裏の起こり
蛟の娘に道案内を頼み出向こうとする晴十郎を、ご隠居は声をかけて引き留めた。何でも真を連れて行けと言う。
「おいおい、気が立ってる蛟の真ん前に真なんか連れていけるわけないでしょう。小田原の盗賊連中とは全くの別物、ご隠居ボケなすったか。」
「ボケたなんて聞き捨てならないね、このコンコンキチめが。」
ご隠居に言わせると、最早、真の神格は別として神通力は晴十郎を越えていて、晴十郎の妹ながら勝軍の妹で下谷と小田原の加護を持ち何より愛宕の娘でもある真なのだから当然の事だと。
本当かねぇ、真と会ってすったもんだしたって言ったって、まだ一月二月ぐらいしか経ってねえのに。
古歌にもあるじゃねえか、ちはやぶる神代も聞かず竜田川ってのが。神世の時代でもそんな事は見たことも聞いたこともないってよ。
「今まで都合よく物事が済んでしまってたからね、世の中には困り事が沢山あるって見せておあげなさいよ。」
本当にこの古狸は簡単に言うね。アンタは苦労しないけれど背負い込むのはオイラなんでぇ。と、思ったところで真見ちまったから、大変だ。ウズウズわくわくソワソワと落ち着きがなく、まるで尻尾をブンブン振り回す子犬みてぇに、上目使いでコッチを見上げてやがる。
「じゃ、真と行くとするかね。」
それを聞いた真は返事もそこそこに外へ駆け出していった。道も知らねえ癖に困ったものだ。
「おい真、そっちじゃねえ戻ってこい。こっち来て兄ちゃんの着物の裾握ってろ。」
「おい、下谷。晴十郎は行ったか。」
ご隠居の向かいの縁台にドッカリ座り、声を掛けてきたのは愛宕神社の火産霊神様だった。
「一寸ぐずりましたが、まあ、上手くやるでしょう。」
「しかし御上にも困ったものだ。晴十郎にやらせろと言うまではいいが、委細は伏せろって言うのは、気晴らしにしてやろうってことだろ。」
「ホムスビ様。森羅万象有象無象は全て御上の御技。」
御上の謀り事に差し出口じゃ全くもって畏れ多い、と続けた。
「元はここの娘が須佐之男に持っていった話なんだから、須佐の野郎が片付ければ良かった話だ。巡り巡って、晴十郎には面倒かけるよ。」
事の起こりはつまりこういう事だった。
蛟が怒りに任せてだいそれた事をしようとしているところまで同じだが、困り果てた娘が泣きついた先が雨桜神社の御祭神だった。
蛟の下へ生贄として差し出された娘の母は、とうに亡くなって今は居ないが、存命の時分に、蛟の恩と雨桜の恩を娘によくよく語って聞かせていた。その話の雨桜様なら助けて下さるのではと考えた訳だ。
当の雨桜様は、どんな結果になっても良いならば、力添えすることもやぶさかではない、と言う。どんな結果というのは勿論悪い結果という意味だが、他に手立ての無い娘は、どんな結果でも恨み言は言いませぬと返事をする。
この御祭神様は建速須佐之男命で御上の弟様に当たる御方である。時には尊称で呼ばれることもある尊き神々の一柱である。
ところが、千早振る武威の神様である為に、細かな差配は難しい。娘もどうなっても良いと言っているから、蛟を討伐してしまおうと考えた訳だ。
そして、須佐之男命の雨桜神社から北にいったところの秋葉山にある、秋葉神社の火之迦具土大神に助太刀を頼み込んだ。
だがその前に片付けなければならない問題が一つあった。姉である御上の機嫌を伺わなければいけないのだ。
神世の神代、御上と須佐之男の兄弟喧嘩のお陰で、天地は荒れに荒れて太陽までもが雲隠れしてしまう事があった。
もし、姉君の機嫌を損なってしまった時、同じ事が起こらないとは、誰も保証してくれないだろう。前の兄弟喧嘩の時には、終いにするのに八百万の神々の仲立ちが必要だったのだ。
そこで須佐之男は高天原の姉君を訪ねて事の仔細を相談することにした。元々が、縁のある蛟の不始末をこの手で鎮める事にした、と。
それを聞いた姉君は、待つがよい、と言ったわけだ。これが神君の話だったら、待つが松になっちまうが、まあ、姉君様にはどうやら違うお考えがお有りのようだ。
武威を持って平定と為すにはお前の力は雄大すぎる。過ぎればそれはお前の傲慢だ。事を治めるのに誰か遣わしたらどうか、駄目ならその時にお前が始末しろと言う。
そこで、誓約をすることにした。誓約とは、簡単に言えば吉凶を占う事だ。
そこで、姉君の考えが正しいということになった。
いつの間にかその遣わす役には晴十郎がいいという風になった。どうしてなったのかは、やっぱり分からわからないけれども、どうやら最初に晴十郎の名前を出したのが火之迦具土大神だったらしい。
そこで、色々巡って晴十郎の尻を叩くお役目にご隠居が当てられたという訳だ。このご隠居、稲荷とあるから倉稲魂命のことと思いきや、実は須佐之男命の御子の大年神様だった。正月に福を運んできてくださるあの神様の事だが、晴十郎の正月には面倒事を運んだという事だ。
勿論、須佐之男命が発端だから、大年神が晴十郎の守役に成ったのも、須佐之男命の縁者というのが関係しているのだろう。そして火之迦具土大神も、伊邪那岐と伊邪那美の御子の一柱であるから、大年神の叔父と言うことになる。
火之迦具土大神は炎を司る神様で、水神の蛟には少し分が悪いが、昔は音に聞こえた源氏の代々の頭領や、最近では名高い戦国大名達が、武運長久を祈願して刀を何振りをも奉納している武神でもある。
よく烏天狗の姿と同じに見られるが、三尺坊という山伏が白狐に跨がり烏天狗の装束でこの地で修行したことから、ごっちゃになったことだと思う。
かなり時代が降った話ではあるが、その時の天皇が、東京は神田の横の火伏せの原に、秋葉神社を創建して火伏せを祈願した。その時からそこは秋葉原になったと聞く。
「火産霊神様、いや、今は火之迦具土大神様ですな、真に下さった御加護がお助けくださるので、まず問題は無いでしょうね。」
「名前などどちらでもよいわ。まあ、お前達を巻き込んだからな。何もせなんだら、具合が悪い。」
火之迦具土大神のいくつかある別称の一つが火産霊神という訳だ。これは人様の都合なんだけれども、祭る神社で呼び名が変わるようだ。いづれも炎を司り火を従える神様だけれども、中身は一緒で凄く偉い神様ってのには変わり無い。
「さて俺は行くよ。晴十郎に見つかったら誤魔化すのも一苦労だからな。」
「始末の行く末は案じなさらぬので。」
全てが丸く八方収まるってことは無いにしろ、悪い結果になるとはどうも思えない。そんなことよりも始末の後、晴十郎をどう誤魔化すか考えておく事だな。
「まあ、熊野詣でも楽しむことだな、その後は王子稲荷にでも誤魔化して貰え。」
火産霊神様は高笑いをしながら消えていった。




