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狐稲荷千本桜  作者: 小栗雄十


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打出浜

「風光る桜真(おうしん)御幸(ごこう)道中傅狐、|水辺の香りに何ぞ想う、ってところかね。」

「ご隠居疲れて休みたいんならならそう言っておくんな、戯言で謎掛けなんかしなさんな。」

 東海道を京へと進み近江の琵琶湖の南端に位置する打出浜(うちではま)に辿り着いた。

 此処は明智左馬助の湖水渡りで有名だが、何と言っても木曽の最後の舞台でもあり、源木曽義仲と巴御前の別れの一幕、苛烈な振る舞いとうら若き乙女の胸の内に揺れる巴御前の情念が、相反しながらも絡み合う哀しくて胸が焦がれる話が今も残る打出浜だと晴十郎は思う。


「遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ。」

 怒号が響き渡ったほうを見遣れば、腰に大太刀を履きその手に持った滋籐(しげどう)の弓を掲げ、赤地の錦の直垂(ひたたれ)唐綾威(からあやおどし)の鎧のなんとも(いみ)なりな武者が、金の鞍をあしらった鬼葦毛(おにあしげ)の馬に鎧を踏ん張って立ち上がっている。

「昔は聞きけんものを、木曾の冠者、今は見るらん、左馬頭兼伊予守、朝日の将軍源義仲ぞや。」

 名乗りを上げたのは、今井兼平、樋口兼光、根井行親、桐生六郎を従えた源木曽義仲。その横に付き従うのは、今井兼平の妹御で義仲の愛妾、巴御前。

 そこへ追いかけてきたのは源九郎義経率いる鎌倉の軍勢およそ六千騎、対して木曽の軍勢は三百騎程。

「ただ今名のるは大将軍ぞ。あますな者ども、もらすな若党、討てや。」

 鎌倉の先頭に立つ一条次郎が、今こそが手柄を掴み取れと気勢を上げるところへ、木曽の軍勢がその真ん中を突き行って縦へ横へと縦横無尽に暴れ回る。が、多勢に無勢であるから数を減らしていった。

 追いかけられては踵を返して暴れること幾度、とうとう義仲の主従は五騎にまで減ってしまった。

「おのれはとうとう、女なれば、いづちへも行け。」

 義仲は巴御前を逃そうとするが、巴は首を縦に振らない。義仲は、もう最後なのだから討ち死にするつもりだ、その最後まで女を連れていたとなれば、この義仲の名折れだぞ、と巴を説き伏せた。

 普段よりそこらの男が束になっても敵わない女武者が、この時ばかりはハラハラと涙を流して悔しがる。

「最後の戦をして見せ奉らん。」

 巴は、追いついてきた鎌倉の十騎ほどの中で頭らしき男を見定めると、馬を当ててそのまま引きずり倒した。そして、その男の首を鞍の前輪に押さえつけてねじ切って捨てた。

 そのまま馬を何処かに走らせ落ち延びていった。

 その後の巴御前の行方は知られていないが、虎御前と同じ時を生きた人だから、虎御前と同じように義仲の菩提を弔って、その後の人生を全うしたことだと思う。


 黙って聞いていた東風(こち)の頬を一筋の涙が伝う。義仲と巴の結末を、自分と酒呑童子(しゅてんどうじ)になぞらえでもしたのだろうか。

 いつもは茶化す晴十郎も、この時ばかりは思うところがあったようで東風の肩をそっと抱き寄せた。

「晴十郎あんまりのんびりしてていいのかい、ここは奥津島比売命(おきつしまひめみこと)の縄張りだろうよ。」

「大丈夫じゃねえの、アレはそんなに暇じゃねえと思うけどよ。」

 真が、奥津島比売は怖いのなら私も喰われちまうのかいと聞いてくるもんだから、怖い御人で晴十郎も逃げ回っているのさとご隠居が脅かした。東風はそんな話は聞いたことが無いと言う。

「知らざぁ言って聞かせやしょう、神の御代(みよ)に人の(ごう)。」

 ご隠居がなんか調子づいて語り出したな。困るね、アレはあまり思い出したくねぇ話なんだがね。

 問われて名乗るもおこがましいが生まれは摂津和泉の逢坂で、父は朱雀で母は信太の葛之葉姫(くずのはひめ)次いで流れた稚児の京、そこで名乗るは()()()()()なんの因果か知らねえが戻橋を行ったり来たり、黄泉路の千引に跳ね返されて今生(こんじょう)に戻れるわけもなく辿り着いたは御前(ごぜん)の間、巡り合わせの出会いしは御上の姫君市杵嶋姫命(いちきしまひめ)

