終い
「じゃぁ、京の都に参ろうか。」
晴十郎と真とご隠居と東風は、蛟とその娘とに別れを告げ京に向かう事にしたのだった。
ここまでの話は、蛟が、神君の詫びを受け入れた事で、話がすんなりと付いた。これで、山津波は無くなり、須佐之男命が蛟を討伐することも無くなった。無くなったと言えば、神君もいつの間にか居なくなっていた。それに気付いた晴十郎の顔は、悔しさが見て取れるくらいに歪んでいた。
オイラの真に無骨な剣を勝手に教えやがって。そもそもがだ、てめぇんところの縁者の不始末、オイラに押し付ける気満々だった癖によ、礼の一つどころか言い訳すらしないで消えちまいやがった、全くもって忌々しい。本物の狸親父は流石本物、偽物の狸親父なんかの倍太々しい。
「桜真様、鍋が煮えましたよ。此方へどうぞ。」
「なんだい、桜真様ってのは。うちの娘は真だよ。」
そう言ってご隠居は、誰よりも早く鍋の前に座り込み酒を呑んで、器によそえと催促をしていた。鱈と白菜の鍋で塩と鰹出汁で薄味だけれど、鰯のぬか漬けを焼いたのがあって、それで口が塩辛くなるのでその薄味が小気味いい。
東風と鬼ごっこをしていた真が、東風と一緒に膳の前に座った。鬼ごっことは言え、本物の鬼の東風が神の娘に追いかけられる、見方によってはなんとも洒落にならない遊びだけれども、当人達はキャッキャッと笑って楽しそうだ。
「私、神様になったの。」
そう言った真の顔をじっと見つめるご隠居は、チラリと晴十郎の顔を見て、チラリと東風を見て、また真を見る。
「そこの鬼子を従えたのかい、なんとなくだけれどそうじゃないかと思っていたよ。」
「違うよご隠居。真は蛟の旦那従えて桜真比売命の名で城の天守に祀られたのさ。」
真が神様に成った事と東風を戻橋から喚んだ理由を話したが、さっき出かけて帰ってきたら真が神様に成ったなんて信じやしないだろうと思ってたけれども、神様に成った事だけはすんなりと信じやがった。
「蛟様がそれで良いと仰られるのなら、アタシぁ構いませんよ。」
何、不満なぞ御座いませんよ、ここら一帯が平穏無事で静かに暮らせるのならば、誰が上で誰が下なぞ構いませぬ。骨を折ってくださった晴十郎様には只々頭を下げるばかりです。と、ご隠居と晴十郎に酒を酌みながら蛟は言った。
「よしておくれよ。礼なら桜真比売命の女神様に言っておくれよ。」
晴十郎は真の頭を撫でて蛟に言葉を返した。こういう時の晴十郎の顔つきは決まっている、したり顔で左目を瞑るアレだ。
「主はんは、知らへんでその顔をなさるんどすさかい質が悪い」
「なんだ、なんか怒ってるのか。」
「知らしまへん。」
晴十郎に鼻を摘まれた東風は、鰯を少し口に入れてその後に酒をクピッと煽る。真が私も呑むと真似したがったが、少しにしておきなさいよとご隠居が言う。
「この姉ちゃんはな、千年生きてる鬼女なのさ。だからよ、お前と違って酒なんか一升二升ぐらえ平気だから真似すんじゃねえよ。」
「人の事鬼やなんて非道い男どすなぁ。」
「この男にお前さんの気持ちは分かりゃしないよ。そういうところはトンと鈍い男なんだよ。」
なまじ顔が良いだけに質が悪いね、どれ、真とお揃いの簪をお前にくれてやろうとご隠居は囲炉裏の金串息をフッとかける。
「どれ挿してやろう、こっちにこい。真に何かあったら助けておくれよ、頼んだよ。」
「ほな喚ばれたら馳せ参じましょ。」
ところがだ、ご隠居には此処からが大変な話で、晴十郎を騙し通したまま熊野に行かなければならない。どうしたものかと思案の表情をご隠居から見て取れる。
「ほな主はん、頂くものをもろたさかいそろそろ御暇しようと思いますけど。」
東風がそう言うと、東風の袖を握ったまま離さない真を見て、晴十郎はそれなら暫く付き合えと東風に言う。
「一緒に京へ行こうか、送り届けてやるよ。熊野はその後で良いね、ご隠居。」
「ん、ああ、お前さんがそういうのなら、そうしようかね。」
ということで京の都に連れ立っていくことになった。
「真、京の都は桜が綺麗だぞ。お前も気に入るぞ、きっとな。」
この際だから会いたい御人も居るしね、と晴十郎。掛川に入るまでの晴十郎は面倒臭そうにダラダラ歩いていたが、今の晴十郎は少し感じが違う。
何か面白そうな物を見つけて走り出す真みたいに、浮き足だった感じがする。
それを見てホッとしたのはご隠居だ。熊野の事も忘れてないし西へ向かうと言う晴十郎を見て、つい、ニヤリと顔を歪めてしまう。
この分だと、熊野へ行って大人しく江戸に帰れるだろう、その後は倉稲魂命様に投げてしまえば良かろうて、という事を考えているのに違いない。
「桜真様が居られなくても、この地は私めにお任せ下され、御用が御座れば、なに、一言蛟と呼んで下されば、この娘を遣わしましょう。」
「蛟の旦那、そんなご自分を卑下為さる事を言わないで下さいよ。真が祀られたのは事実だけれど、ここら一帯の鎮守の氏神様は、今も昔も蛟の旦那でさぁ。」
蛟の物言いを嗜める、嗜めるってのは変な言い方だね、物言いに気遣うって言う方が正しいな、気遣う晴十郎ではあったけれども、この晴十郎、表の顔は切符の良い美丈夫なんだが、誰にも見せない様に努めている裏の顔は、疑り深くて直ぐに焼き餅焼いてしまう男だった。見せない様にってんだけど、普段の付き合いの旦那衆にはお見通しで、それ込みの晴十郎だ。
だから、ご隠居には晴十郎が今何を考えているのかお見通しなのだと思う。
おおかた、妹の真ばっかり可愛がられたり得をしているのが少し悔しいんじゃないかという具合じゃないかと。だって、ほら、晴十郎の顔が、じっとりした目付きになってるからねえ。
「晴十郎、お前さんはいつまで経っても目が離せないね。アタシはお前の味方だからね。」
晴十郎の背中をポンと叩いたご隠居は、そろそろどうだい、と皆を促した。
春浅しってところだけれど、じゃぁ行きますかね、御一行様方。




