落し所
「氏重、お前、氏神怒らせて辱めたと聞くが、どうじゃ、身に覚えがあるか。」
大御所が怒気を含めて氏重に問い質すが、元より自分が悪いと思ってもみない話なので、どうにもこうにもだったが、とにかく目の前の大御所の機嫌を直そうと必死に取り繕うとする。
「それが身共には覚えのござらぬ話でして、何でも池を埋めたのがいけないとか何とか、と。」
「お前様が池を戻せば済んだ話で御座いますが、怨敵退散と声を上げさせたのが腹に据え兼ねたので御座いますよ。」
晴十郎が口を挟む。東風がどこまでの案内で連れてきたかは分からねえが、大御所に掻い摘んで話す必要があると晴十郎は思った。
元は、此処らへんの民百姓達と雨桜の神様とを仲立ちをした人外で、そのことから信仰を集め氏神として長きに渡りこの地を安堵してきた御方だ。
その住処を壊しちまったのがいけねえ。まあ、城を傾けるなんざ蛟様もちいとばかしやり過ぎなところも無いわけでもないがよ。そこの所までは、蛟様も怒っちゃなかったんでさあ。
それを、お前様が坊主共を集めて、こっちで怨敵退散、そっちで降魔調伏、あっちで破邪顕正なんて、やっちまったもんだからよ、そらぁ、怒るでしょうよ。
だって、大きな蛇の蛟って言ったって、ここらを鎮護してきた神様でさ。
お前様、神様に喧嘩売ったんだから簡単に済むと思ったら大間違いだ。お城はおろか周りの罪のない民百姓まで、このままだと山津波に飲まれちまう。
蛟様がこの場に居ないのを不思議に思わなかったか。加持祈祷で弱っているとでもお思いか。
今は此方に御鎮座奉っている桜真比売命様のご神力で、蛟様をお鎮めいただいているんでさ。池を戻して、はい終わりって言うわけには、いかねえんですよ。それじゃぁ、オイラ達が出張った意味がねえ。
何より東照宮様が仲立ちを買って出てくれたのが、この話を裏付けるもんでしょうよ。
「これ晴十郎、少し言葉が過ぎるのではないか。」
真が口を挟んだが、これには晴十郎も吃驚仰天、口をあんぐりと開けて真を振り返って見て、それから顔を戻して平伏した。
「桜真比売命様、申し訳ございません。蛟様の御無念を思い御無礼を。」
おいおい、子供の真に窘められてしまったわ。怒られるよりしんどいね。
「では身共はいかように。」
「氏重、少しは自分で落し所を探ったらどうだ。それとも、腹詰めるか。」
大御所が氏重ににじり寄り、脅しにかかる。氏重は小さくヒッと悲鳴に近い音を立てた。
「では、では、桜真比売命様を城にお鎮め奉りまする。勿論池も直ぐにお戻し致します。」
「成る程、蛟様に頭を下げるのは嫌と申すのだな。お前は」
その時襖が開き宿直の者が何人か入ってきたが、その束の間、大御所が扇子をピシャリと畳に叩きつける。宿直の者は、何かが乗っかりでもしたかのように、畳にうつ伏せで押しつぶされ、喋ることも叶わず、ただううううと唸ってしまっていた。
「そうか氏重。神殺しの渾名が欲しいか。」
「そ、そんな。滅相もない。」
「では、蛟様のお怒りを鎮めるのに尽力を惜しまぬほうがいいぞ。」
このまま山津波が起こってしまえば、どちらにしてもお前じゃ掛川を治めるのに、無理じゃろうと幕府は言うぞ、蛟様をお鎮めしたほうがお前に利があるというものよ。
「ハッ、必ずそのように。」
「桜真比売命様、これで宜しいですかな。」
「蛟殿は妾の縁故じゃ、鎮めて下されるのなら、この上ない喜びというもの。ならば妾もこの地に留まり手を貸す事もやぶさかではないわ。晴十郎、これで良いか。」
「御意。」
オイラが、こう言えって通りに言ってやがるが、やぶさかではないわ、なんて真に言われっちまったら、首筋がなんかこうね痒くなってくるよ。
「氏重、約束を違えるでないぞ。一応お前は儂の甥であるから、一つ指南してやろう。」
お前、嫡子はおらんな、今直ぐにでも養子を取れ。いいか、直ぐにだぞ。
氏重にそう告げた大御所は、真と晴十郎に深々と頭を下げた。真は微笑み、晴十郎は左手の人差し指を立てて唇に当て、左目を瞑る。
三人の姿が霧に呑まれでもしたかのように、段々と消えていき居なくなった。
氏重は、ただただ、畳に額を擦り付けていた。
帰る道すがら、神君に手を繋いでもらっている真は、あれから上手くなったと思うんだけどと言い、棒っきれで構えて見せていた。
やっぱり可怪しいと思ってたよ、教えてもいない刀の構えをするもんだから。アレだな、駿府で実はウロウロしていやがったなこの古狸はよ。
「晴十郎様、この度はこの爺の顔をお立てくださり、誠にもって、、。」
