破戒
源九郎狐に手綱を引かれて、顕現するは真の薄墨。真は真なる誠か桜の真か、誰それ問うとて夜露に濡れて答えの出せない此岸の理屈。気性の荒い薄墨なれど、心得候九郎に従い背には桜の女神様。
群青夜空に月と星。
神の此岸と仏の彼岸、狐の神世に狸の現世、魑魅魍魎の狭間に物の怪の境界。
一行歩む先には何があるやら、所詮この世は塞翁が馬。
源九郎の後ろを馬の薄墨が大人しく付いていく。時折、右に左に蛇行していくのは、源九郎が薄墨の足が滑らないようにと、踏みしめる地面を選んでいるからだった。
晴十郎が後どのくらいだと源九郎に訊ねると、源九郎は先を指差してその先の坂を越えたら見えてくると思います、と答える。
「城が見えたら、俺がひとっ走り様子を見てくるぜ。」
「お前がいったら幽霊が逃げちまうだろうがよ。」
「だって晴、お前に行かせたら晴十郎兄様がブルってアワワってな具合で腰が抜けちまうんじゃねえの。」
吐かせ、この屁っ放り腰がと晴十郎と勝軍地蔵が、いつもの小競り合いを始めている。
松永久秀の幽霊が現れているという信貴山城は、織田信長に降伏することのできない松永久秀の手によって炎上落城となった後、再建されることはなく棄城されている。
この城は、堺のほうからの信貴山越えでもって、大和に雪崩込んでくる敵を堰き止める防波堤のように、峰岳を通る道を塞ぐ形で築城されている。
築城当時はとても広大な地に跨がっており、その広さゆえに守ることもままならない城であったという。信貴山城は山城の部類であり、攻め側の半分以下の人数で守ることが出来るのにだ。
そこで、松永久秀は郭の一つを住居としてそこを中心に防衛強化に努めた。攻め手は下から見上げる視点になり、空堀土塁などの目眩ましで土橋や木橋を巧妙に隠して、攻め手を右往左往させる様にしてある。
山頂から霧が渓流の如き流れ落ち、地面に沿って溜まり揺蕩っている。雲の上に立っているかのようと言えば、想像がつくのではないだろうか。
その流れている霧の道筋が、進むべき道を示している。それに沿って道を登って行った。真の薄墨は足元がおぼつかないので、真の打掛の背に戻っている。
土橋を幾つか越えて石を積んである土塁に差し掛かった時に上から止まれと声をかけられた。
「先触れもなしに名乗らずくるは害をなす者共か。」
門の番をしている者なのか、見れば胸当てをつけ槍を手にして鉢巻を付けている。
「松永弾正久秀殿に御目見得仕まつりたい。拙僧は勝軍地蔵菩薩と称する者なり。横に控えし、安倍晴明、源九郎狐稲荷、共々、奥にあらせられる桜真比売命の従者にて相違なし。」
おい、周りに秘密にしてんだから安倍晴明は止めろって、と晴十郎は勝軍を小突く。
「しばし待たれよ。」
番をしている一人が奥へと消えていく。此処はこの城の大手門なのだろうか、その奥へと目を凝らせば、見える範囲で門の向こうに少しばかりの広場で篝火を焚いているところが見える。
門の横には一人、いや幽霊だから一霊とでも言うのだろうか、しかいないので勝軍が押し入っちまうかと言う。
もう、オイラ達は見つかってるんだから、止めておけ、と晴十郎が言うと、我慢の出来ない勝軍が太刀を抜いた。
「おい、九郎。景気付けにいつもの頼まぁ。」
勝軍に言われた九郎は口真似で鼓の音をポンポンカポンと出した。
「九郎の兄ちゃん、なんでポンポン言うの。狐はコンコンでしょ。」
真はそう言うと頭の簪を抜いて一振り刀に変えて握る。なんともまぁ用意のいいこって、この娘もやる気だよ。
「私が鼓の狐なのはご存じで。それを勝軍の兄貴が、鼓なんだからポンポン鳴けって頭小突くんですよ。」
本当なら晴十郎の兄貴とは私のほうが付き合い長いんですよ、本当なら私の方が兄貴分なんですよ。
「なにをこまっしゃくれてブツブツ言ってやがる、この子狐、尻尾掴んで振り回すぞ。」
勝軍がそう怒鳴ると、九郎狐はヒィと小さく悲鳴を上げて、ポンポンカポンと口で鼓を鳴らす。
「小ぅぉぉおちゅぅうう大のをぉお三千ん世ええ界。」
「おっぱじめやがった、オイラは後ろから付いてくから、お前が露払いしろよ。」
九郎の鼓に合わせて勝軍が今様を歌い出す。今様というのは、今、流行りの様式と言う意味があるが、この意味を指す言葉は実際には、今の江戸の世ではかなり古い。白拍子がこの今様で好んで舞っていたり歌っていたと聞く。
勝軍が体当てで門番を弾き飛ばして虎口に入っていった。その後を晴十郎が続き、九郎と真が続くが、九郎だけ忙しなくポンポンと勝軍に鳴かされていた。
小中大の三千大千世界、諸行無常の万物流転、栄枯の理盛衰の如く、右手の錫杖打ち鳴らし、目前の六道闇祓い、弥勒の末法顕現するは良きか悪きかあや知らず、三宝三帰依南無阿弥陀仏、菩薩の慈悲は輪廻の流転。
「錫杖なんて御大層なもんは持ってねえじゃねぇか、輪廻とか言いながら撫で斬りしてんじゃんねえか。」
晴十郎は勝軍にケチをつけるが、勝軍は口ずさみながら九郎の鼓の音に合わせて、目前の幽霊に刀を袈裟斬りに振り下ろしていく。
斬りつけられた幽霊は黒い霧であったかのように、散り散りになって消えていった。
幽霊の言い分も聞かねえで、衆生救済の地蔵菩薩が撫で斬りしてちゃ、悪鬼羅刹の夜叉か鬼見てるじゃねえか。




