狐忠信
「そうか、世の中は織田ではなく松平の世なのか。」
「その松平も、孫の代よ。」
酒の肴に、松永久秀が死んでからの今までの移り変わりを、時折混ざる勝軍地蔵の立ち廻りを交えながら、晴十郎は語って聞かせた。勝軍の立ち廻りに、源九郎が口真似鼓をさせられたのは言うまでもない。
「私はこれでも九郎判官の名前を冠した由緒正しい狐なんです。鼓の真似事なんて勘弁して下さい。」
「お手前は源九郎稲荷様であらせられたか。この大和の地で貴方様に足を向ける者など一人も居りませぬ。」
松永久秀が源九郎に向かって平伏する姿を、真はポカンと口を空けて、晴十郎の顔を見て勝軍の顔を見て、また源九郎の顔を見る。
「真は源九郎のこういうところを見るのは初めてか。」
晴十郎は酒で喉を湿らしてから源九郎を褒め倒す。
「初音の狐だったのは前に言ったな。」
でもな、此処の近くの村で大蛇を退治したとか、平家の宝刀小狐丸を刀鍛冶と一緒に打ったとか、結構な自慢話を持ってるんだがな、一番の話は、
「狐忠信の話よ。」
義経逃避行の吉野桜、京の都に残れと言われたが、あな恋しやと追いかけるは静の御前、取るもの取らず手には九郎形見の初音の鼓ただ一つ。忠臣佐藤忠信従いし追手をひらりとかわしバサリと撫でる。
星満々たりと言えど、月の光に勝つことあたわず、ならば手柄にからめて見よええ。
星の光が月の光に敵わないように、手前ごときが俺様に敵うものか、やれるもんならヤッてみやがれ。
向こうの先にやっと見つける義経に、静御前を引き渡す。兄継信に負けず劣らず忠臣誉れ。
夕日の影に海の平家の赤旗なびき、陸に源氏の白旗そびえる。
名乗りを上げるは平家の侍景清なりと、おのれ葉武者そこになおれと薙刀払う継信、平敦盛放つ矢先は継信の胸に真っ逆さま。
佐藤兄弟継信の忠義今は昔、赤が負けたか白が勝ったか、いまとなっては詮無きことよ。
胸の詰まる思い出込み上げるところに現せしは、なんと別の忠信、どう言うことか合点がいかず。何方が此方かあちらがそちらか。
「その鼓は私の親。私はその鼓の子でございます。」
なんと静に従いし忠信が言い放った言葉が鼓の子、一同訝しげに忠信見つめ、偽者忠信は狐に戻る。
始まりはそれなる初音の鼓、かくかくしかじか親恋しさの成れの果て。
「なれど静を守った忠義に答え、禁裏より賜れし宝なれど、この鼓をそなたに与えん。」
義経鼓を差し出すが偽忠信はそれはいけぬと後退り。
「そなたと同じに我が身も別れの浮き沈み。せめてこれよりは、源九郎と名乗るが良いぞ。」
「あな嬉しや。ならば今より源九郎判官義経の影となりて、これより迫る衆徒を集め、ひらりと交わして車切、裾を掴んで真っ向縦割りにして、我が神通の力を持って見事討ち果たしてみせましょうぞ。」
煙となって消えゆく源九郎狐、行方は知らず。
「こいつの名前の源九郎はオイラが付けたんじゃなくて、源義経っていう源氏が付けたのさ。」
へぇそれは凄いねぇと感心する真にそれは違うとニヤついた顔の勝軍が言う。こういう顔の勝軍は、決まって悪口を言うときの顔である。
「誰でも知っている有名なその話なんだけどよ、それ芝居の話だ。」
「ち、違いますよ、私の話ですよ。」
「けっ、この泣きべそ狐がコンコン鳴きやがるわ。てめえが神通でバッタバッタの車切りなんてのはな、なあ、晴十郎。」
「ん、うん、まあ、興ざめだけどよ、芝居の話だ。」
「晴の兄さんまで非道いですよ。」
「九郎可哀想、よしよし。」
真が源九郎の頭を撫でて慰めるが、九郎はそれを良しとしないみたいだ。認めてしまったら、嘘になっちまうとでも思っているのだろう。
「源九郎詣りに来た義経が、自分の名前を奉納したのは本当で、こいつが静御前を助けたっていう話は、こいつが道案内をしたっていうことだな。」
それに尾ひれが付いちまって、芝居の一幕で大袈裟になっちまったってことだな。まぁ、九郎も背伸びしてぇのよ。
「もうそれでいいです。兄さん達は何時もそうです。」
九郎が拗ねてしまう。
こうなると、いつも決まって九郎の奴は悪い酒で絡み出してしまう。相手が勝軍であっても、何時もは縮こまっているくせに、勝軍の頬を握り拳で小突いて眠りこけるまで止まらない。
「大体、晴十郎の兄さんとは私の方が付き合い長いんですからねーあの御人が人であった頃からなんですから。」
本当なら私が兄さんですよ、それに、その頃私はすでに神狐だったんですから、私が一番の兄さんですよ。私が優しいから二人とも持ち上げてるんですよ。
「此奴、酔うといつもこうだな。」
「お前が悪いんだから寝るまで相手してやんな。」
「ところで松永殿は何故今頃出てきなすった。化けるならもっと昔じゃねえの。」
「それが手前にもそこのところがさっぱり。」
織田を恨んでいるのは間違いないが、それも戦国の世の習いの上の事。某が討ち滅ぼした家もあることだし、逆もまた真なり。
「実際は死んで真っ暗になってから目が覚めて気付いたら此処にいた。そんなに時間が流れているなど思いもよらぬ。」
神でもお分かりにならぬかと松永久秀は言うが、神でも都合がつかない事はこの世もあの世も沢山ある。あの世の神がこの世にいること自体、不可思議で説明出来ない。
「じゃぁ、今日はまず酒呑むか。」
幽霊の雑兵達は、もうすでに酔いが回って、呑めや歌えや踊れやで騒ぎまくっている。さっきまでの殺し合いをしていた事など何処吹く風で、大声で笑っていた。
昨日の敵は明日の友と言うことがあるように、これもいつ死ぬか分からない戦国の世の習いなのだろうか。




