり良いとは言えないここに移り住むのだから、その事情というのも褒められたものでは無いということが、ちょっと考えれば簡単に思いつく。だからそういうことなのだろう。
牛込氏の遠い先祖で赤城姫という龍神に見初められて神に成った姫が居るが、その姫に見立てた見目麗しい娘に朱の大袖を付けた赤糸威を仕立て、朱の鉢巻姿で白馬に乗せ牛込氏の行列の先頭を歩かせこの地に来た。
その時に坂の下で馬が歩かなくなった。そこで笛を奏で神楽を舞ったところ、再び馬が動き出し坂の中程にて又止まった。
馬が立ち止まったところに赤城姫を祀ることにしたが、元々の鎮守の稲荷を粗末にすることは出来ないと、一緒に祀る事にしたのだそうだ。
その時からここら辺は牛込で、この坂は神楽坂に成った。
その坂中程に晴十郎の住まいというべき神社があるが、その名を赤城出世稲荷神社と言う。
冠に赤城と付いていて赤城神社の境内にあるから赤城の末社と思われているが、実際のところ赤城よりもずっと古く、ここら辺一帯の総鎮守であった。
普段から行き交うお参りの人々が大変賑やかで、道を歩くのも難儀する程である。坂の両側には幾つかの水茶屋があるが客の取り合いをしている様子はなく、逆に客が席の取り合いをしている様にも見受けられた。
晴十郎はそんな雑踏が嫌いでは無く、寧ろ気に入ってさえいた。
もちろん、赤城の鳥居からこちら側の境内には、如何にもここが神域だという風が流れていて、雑踏から聞こえてくる騒めきも当然の事のように控え目で静かではある。
鳥居の向こうでは蝉がけたたましく鳴き狂ってるが、鳥居をくぐってこちらに来ると急に聞こえなくなるような不思議な感覚のアレのこと。
赤城神社の境内の奥の方に朱色の鳥居が建っていて、その先の小さいお社が出世稲荷だ。出世の石段で愛宕神社が有名になってからこっち、晴十郎のほうまで足を伸ばす参拝客は少し減ったようだけれども、それでもひっきりなしに参拝客はやってくる。
ひふみよいむなここのたりふるべゆらゆらとふるべと聞こえた。
晴十郎は、祓いたまえ清めたまえだったり畏み畏み申すなどの祝詞は良く耳にするけども、それでも神主が言うくらいで、まして晴十郎の社で言うなどまず無い。
祝詞というものは神様に願い事をお願いする時に、唱えるというか伝えるというか、まあ口から声を出して言葉に魂を乗せる。総じてこれのことを言霊と言うときもある。
このひふみから始める祝詞は知ってはいるが、耳にして聞いたことが無いというくらい珍しい祝詞である。古いとても古い祝詞、いや先ほどの言霊と言った方が正しいかも知れない。
神様の神様の天照大御神の御子の御子に、瓊瓊杵命と言う神様がいらしていたが、あるときに天照様から、十種神宝をそなたに授けるゆえ葦原中国を征服してそのままその国を治めるように、と命じられた。
天照様の弟の素戔嗚尊は、姉弟の母神である伊邪那美のいる根の国を治めていたが、天照様が治める高天原と根の国の間にある葦原を、素戔嗚の子孫である大国主命に治めさせていた。
ところがコレが天照様の言うことを聞かない。ならば征服してしまえということのようだ。
その件のニニギノミコトが最初に足をつけた地が日向の高千穂で、妻に迎えた木花咲耶との間に三人の御子を授かり、それぞれが尾張熱田の祖、薩摩隼人の祖、神武天皇の祖となった。長くなるので端折ってしまうが、この時にスッタモンダの話でもって、ニニギノミコトとその子孫は、怪我や病気をするようになり寿命の限りが生まれてしまった。
そこで使われたのが十種神宝なのだが、そのうちの一つに怪我や病気を治して死んだ者も生き返らせてしまう宝があって、ソレを使う時に、ひふみと言霊を口ずさんだと聞いている。なんだか嘘くさい話だけれども、やっぱりそこは神様の話なのだから、本当の事なのだろう。
この神宝は時代が降るうちに散りじりになってしまったが、天皇家に残ったのが三種神器という事らしい。
ここまでが神代の天孫降臨のお話。




