その橋は
「帰ったぜ。」
「兄ちゃん、お帰り。うどん美味しかったよ。」
「そうかい、そら、良かったな。前鬼に虐められてねえか。」
あんなに沢山いた式神が、いつの間にか居なくなっていて、そこに居るのは東風と真の手を引いた前鬼という式神だけになっている。
「いじめるとは心外どすな、うちらをほおってはる方の言葉やとは思えしまへん。」
「主はんには何言うてもあきまへんえ、東言葉を喋ってる時点でうちらをほかしたんどす。」
前鬼の言葉に、東風が晴十郎のことを打ちのめすかのように、くさして罵る。
「そう言うなよ、頼りにしてんだぜ。」
東男に京女なんて言わはるがうちはごめんどす、東風はブツブツ言いながら器を片付けに奥の方へ消えていった。
「前鬼、どうだい居心地は。」
「今は梨花様も居られんさかいに境内でのんびりしてます。」
晴明神社の目の前にある橋は、一条戻橋と言うが元々は土御門橋と言っていた。
高名な学者が亡くなりその棺が戻橋を通ろうとした時に、その学者の息子が、どうか頼むから父親をこの世に返して欲しいと願った。誰が聞き入れたのかは定かでないが、息を吹き返して生き返った。
それからこの橋は京の都のこの世とあの世の境になり、その時からここは一条戻橋になった。
身の回りの世話を式神にさせていた安倍晴明はある時に梨花にこう言われてしまう。
「目の前を歩く鬼たちが恐ろしい。従えている貴方様も鬼ではないか。」
清明は仕方がなく、式神たちを一条戻橋のあの世とこの世の境に住まわせることにした。
渡辺綱が茨木童子の腕を落としたのもこの橋だった。その時に、清明に知らせたのが前鬼で、腕を失った茨木童子を境に引きずり込んだのが、後鬼である。
「丹後守殿、このままではそなた様に禍根が生じましょうぞ。内々に籠り次の満月まで物忌みをするが宜しかろう。」
事の起こりを前鬼から聞いた清明は渡辺綱にこう告げた。
渡辺綱を家に返し、後鬼がかくまった茨木童子に話を聞いた清明は、鬼とはいえこれも女子の情念という業がさせる行いなのだと哀れに思う。
「お前を左馬頭殿に差し出すのもやぶさかではないが、お前の想いの深さにそれはいささか忍びない。」
好きな方を選べ。源氏の宝刀の前に立つか、このまま彼の者の菩提を弔うか、と清明は茨木童子に詰め寄る。
してその返事を茨木童子はこう言った。
「弔うても最早元に戻りませぬ。なれば貴方様とそのお仲間が私を哀れに思うてくださったのも何かのご縁、このまま貴方様のお役に立てれば。」
「そうか、ではその腕では不便であろう。次の新月に渡辺綱から取り戻してこい。」
茨木童子は新月の夜に渡辺綱を訪ねた。
渡辺綱の伯母に姿を変え声色を真似て家に上げろという茨木童子を、渡辺綱は、今は物忌みの最中で戸を開くことはできぬと伝えた。
茨木童子は、小さい頃から面倒を見てきたこの私を入れぬとは、なんとも悲しい話ではないかとサメザメと泣く。
そこで渡辺綱は仕方なく家に上げたところ、その伯母は何処で聞いたのか鬼の腕が見たいとしきりに言う。
渡辺綱は伯母の態度に不思議に思ったのか思わなかったのか、素直に見せた。
その腕を見た伯母は鬼の腕に手を伸ばしたかと思うと、自分の腕に押し付けた。そこにあるはずの腕はなく、その鬼の腕がピタリと合いくっついた。
伯母は、腕を取り戻した茨木童子の姿に戻り、渡辺綱に一声唸り声で威嚇をした後。屋根を突き破って逃げていった。渡辺綱は呆気にとられてそれ以上は追うこともしなかった。
腕を取り戻した茨木童子が清明の前に姿を現し頭を垂れる。
「今よりお前のことは東風と呼ぼう。」
あの頃の主はんは情け深い御方どしたけど、そこの主はんはおはんなりとしたことで、どうぞおきばりやす。と奥の方から東風の声が聞こえてきた。
「オイラ、アイツになんかしたか。」
「久方振りに会ったら、主はんはなんじゃら楽しそうやさかい、いじけてるんどすえ」
「こっちにだって清明は居るだろうよ。」
こっちもこっち、そっちもそっち。どこに居ても居なくても同じは同じ、そういう神様の都合は何とも便利な事だけれども、前鬼は違うと言う。
「うちらには清明様と晴十郎様は全くの別人なんどすえ。」
そういうもんかねぇと言う晴十郎にそういうもんだと前鬼が言う。
「兄ちゃん怒られてんの。」
「そうだな怒られてんだな、そういう事もあらぁな。」
それもこれも式神達から好かれてるっていう裏付けなのかも知んねえけどよ、真みてぇにハッキリと口にしてくれてもいんじゃねえかと思うが、まあお互いにそういう年でもねえからな。真の頭を撫でながら晴十郎はそう思った。
「おや晴十郎帰ったのかい。」
ご隠居が晴十郎を見かけて声を掛けてきた。
「それで昔の女はどうだったんだい、お前もなかなかどうして初の癖してお盛んだねえ。」
「違う、あれはオイラの信者だ。」
「兄ちゃん、昔の女って何、今の女もいるの。」
「真、お前はそんな事言っちゃいけねえよ、仮にも桜の女神様なんだからよ。」
「するってぇとアレかい、昔馴染みが忘れられずに、止せば良いのに会いに行って袖にされたってことかい。」
するってぇとアレかいじゃねえよ、真のそんな下品な言い方兄ちゃんは許さねえよ。
「お前らほんとにコンコンチキのポンポコ野郎だな。」
晴十郎が真の頭を叩こうとしたので、前鬼がそうさせまいと真を肩車で逃がす。いつもだったら、ここで真がキャハハ笑い転げるもんだが、今日は少し違った。
ジットリとした少しニヤついた顔で、晴十郎に両目を瞑って見せた。




