総見院
京の晴明神社に東風を送り届け、少し寄るところがあると言って晴十郎は出掛けていった。
その間、ご隠居と真は一休みすることにした。一休みと言っても真は大騒ぎだ。
何しろ、前鬼後鬼から十二天将と遊び相手が大勢居るのだ。右へ左へと駆けずり回る。
ご隠居の相手をするのは、ご隠居と年の頃が同じな老人である。
「大年神様のほうにご面倒をおかけしてなければよいのですが、何分私の若い方の半身でして。」
「なに、あれもそこをわきまえていて、アタシのほうが転がされてますよ。」
「申し訳ございません。」
そんな事より東風をお借りしました、これこれこういうわけでこれからもお借りするかもしれません、とご隠居は続けた。
老人はアレの出自はご存知ですか、と答える。
「アレも可哀想な子でしてな。」
人の世の理屈で退治されようとしたのが不憫で、涙を流すその姿が可哀想でならず、つい、渡辺綱から匿ってしまった。行く先もない子だから式として置いているが、神の手助けが出来るのならば、あの子もいつか鬼子ではなく童子になれるでしょうな。
「あれで、なかなか良く気づく子でして。御覧の様に、あの子一人居なければ淋しいですが居なくても大丈夫です。」
「いやどす、うちをほかす話どすか。」
東風が他の式神を伴って、土鍋で熱く煮立てたうどんと酒を持ってきた。
「桜真様と縁が出来たさかい呼ばれたら行くけど、うちは此処におりますえ。」
江戸に比べて少し色が薄いが、味は出汁がしっかりきいていてこれがまた美味い。おぼろ昆布と青菜がたっぷりのって鴨肉の脂を旨味に変えている。一口含む酒の匂いが鴨肉の脂に勝り、そして啜るうどんの汁が酒に勝る。
「江戸の酒は薄めてあるがこれは濃いねぇ。」
「私も飲む。」
「お前は舐めるだけにしておきなさいよ。」
酒が美味かったのか不味かったのか分からないが、真はそれ以上は酒に手を出さない。
その頃晴十郎は京の北の方にある大徳寺に居た。
この大徳寺は名刹で名高い僧を輩出した寺であるが、そこの一角に総見院という、秀吉が信長の菩提を弔う為に建立した寺がある。
織田信長本人や子供らの供養塔の並びに、信長の正室お濃の方の供養塔も並んでいた。お濃の方の濃は美濃から来た姫であった事から濃と言われるようになり、その名は帰蝶と言った。信長が死んだ後も生き続け、徳川家康の庇護にあったという。
「お婆来たぞ。」
お濃の供養塔に手を掛け、晴十郎はそう呟く。シュンと目の前が暗くなって、又明るくなり目が慣れると少し小さめの、小屋というのか茶室というのか濡れ縁があるから庵というのか、まあ、そう言う建物だ、が現れ、板の間に藁で編んだ敷物と綿を詰めた座布団が置いてある。
「晴十郎様、お茶でもご一服。」
部屋の角には炉が切ってあり、それだけ見ると茶室と言ってもいいのではないかと思う。その炉のお湯で茶を点てて晴十郎に促したのは、年は幾つくらいなのか、若くも見えるし年老いても見える、確かに言えることは妙齢の女子である。
気高く凛として微笑みを蓄えているけれども眼差しが鋭く、一目で圧倒される雰囲気を漂わせていた。
「来るのが分かっていたとは恐れ入ったね。」
晴十郎は濡れ縁に腰かけて茶を啜り美味いと言う。
「そうではありませぬが、ただ何となく。」
「近くに来たのに素通りしたら、怒っちまうんじゃねえかと思ってよ。ま、元気そうだな。」
死んじまったのに元気そうだなも無いもんだが、狭間の居心地はどうよ、と晴十郎は笑いながら尋ねる。
「どなたの振る舞いで、私が此処に来たのかは存じませぬが、この先を見つめるのには丁度良い居場所でしょうか。」
殿様の側に行けなかったのは残念にござりますが、一人では無いし淋しくもありませぬ、と晴十郎に眼尻も下げて笑いかけた。
そこへ別の女子が菓子を携えてやって来た。目の前の女子に見劣りしない、妙齢の美しい女子である。
「養華院はお健やかでご機嫌も宜しゅうございます。」
「興雲院も久しぶりじゃねえか、元気かい。」
晴十郎に於鍋と呼ばれた女子は、にこやかに笑って軽く会釈をして奥の方に消えていく。
「相変わらずに仲がいいじゃねえか、もうそういうわだかまりは関係ないか。」
「それよりいかが致しましたか、京に足を踏み入れる事は無いと思っておりましたが。」
「それよ、訳あって熊野に行かなくちゃならねえ、それに道中色々あってね、こっちに来る用事ができちまった。」
ついでにお婆の顔見に来たのさ、と言って少し眩しそうに陽の光を手で遮る。
この世とあの世の境、神世と人の世の狭間にあるこの場所だけれども、ここは何故か陽の光がよく差し込む。こういう場所は、少し暗くて少し明るい、うまく言えないがそんな雰囲気と決まっている。
晴十郎の居間にしろ大稲荷様の寝所も然り、あの蛟の縄張りだって、そうだった。視線を向けた先はハッキリ見えるが、その他は少し暗い。
くっきりと明るいところは境界の向こうに見える人の世だ。
あの狸親父は今でも約束を守ってくれてんだな、晴十郎はそう思って安心した。
「この後、連れと一緒に桜の花見見物と決めているが、どうだいお婆、お前たちも行くかい。」
どうせなら、蔵王権現様の顔見に行くのも良いかと思ってよ、晴十郎は茶を啜って美味いと言う。
「いえ、ご用事は別の所にお有りでしょう、気を使って下さって嬉しゅうごさいます。」
気が向いた時にでも、お顔をお見せくだされば帰蝶は嬉しく思います、と、ニッコリ微笑む。十人いたら十人とも、まいってしまうんじゃねえかと思うその笑顔に、晴十郎、は片目を瞑って微笑み返した。
「そうだな邪魔したな、又来るぜ。於鍋も又な。」