 神をも惑わす二枚目が姫の想いを知ってか知らずか袖にする、一夜二夜と泣き腫らしたのは市杵島姫、哀れと想い市杵島姫の姉君二柱が詰め寄るが、今しばらくあい暫くとこの罪深き二枚目の秋波送るは御上の斎王(さいおう)、とうとう怒髪の宗像女神に父の須佐、その時これより不倶戴天の睨み合い。

「宗像は道の神様だから眷属の道祖神にも毛嫌いされているのさ、この晴十郎の野郎は。」

「アレは受ける事も断る事も出来ねえ話じゃねえか、だいたい市杵島姫には別の男がいたじゃねえか。」

 それから此奴(晴十郎)は誰彼ともなく噛み付いて喰って掛かるもんで、アタシはハラハラしっぱなしで肝が縮み上がっちまう。だいたいこう見えてさアタシゃ偉いんだよ、本当なら晴十郎みたいな物言いする奴なんざいやしないんだよ。少しはアタシに感謝してもらいたいもんだよ。

「兄ちゃんは罪作りで()()()だね。」

「おい、どこで覚えたそんな言葉。」

「主はんには女子の気持ちなんぞわかりしません。」

 何処でどうなったかはオイラにも分からねんだけれども、オイラは確かに往生したわけだ。だけれど、黄泉路の途中で呼び戻されたってえ訳だが、黄泉返りってのは神様の都合でもかなり難しい話でな、末席の一柱に加わればなんとかしてやろうって話だから、じゃぁ、折角のお誘いお受けしましょう、と、そうした訳よ。

 そんで、オイラのお披露目の席に居たのが、その市杵島姫って具合で、オイラにとって余り良い話じゃない事になったのは多分その時じゃねえかな、()()()()()()()()()()()

 御上の娘で父親はあの建速須佐之男命(たけはやすさのお)だぞ、余りにも雲の上の神様だから畏れ多いこの上ないってもんよ。

 そらぁ少しは心が動いたよ、だって市杵島姫なんて名前だが所変われば弁財天(べんてん様)と呼ばれる御方だからな。(なま)めかしいしなによりものすげぇ別嬪(べっぴん)だからな。でもよ、取り巻きの旦那衆が沢山いてな、その中に入れなんてのはゴメン被りますと言ったわけだ。

 だけど、そうそう簡単には済まなくてな、市杵島姫には興味無いふりしつつ他の女子に粉掛けまくったんだが、それでも諦めてくれねえから逃げることにした。

 京の本社は往生間際の爺の姿で、オイラはこのご隠居(下谷様)に匿ってもらって神楽坂の狐稲荷になったというわけさ。江の島、上野不忍にまで追いかけられてきたのには肝冷やしたが、なんとか大事無いみたいだけど、近寄らねえことに越したこたぁねぇ。

 それから、市杵島姫とその姉ちゃん達とは折り合いが悪くてな、本当なら道祖神に頼んで道繋げてもらえば、質面倒くせぇ旅しなくて直ぐなんだけど、道祖神の親分が市杵島姫とその姉ちゃん達だから言う事聞いてくれねえのさ。

 そう言えば、爺の姿しか知らねえ東風が、今のオイラをよく分かったな。

「わかりますとも。うちを喚べるのは主はんだけどす。」

「おい、晴十郎、、真をやめさせなさい。」

 ご隠居が珍しく怒鳴るもんだから、()()と思ってそっちを見ると、なんとまぁ吃驚仰天の助、真が馬にまたがって琵琶湖に乗り入れちまっている。確かにこの打出浜は明智左馬助の湖水渡りで有名だけれども、あの話は嘘なんだよ。実際は、その横の道使って坂本に走ったんだ。

 それに湖水渡りするつもりなら、京に行くのに遠回りじゃねえか。

「真、危ないから戻ってきなさい。兄ちゃん肝冷やすよ。」

 神様になった真に危ないもヘチマもないもんだが、ああ、東風まで後ろに乗ってやがる。それにしても、その馬どっから持ってきたんだろう、参ったね。

 まぁ、二人してキャハハ楽しそうにしてやがるから、しょうがねえ、飽きるまで待ってもいいでしょうよ、ねえ、ご隠居。

 真が晴十郎に向けてニッカリ笑って目を瞑る。晴十郎の真似だけれども、片目を瞑るのが出来なくて両目を瞑った。

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