「そう言うなって。ゴリ押ししないで済んだのはアンタのお陰だからよ。それと、もう一肌脱いでもらえないかな。」
「蛟様を説き伏せる役目でございますな。」
お任せくださいと言いながら、真の背中と肩の位置を動かして棒っきれを振らせる。
刀を振った後は、片足を少し引くのだそうだ。なんでも、斬り付けるには思い切り刀を振り下ろさないと肉に刀が食い込んで斬れないときがあるらしいし、相手も必死だから、そんな簡単に相手が倒れるわけではないらしい。
相手も反撃をしてくる、そんな相手に対峙するのだからこっちも必死だ。手違いを起こせばこっちが死んでしまう。相手ががむしゃらならこっちは無我夢中だ。
当然の事ながら、めいいっぱいの力で刀を振って勢い余って自分の足を斬りつけてしまう事がよくあるらしい。それを防ぐ意味らしいな。
振り下ろさない方の足を前に踏み込んで間合いを詰めて、一撃必殺で刀を振り下ろす、そうすれば自ずと逆足は引いた形になるじゃねえかって、言われっちまったらその通りだけれども、オイラに言わせれば似たり寄ったりだな。
オイラの剣は兵法の、虚を見せて実となし実を見せて虚となす、つまりアレだ、上手く誘い込んでザクリだ。だからこういう剛の技ってのはあまりよくわからねえ、侍っていう奴は、なんかこう、一か八かってのが好きみてえだな。
蛟の娘に手伝ってもらって、再度、蛟の縄張りに入った。
興奮している蛟が牙を向けるよりも早く、大御所がその場に土下座をした。
牙を抜かれるというのはこういう事だったのかと晴十郎は思う。案の定、蛟は伸ばした鎌首をスルスルと戻していった。
戻りきったところで、白髪混じりの男の人の姿に成り、大御所に歩み寄って肩に手を添え、立つように促す。
「その頭をお上げください。貴方様にそのような事をさせるのは、とてもとても。」
「今回の不始末、誠にもって申し訳御座らぬ。あの馬鹿が仕出かした事とは言え儂の一門、どうぞ責めてくだされ。」
そこな娘は愛宕様の娘で御座いますれば、仲立ちとして掛川城の祭神と成り申した。貴方様で無いのがご不満でしょうが、池は直ぐに戻させ辺りに社をもって、貴方様を御鎮座奉りまする事を約束させました。と、大御所は続けた。
「犠牲になるのは無辜の民。なればその怒りの矛先は北条氏重唯一人にお向けくださらんか。」
「貴方様の御尽力で目が覚めました、住処の池が戻ればそれで良いのです。此度に本意不本意はもう御座いません。」
大御所に手柄を譲った形になったけど、池が戻って山津波の心配はねえし、真は祀ってもらって神に成れたし、万々歳って事で良いんじゃねえかな。
この話には続きがある。今より半年ぐらい経った頃だ。
北条氏重は、何人かの供廻りを連れて馬で遠乗りに出ていた。
あの日の事がどうも眉唾だと、夢か現かはたまた妖か。宿直と一緒に眠り込んでいて、朝、目が覚めた。
平謝りの宿直に、昨晩の事を尋ねてみたが、よく覚えていなくて気が付いたら今目が覚めたという。身共も同じで夢であったかと思った。
夢とはいえ、大御所の神君家康公が夢枕で、城に桜真という神を祀り池を戻してその主を祀れと言う。
桜真を祀り池を戻したら、小さな地震が起きて城の傾きが直った。これは桜真が本物でその力で池の主を封じ込めたのではないかと考えた。
ならば、池の社は建てなくていいのではないか、と。それが約束違いとは思いもせずに。そう考えた時に、草薮から頭に手拭いで頬被りの一人の男が出てきた。
最初は気にも留めなかったが、少し可怪しい。供廻りが止めに入らず、見えてもいない様子だ。その男は氏重の馬の前に来ると頬被りをといた。
それを見て氏重はウッと呻いた。その男が、白い大きな蛇に変わってその場にドサリと落ちたからだ。
氏重の馬が悲鳴を上げたかのようにヒヒーンと嘶いて棹立ちになり、氏重を振り落とした。氏重はそのまま死んでしまった。
薄れゆく意識の中で、そう言えば早く養子を取れと大御所様が言っていたと思い出していた。
供廻りには白の大蛇の姿は見えていないから、馬が暴れて殿が落馬したと思い、馬を突き殺した。
その後、幕府は末期養子を認めてくれないので藩は取り潰しとなった。その理由が、氏重の乗った馬は家光が下賜した馬なのに、殺してしまうとは将軍家に弓を引く行為だと。下賜してもらった事実は無かったのにだ。
その次の掛川城主が最初に行った事は、あの池の辺に社を建てたことだ。
御祭神は名も無き大蛇だと言うことだけ分かっている。




