東風
北条氏重の寝所に押し入る少し前の話。
晴十郎は考えた訳だ。いきなり話を持っていっても到底信じねえと思うし、何より当の自分達のこと狐狸妖怪に決めつけられちまったら、進む話も進まねぇだろうよ。まぁ、狐といえば狐なんだけれども。
晴十郎は口元に指を一本立てブツブツと何か言い始めた。なんと言ってるのかは分からないが、両目も瞑って何かを唱えてるようにも見える。
「東風。」
そう言って瞑っていた目をゆっくりと開ける。晴十郎と真の目の前に、なんとも可愛らしいオカッパ頭で狩衣に袴を履いた童子が現れた。如何にも古風な出で立ちで、こんな格好はお公家さんでさえ酔狂の部類じゃないかと思う。オカッパの髪で隠れているが、額の端と端に小さな角が二本生えている。
手には竹箒を持っているが、それを晴十郎に向けてその童子が口を開いた。
「おや、主はん、うちを呼んだか。今掃除中やさかい後にしとぉくれやす。」
「東風、ちょっと頼まれ事をしてくれねえか。頼むよ。」
「嫌どす。こっちの主はんは良うしてくれはりますけど、あんさんは、うちの事をほっぽらかしどす。」
「そう言うなよ。オイラとおめぇの仲じゃねえか。」
「だいたい都におった時から一条戻り橋に放り投げとったくせに、今更なんどすか。」
「おい、茨木拗ねてないでいい加減許してくれよ。」
晴十郎は東風に片目を瞑って微笑んだ。それを見た東風は深く長い溜息を付く。
「茨木の名前はほかした、もう言わんといておくれやす。」
今は昔、京の都に六孫王の孫、源頼光なる剛の者あり。渡辺綱を筆頭に、音に聞こえた手勢をもって、大江山の酒呑童子を討伐せしむるとす。
立ちはだかる鬼どもを討ち伏せ、悪鬼首領の酒呑童子を組み伏せる。取りい出したるは、二尺六寸沸が波打ち妖しく光る漆丸。酒呑童子の首に突きつくれど歯立たず。
誉田別命、比咩大神、息長帯姫命、願わくは源氏の氏神たる八幡菩薩の御力を吾に授け給へ。
再び首に差し付けば、あやしスルスルと胴から首を離るるなりにけり。酒呑童子の下人は散々なりになりき、源頼光に背くこと能わず。
酒呑童子の情人、茨城童子は、我が背口惜しき極みに、その首取り戻すと願ふ。
酒呑童子討伐の祝賀の宴のたけなわ、渡辺綱の帰るといといへば、源頼光は漆丸の対なる宝刀髭切を持たせ帰しきなりけり。
酒に酔ひし渡辺綱が一条戻橋につきしに、渡辺綱の乳母出迎へ、綱の乗る馬の手綱を引けど、その力が余りにもこはく、あやしがりし綱が髭切に鞘ごと乳母の手を払へど、あやしき事に乳母の腕落ちにけり。正体を現しし乳母は茨城童子と名乗り、その場を逃げゆきき。
近くにゐたる安倍晴明の通りかかりしはその時に、その腕禍の元なりて吾が預からむぞと告げ立ち去りたり。
その茨木童子が東風のことだが、余程の因縁があることは確かなことだと思うけれども、どういう経緯で今に至るかは分からない。確かなことは。晴十郎と顔なじみと言う事だ。
「うちのこと忘れてそちらの可愛いらしい娘とおったらええどっしゃろ。」
「これはな、オイラの妹さ。愛宕様の匂いがするだろ。」
納得したのかしないのか、東風は持っている竹箒で晴十郎を一回叩き、それで用事は、と尋ねた。
晴十郎は東風の頭をワシワシと掻き回してその鼻を摘んだ。それは晴十郎が真をあやす時にする仕草だったが、東風にも効果てきめんのようである。
「久能山に使いに行って、そこの御仁を連れてきてもらいたいのさ。」
「渋るようやったら少し脅してもええどすか。」
「構わねえけど、やり返されるなよ。」
「あいあい。」
東風は返事をすると、踵を返して消えて行った。
とてもとても、久方振りの呼び出しなのにあいも変わらず仕事が早いねえ、相手の名さえ尋ねずに行っちまった、まあ、アイツなら大丈夫だろう。問題は此方の真様々だけども、上手くヤッてくれっかねえ。
真の頭を撫でながら、晴十郎は片目を瞑って真に微笑む。
「あのお姉ちゃんは誰なの。」
「んん、東風が怖くないのか。」
「大丈夫。あの子も兄ちゃんの妹なの。」
妹とはちょっと違うが似たようなもんだ。真を抱きかかえて、これからする事を一つ一つ言い含め、一つ一つ繰り返し真に言わせる。オイラの言った通りにしていれば大丈夫だからな。
「全部終わったらな、東風に遊んでもらうといいぞ。」
終わったら遊ぶと言うが、上手くいく保証なんか無い。それとも、晴十郎は予見でもして上手くいくと分かっているのだろうか。
幾ら神様でもそれは御都合が宜しすぎる気がしないでもない。だって、そんな簡単にいかないからここまでの大問題に成ったのだろうに。
「オイラが口上を述べるから真は伏し目がちに少しだけ微笑って背筋伸ばして座ってな。後は久能山の御仁が納めてくれるさ。」
「分かった。」
本当に伏し目がちとか微笑むとか分かったのかね。調子良いねこの子は。




