時は今
真の羽織っている打掛は、愛宕の火産霊神から頂いた物で、薄紅の桜色で背には金糸でもって愛宕神社の神馬の刺繍が施してある。それがだ、最近になって真の背から、その馬がチョイチョイ抜け出して、そこら辺を歩いていやがる。
これがなかなか気の荒い馬で、真の言う事だけは大人しく聞きやがる。オイラの言う事は聞く時も有れば鼻息だけで目を合わせることをしない時もある。
「お、いい馬だな。真の馬かい。」
「そう、薄墨って言うんだよ。」
ところがどうしたことか、この馬野郎、てめえの額を勝軍地蔵菩薩の腰の辺りに擦り付けて甘えてやがる。甘えてもらえねえからって、別に悔しくもねえし羨ましくもねえ。
愛宕神社の神馬が身の上だから当たり前の話なのかもしれない。
勝軍地蔵菩薩は、京の愛宕山に奉られこの世に顕現なされた愛宕権現の本地仏なのだから。本地仏というのは、簡単に言ってしまえば正体って言い方が、一番しっくりするかもな。
出世の石段のある愛宕神社の御祭神は火産霊神の爺さんだけれども、愛宕神社の総本社は京の愛宕山にある愛宕神社で、その山に寺とか末社とか幾つかあるけれども、そこの神様仏様全部ひっくるめて顕現なされた権現様っていうことになってる。
仏様に神様の都合が通用するってのも眉唾もんだが、そういうもんだと思っておくれな。
つまりは、馬野郎にしてみれば、真も火産霊神も勝軍地蔵菩薩もみんなご主人様ってな具合なんだろう。
この霊験あらたかなすっとこどっこいの菩薩様は、右手に錫杖左手に宝珠を持ち、緋色の見事な緋縅で小札を繋ぎ合わせた大鎧を纏い、馬に跨るその姿は陽の光で輝き、それを見た悪鬼羅刹を鎧袖一触する軍神と崇められている。が、錫杖やら鎧なんかは邪魔くせえと放り投げて羽織袴に太刀を履き、酒は浴びるわ肉は喰うわのとんだ破戒で怠け者。この世に弥勒菩薩が顕現するまで、この世の六道を導くってぇ御大層な御役目背負ってはいるが、そんなものは面白くねえし俺一人やらなくったって大丈夫なんて吐かしやがる。
軍神なんてのをやっていると、質面倒くせぇのも呼んじまうそうで、これは勝軍の野郎からきいた話なんだけれども、明智光秀ってのが来たそうだ。
軍神に詣でるわけだから、当然ながら願いは一撃必殺、武運長久見てえなもんだったらしい。その願いの吉凶を御籤で、その明智光秀は求めてきた。
小綺麗でサッパリとしていて背筋の伸びた見た目の良い壮年の男だったらしいが、なにやらくすんだ空気を纏っている。
どうにもこうにもよろしくねえと凶を出した。納得出来ないと光秀はまた籤を引く。
悪いこたぁ言わねえからやめておけと再び凶を出したが、やっぱり籤を引き直しやがったから、もう面倒くせえと吉を出した。それも大吉をだ。
そしたらその明智光秀、上機嫌の御満悦で、時は今雨が下たる五月哉、なんて歌を得意満々で残して帰ったそうだ。
俺は止めとけって言ったのによ、ほれ見ろ散々だったろうが、と言う勝軍に、お前が仕事怠けたせいじゃねえのって言ってやった。したら、そんなの知らねえと言う。
一々全部聞いていたら、皆が皆で好き放題しまくりだろうよ、そんなの清、お前だって分かってるじゃねえか。こればっかりは勝軍の仰る通り、至極当たり前の御尤も恐れ入りやの鬼子母神てぇのはこの事だな。
この明智光秀という男は、丹後と丹波を善政でもって治めたとか、戦で亡くなった自身の家臣どころか雑兵までも銭を出して弔った清廉な行いで知られているが、それは表向きで裏に回るとどうであったのだろうか。
土岐の明智一族の出と言われているが、全国を回って士官を求めたが叶わずに、医者の真似事をして糊口を凌いだらしい。紆余曲折有って細川藤孝の陪臣に収まった。
輝かしい立身出世と言うか、はたまた、野心を匂わして成り上がったと言うか、その後の躍進はご存知の通りである。
全国流浪の折、西国の毛利のお殿様に御目見得頂いた時に、そのお殿様が、此の者一角の人物と思うが狼の風貌を持つと評した。狼の様に鋭い野心が顔の端々に滲み出ていると言ったのだ。
伴天連のルイスフロイスが書き残した書物に、明智光秀は裏切りと密談を好む、と記されている。これは光秀が仏教の守護者で伴天連とは敵対関係にあったことなどから、穿った見方が出ているとは思うけれども、火のないところに煙は立たないと言うではないか、多少の事実があったのだろう。
かつての主君筋に当たる細川藤孝が織田に仕えたばかりの頃に、細川を完璧に取り込みたい信長と、更なる野心に磨きをかけた光秀の思惑が一致したときがある。
並ぶ者のいない見目麗しく美しいと評判の、自分の娘の玉を細川の嫡男細川忠興と婚姻させている。これは信長の命令で、所謂、政略結婚ということだ。
本能寺の変は、天皇の勅とか足利義昭の発令とか長宗我部との板挟みとか言われているが、娘を差し出す男である。信長の居場所をただ欲した結果ではないかと思う。
たまたま、その機会が目の前に現れたのだ。
信長が逗留している本能寺へ進軍したわけだが、敵が信長と知っているのは極わずかで、殆どの家臣達は徳川家康を討ちに行くと思っていた。
これこそ正にルイスフロイスの書き記した、裏切りと密会を好むと言う事ではないだろうか。
晴十郎と勝軍が連れ立って歩き、その後を真が薄墨に乗りその手綱を源九郎が引くいて付いていく。
「お化けって噛み付いてくるんじゃないの。」
「そしたら俺んとこに来ないように走って逃げるわ。」
「やめて、逃げないで助けて。」
久し振りに会った勝軍と真は楽しそうでいいね。どうせ今回もオイラが損することに決まりなんだろうけど、なんかあったら源九郎の奴に押し付けてやる。
源九郎と目があった。首を横にブンブン振ってやがるから、あいつ、気付きやがったな。




