振袖火事
時は明暦三年徳川幕府将軍家綱の治世。その中で起こった明暦の大火所謂振袖火事は、江戸の町半分を焼け野原にしただけでは治らず、江戸城の天守閣をも燃え殻にしてしまった大火の事である。
本郷丸山にある本妙寺という寺で、若くして亡くなった娘の供養にと納めた振袖を使って、護摩焚き供養をおこなったそうだ。不動明王に向けて唱えられた真言が一回二回、ノウマクサンマンダ、ノウマクサンマンダと唱えられ、護摩木を一つ二つと焚べれば炎が大きく立ち上がる。
その時に白い灰になったはずの振袖がバサリと浮き上がり、炎をまとわり付かせた振袖が三つに分かれて飛んでいき、一つ目が本妙寺、二つ目が神田、三つ目が湯島へと火をつけた。それもまた運の悪い事に、はたまた偶然なのか必然なのか突風が吹き、あっという間にどうすることもできない勢いの火事になって多くの人々が逃げ惑う事しか出来なかったということ。
この振袖がかなりの因縁を持っていたということ。
麻布で大きな商売を営む遠州屋という質屋があり、そこに菊という年頃の娘が居た。この家は本妙寺の檀家の一つで、節々の行事によく本妙寺に顔を出していた。
これは本妙寺に行った日の帰り道にあったことで、母親と菊が二人連れ立って歩いていると、向こうの方からなんとも言えない武家の若侍がやって来る。なんとも言えないというのは褒め言葉で、色々人それぞれの好みはあると思うが、十人の娘が居たら全部がそうとは言わないだろうけども、十人近い娘が皆、すれ違う時に見惚れて振り返るであろうかと言う男っぷりの若侍だ。
背中に棒でも入れたかの様に軸のぶれないゆっくりとした足取りで、市中のことなど我関せずとでも言っているように感じる真っ直ぐの視線で、胸の所でこう腕組みをして歩いて来る。
薄い藍の荒磯の着流しで、腰に差してる大小で武家とわかった。
ご多聞に漏れず菊もやっぱり振り返ってしまう。そして若侍を見てしまった途端、視界の端がチカチカとしてその若侍が物凄く眩しく見えた。周りの物音が消え時間が止まり風が止む。
これが一目惚れというものか、菊はポカリと口を開け若侍から視線を外すことが出来なくなって、ただただ立ちすくんでしまう。
若侍を目で追ってしまい立ち止まったままの菊を見た母親が、どうしたのと声を掛けたところで引き戻されて、かき消された周りの音が甦る。
そこでハッとして気付いた菊は顔を真っ赤にして母親に付いて家路についた。どうやって家に帰ったか朧げでよく覚えていないが、なんとか家に辿り着いた。
さあ、そこからが大変だ。
寝ても覚めてもあの若侍が頭に浮かんで瞼の裏に散らついてくる。所詮はお武家と商家の身分違いゆえの叶わぬ恋と、ため息一つついてはしゃがみ込み、ため息二つついては畳に突っ伏してしまう。段々と食事も喉を通らず水を飲むことさえためらってしまう様子。そうなったら、声もか細く息も絶え絶えとうとう寝込んでしまった。
それを見た父親と母親は、これは恋煩いにしては度が過ぎているが、ほっておいたら取り返しの付かないことになるのではないかと、方々に人をやって件の若侍を探して連れて来る事にしたが、いかんせん本人を知っているのは当の菊だけなので、色々人に尋ねてみるものの、どこの某かはどうしてもわからない。
当てずっぽうでこの男かこの若者かと目ぼしい者を家に連れて帰るが、当然ソレは違うアレは違うという返事だけ。最後の方は、荒磯のお方とうわ言を繰り返すだけとなった。
荒磯とはその件の若侍が着ていた着流しの柄で、波打つ水面を鯉が跳ね泳ぐ柄のこと。立身出世を願う図柄だ。
父親と母親はあまりにも菊が不憫で可哀想だと、その荒磯の柄の振袖をあつらえた。袖を通すまで元気になってもらいたい、恋の成就の願掛けも兼ねての願いからだったが、願い空しくとうとう菊は、息を引き取ってしまった。
菊の棺桶にその荒磯の振袖を打ち掛け、本妙寺に供養を手厚くお願いしたが、その振袖を寺男が売り払ってしまう。供養の済んだ供物は収入のない寺男の唯一の手段なので、これはこれで仕方のない事。
とある娘の手に渡るが、なんとこの娘恋煩いで亡くなってしまう。やはり本妙寺での葬式になり、又、寺男が売り払う。
そして再び違う娘への元へと行き、恋煩いで亡くなってしまう。最後は、荒磯とうわ言を繰り返していたそうだ。
その振袖を処分する流れで遠州屋の店先に持ち込まれた。
なんとこれは亡くなった菊の為にあつらえた振袖じゃないかと、菊は家に帰ってきたかったのかと、それともまだこの世に未練があるのかと、様々な色々な思いが両親の口から出ては消え出ては消え。
でも、いつまでもこの世に居ないで早く成仏を果たし生まれ変わって欲しいと願い、再び本妙寺に持ち寄り供養してもらう事にした。
びっくりしたのが、その振袖を見た寺男。三度四度と持ち込まれ、しかも持ち主が皆恋煩いで亡くなったと言うではないか。これは奇妙な因縁だと寺の住職にかくかくしかじかと経緯を話せば、住職は膝を叩きながら、これはこれは大層な成仏祈願と供養が必要だと、境内の庭に祭壇を拵えて、護摩焚き供養を行った。
それで江戸市中に火が付いて、江戸は燃え殻になってしまった。




