面倒事
掛川に着いたがどうしたものか。目当てのあの娘は、どうせ見つかりやしないだろう。
風任せに歩いても同仕様も無いのはわかっちゃいるが、このまま大人しく熊野に行くのも、悔しくて癪に障る。
「おい晴十郎、お前さん気付いてるかい。」
「うん、腐ったような肥溜めみてえな嫌な臭いが少しするな。」
風向きが良ければ偶に潮風が吹いてくることもあるが、南は昔に徳川家康と武田勝頼ががっぷり四つに刃を交えた高天神城があった山があり、北は天竜川の源流の渓谷のある山々がそびえて、雪が降ってもあまり積もることもなく、西からの空っ風がいつも吹いている。
その風に煽られて、何度か山火事があったらしいが、天竜川よりずっと北の方に御鎮座されている秋葉神社の火之迦具土神様、その御方の火伏せの御加護で大事に成らずに済んだと聞いている。
ヒノカグツチ様ってのは、国生みの伊邪那岐、伊耶那美の二柱の神様のお子様で、火に関してはこれ以上ない御加護をお持ちの神様だ。
実は、愛宕のホムスビ様のことでもある。お名前が違うのは、どういう事情かよく分からないし、神様の都合を聞くことは叶わないし突っ込んでもいけない。そういうもんだ。
その空っ風が時々止む時に、なんだか少し臭う。気にしなければ何ともないが、気がつくとクンクンと鼻を鳴らしてしまっていた。
狐だから人様より臭いに敏感のせいかもしれないが、普通、町中でするような臭いじゃない。
キーン。
刀の鍔迫り合いの様な金属音がした。と、思ったら、ここは既に別の場所。
周りに商家や旅籠屋が建ち並んでいたはずだが、跡形もなく、その代わりと言っちゃああれだが、真ん中に、ポツンと茶店がある。
「こりゃぁ、捕まったようだね。」
「ご隠居、真をお願いしても。」
誰かの縄張りに引きずり込まれたらしい。縄張りっていっても、ダイナリの兄貴のときのような目が届く地域の縄張りとは訳が一寸違う。
王子稲荷の倉稲魂命様の神域のそれに近い。人様で言ったら、城の大手門潜ったその中ってことだな。
好意で呼ばれたのならよろしいが、悪意で引きずり込まれたのなら、余り良い話じゃない。晴十郎達が神様つったって無傷で此処から出るのは難しいだろうよ。
茶店の入り口の戸が大きく開いていて、その横に女が一人、頭を垂れて立っている。
その女が口を開いた。少し低く囁くような小声だが、はっきりと聞こえよく通る声だった。
「其処に居られる方々はご高名で光輝な御方とお見受けいたします。」
「そちらこそやんごとないご身分の何処かの女御様とお見受けしますがね。」
女御と呼んだのは晴十郎なりの皮肉である。女御とは、摂政関白を出すことのできる家柄の息女のことで、つまり皇后候補のことだ。その様な家柄の御息女が供も付けずに、一人居る訳がない。
「此方で一服されては如何でしょうか。ついでと言ってはなんですが、この私めの話を聞いてやっては頂けませぬか。」
「聞いてやってもいいが、訳分かんねえ話なら、お前さん後悔するよ。」
何をどう後悔するのか分かんねえが、晴十郎は少し凄んでみせたが、なんてったって晴十郎はかなりの美丈夫だ、凄んでみせたものの余り効果は無い。水も滴っちまうってもんよ。
その晴十郎を見て、こういうときは勝軍地蔵菩薩のほうに軍配が上がると思ったのかどうか分かんねえけど、真はニッカリ笑う。
まだ相手が敵か味方かも分かんねえのに真は呑気だ。
「実はお願い事が御座いまして、その事でお引き留めした次第で御座います。」
ほらきた。ここんところ、オイラが割り食うことばっかりじゃねえのかよ。しかもほら、このオイラ達を捕まえるだけの力を持った奴が、自分じゃ解決できないってことだろ、そんな話はゴメンだね。晴十郎の顔は渋柿食ったみてえに、みるみる歪んでいく。
「じゃぁ話だけでも聞きますかね。ほら真、喉渇いたろう、お茶を貰おう。」
ご隠居は、晴十郎のことなんか目もくれずに、真の手を引いて茶店の奥へ入っていった。
つっ、あの狸親父何してくれてんでえ、話聞いてそれで仕舞にゃ出来ないだろうによ。面倒事は全部オイラにやらせるくせによ、荒事だったらどうするんだよ。
「しょうがねえ、邪魔するよ。」
仕方なく店の奥の方へと入っていく晴十郎の鼻息荒く、顔がますます歪んでいった。
「私は蛟の娘で御座います。」
ひやぁぁぁと真は悲鳴を上げる。ついこの前、蛟に姫が食べられる話をしてたもんだから、自分も食べられてしまうと思ったのだろう。
「馬鹿だねぇお前は。お前は姫じゃないよ。」
安心したのか、真はご隠居にニコリと微笑む。
なんだかこの子は育つのが早いねえ。この前まで大きな口開けてニッカリ笑ってたくせに、今じゃニコリと科をつけていやがるよ。女の子ってのはこういうものなのかねえ。
ご隠居は一寸困った表情で茶を啜った。
「お伝えしたい事は、その蛟の事でございまして。」
「退治するの、でもお父ちゃんなんでしょ。」
「大人の話は仕舞まで聞くもんだよ。ほら、晴十郎の兄ちゃんは黙って聞いているだろう。」
どれ、爺の膝の上に座りなとご隠居は真を引き寄せた。
これ、あれじゃねえか、真の躾のフリして、オイラに押し付けようとしていやがんな。段々、古狸の遣り口がわかってきたわ。上手く断らねえとオイラだけが汗かく羽目になっちまう。
騙されねえとばかりに、目を細め腕を組み、丸め込まれないように注意深く話を聞く。
しかし、晴十郎はこれでも立派な神様なのに、丸め込まれるってのは可笑しな話だ。けれども、この旅自体がご隠居達に丸込まれてるってのは薄々勘づいている事だから、これ以上は騙されねえと思っているのであろう。
「父が怒りに焼かれて私めの言葉を聞いてもくれないのです。」




