鼓の狐
東風達に別れを告げた晴十郎と真とご隠居の三人、いや三柱は、一路熊野に向けて草鞋を履いた。
「爺ちゃん、薄墨に乗るなら出すよ。」
「いや、アタシはお前に手を引いてもらうほうが嬉しいよ。」
京に入るまで真の面倒は東風に見させていたから、こりゃぁ大変な思いをするかと覚悟していた晴十郎だったが、思いの外、真が聞き分けの良い子になっているどころか、ご隠居の手を引いて歩いているところを見て、何故だか胸に詰まるものがあった。
思えば、ついこの前、小田原で縁が起こってそのまま一緒にいるが、その時は小僧だと思ってた子供が、いつの間にか娘になって姫になって、そして明神に成った。神世とはなるべく関わりを持たないようにと距離を置いて居た晴十郎だったが、この娘の為にも、腰を上げなければいけないのでは無いかと考え始めている。
旅は道連れ世は情け袖振り合うも多生の縁なんて言葉がこの頃江戸の方で流行っちゃいるが、爺と兄妹の連れ合いは、これもまた、なんの因果か他生の縁だ。が、細かった縁の糸が、短い付き合いだけれども太く絡み合っている。
「兄ちゃん、何処に行くの。」
「花見の前に、途中の源九郎の顔でも見に行こうと思ってよ。」
大和のお城の直ぐ近くに居てやがるのさ、その源九郎の野郎はさ、と晴十郎は向こうのほうを指さしながら真に言う。
「源九郎の兄さは駿府のお城じゃないのかい。」
そうかい、アタシはてっきり権現様へ真っ直ぐ向かうと思ってたよ、ご隠居は袖についた木の葉を叩いて落としながら言う。
季節はすっかり春で道中の桜もこれまた見事だ。満開までにはもう少しだと思うが、例えると枯れ木に見えていた桜の枝から雪がボタボタ落ちそうな感じに見える桜の花が圧巻で、時々吹く風に耐えてる花びらが可憐であるけれども、桜の息吹を見てとてる。
こういうのをなんと言い表すのだろうか、風光ると言うのだろうか。
「あっちの源九郎は黒狐でこっちのは白狐なんだよ。」
真が桜の枝を手折ろうとしているのをご隠居は止めながら真の問いに答えた。
「桜の女神が桜を傷物になんかしちゃいけないよ、棒っきれが欲しけりゃそこら辺に落ちてる枝にしておきなさいよ。」
「梅はいいのに桜は駄目なの。」
「そうなんだよ、梅は折ったところから新しい枝が芽吹くが、桜は腐っちまうんだよ。」
分かったと頷いた真は手頃な棒っきれを拾い上げると、それを杖代わりにご隠居に持たせた。ご隠居に杖を持たせるのが目的だったのならば、元々の桜の枝を手折ったところで杖になんかなりゃしない。
利口なんだか馬鹿なんだか、だけど優しい事にはかわりはねえなと晴十郎は思った。
「オイラが人の頃からの付き合いだから、源九郎とは五百年以上の付き合いになるな。」
おっ、一休みさせてもらえるのかい、と、ご隠居が手頃な木の根を見つけて腰掛けた。
オイラが時の天皇に勅を賜った時のことで、雨が降らないからなんとかしろと仰せでな。
ただ、なんぢにやらするばかりといふもたよりが悪しければ、要るものがあらばはばかりなく申せ。と言うんでな、それには初音の鼓貸したまへ、と答えたわけだ。
別にそれが必要ってんじゃァねえんだけどよ、偉い御人に言われて何もいりませんって答えるのもアレかなって思ったわけよ。
初音の鼓ってのは、千年生きた白狐の夫婦の皮を張って作った鼓でな、兎に角、澄んだ音がポーンポーンと響いてな、聞きようによっては狐の声見てえにコンコンと聞こえる鼓で、その音でもって雨乞いの儀式を執り行なって龍神様に関心を持って貰おうって寸法よ。
なんで、龍神様なのかって聞いたか。そりゃぁ、雨乞いって言ったら今も昔も水の龍神様に御願いするのが近道だからなのさ。
それで、供物を容易して掛巻も畏きと声高に唱え、合間合間で鼓をポーンと打ったわけだ。そしたらな、龍神様じゃなくて真っ白い子供の狐現れやがってと思ったらな、鼓の音に合わせて飛びやがるように跳ねやがりやがってな。
なんぢは何処の子狐なりと問いかければ、そこの鼓の音が父母の声におぼえ堪らず出でにけりと言うんだな。
そこで、お前の父母は千年生きた霊狐であったか、それなら儀式が終わるまでそこにおれ、可哀想だが、それ以上の事をしてやれることは無い、と言って好きにさせてやったのさ。
儀式が無事に終わったところで、その狐がオイラに向かって小さく頭を下げながら、こう言った。
もう会えぬと思っていた父母に声だけでも会うことができました、これも貴方様のお陰です。
それを聞いて、胸が締め付けられて切なくなった。本当であれば、自分の父母を殺めて鼓にした人を恨むはずなのに、声を聞かせて貰ったと礼を言うなんぞ、なんとも性根の綺麗な子狐だとね。
そう思った時に雨が降ってきた。
そうか、腹が減ったら家にこい、一条戻橋で前鬼呼び出して、こうこうこういう理由でオイラに会いたいと言えば、案内させる様に言っておく、とオイラはその子狐に言ったのが馴れ初めだ。
「さあ、ご隠居。一休みはやめて後もう少しだ。」
源九郎の奴に、何か美味い物でも喰わせてもらおう。
ご隠居が渋るもんで、真が打掛から薄墨を出して、真が乗った馬の背の後ろにご隠居を乗せた。端から見ると、馬に乗ったご隠居が前に娘を乗せているように見えるけれども、それは間違いだ。
だって、しがみついているのはご隠居の方だから。




