良い話
「兄ちゃん帰ったよ。」
「楽しかったか。」
「うん、柿も栗も無いのに松ばっかりで待つがいいなんだって。」
真、足を洗ってお拭きよ。ご隠居は何時神君のことを言うのかヒヤヒヤして、真の気をそらそうと洗い桶を突き出したが、なんの真は委細承知なのか、片目を潰れないから両目を瞑って口に指を立ててシィーとやってみせた。なかなかどうしてしたたかになりそうで末恐ろしい。
「丁度、うどんが煮上がったところだ。」
そこに、昆布と塩で取った出汁をかけ、またまたその上に、煮返しで煮た鴨の肉を卵で閉じた物をかけると、得も言われぬ香りが鼻の奥にガツンとくる。
「鴨と卵と一緒に喰うと塩気の塩梅がいいはずだ。」
「この細切りのうどんっていうのは美味いもんだね。前は生煮えの団子みたいなもんだったから、あごがくたびれたもんだったよ。」
うどんをズルズル啜り、葱は無いのかいとご隠居が言えば、晴十郎は、ちゃんとあるよって斜め細切りの葱をご隠居の器にどっさりとかける。
そこに、雪で冷やした酒をかっ喰らう。自然と笑いが溢れてしまうが、それが答えってもんだろうよ。
「晴十郎。まだ草鞋を脱いでおくのかい。」
ご隠居と真が庭で神君と話を交えてから二日ほど経ち、いつの間にかダラダラし始めた晴十郎に真がベッタリくっついてる姿を見て、ご隠居は不味いと思ったのか、やんわりと、だけれども確実に出立を急かす。
「そうだね。弥生の前には掛川に入りたいね。」
「そうだろうともさ。今行くと丁度いいんじゃないのかい。」
「真はどうだい。駿府はもう飽きたかい。」
真を見ると、棒っきれを両手で刀の様に構えている。腰を少し落とし左足を後ろに右足を前に、いわゆる水の構えってやつだな。丹田あたりに力が入りすぎの様な気がするが、なかなかどうして様になっている。
んん、待てよ、あんな構え教えたっけかなと晴十郎は思う。
それもそのはず、晴十郎の剣筋は京八流と呼ばれる流派で、今頃では途絶えてしまっていて遣い手は居ない。元々は晴十郎が鞍馬山の鬼一法眼に、つまり鞍馬山の天狗の事だが、に教えた後に八つに分かれてそれが京八流と呼ばれるようになった。鬼一法眼が八人の仏法僧に教えたから京の八流ということになっているが、幾つか教えたうちの八つの流派が残ったということが、本当のところだと思う。
九郎判官の鞍馬流だったり、宮本武蔵と対峙した吉岡流の吉岡道場も、この流れを伝えていたそうだが、やっぱり本家同様廃れてしまっている。
余り大振りな刀は用いず、二尺前後くらいの小太刀等を好んで用い、主に相手の懐に飛び込んで斬り付ける所作が、多々使われていたようである。
片手で振り回す事や奇抜な動作で立ち位置をクルクル変えるような剣術は、正にこの前晴十郎が見せた剣術だと思う。
それが真を見るとどうだ、目の前にいるであろう相手から目を逸らさず、正眼つまり水の構えで切っ先を相手の喉元に突き付けている。古流の構えではなく当代の武家の構えだ。
実は晴十郎にバレないようにコッソリと神君に手解きを受けていたから、自然とそういう構えになっていたのだ。
「うん、私はどっちでもいいよ。兄ちゃんと一緒にいることなのは同じだからね。」
目の前に棒っきれを打ち込みながら真は言った。自分の事をオイラではなく私と言うようになったのも神君の教えなのだろう。
真の様子がなんかおかしいが、それもこれも男にはわからない娘も事情だからと思うことにした。
「じゃぁ明日の朝にでも出掛けるか。」
まだ暗いうちから駿府城を後にして掛川に向かう晴十郎とご隠居と真の三柱。
見送ったのは源九郎と物陰に隠れた神君の二柱。
「源九郎殿、ご苦労でしたな。」
「いえ、とんでもございません。晴十郎様に恩のある身の上ですのでお相手させて頂くのは誉れで御座います。神君様こそよろしかったので。」
「なに、ワシは黙っておけぬからこれで良かったと思いますぞ。」
「なるほど。さるお方からのご指図とは言え偉いお方は酔狂な遊びを好むようですね。」
「まったくですな。」
ささ、神君様、お寒いですから酒でもいかがですか。そう言う源九郎に、付き合ってもらいますぞと神君が、源九郎の背中に手をやって連れ立って城の中へ戻っていった。
道中、真を退屈させちゃいけないと思ったのかどうなのか、晴十郎は昔話をポツリと始めた。
「昔の事だけれども、何とかって長者がいてな。」
長者ってのは、今でいったら大店の主人とか庄屋や名主みてえなもんだけど、その時は、その所々の地侍の頭領とかも含めてなんだが、まあ平たく言えば、奉公人抱えてる大きな家の主人ってところってもんだな。
そこに若くて綺麗な姫がいたんだな。
これも、今と昔じゃ微妙に意味が違っててな、姫は姫で間違いないんだが、昔は若くて綺麗な娘は貴賤の別無く、みんな姫だ。今じゃ、お殿様の娘しか呼ばねえがな。
晴十郎が真になんか話をし始めると、時々、難しい言い回しが入るが、ご隠居が真に噛み砕いてこれそれはこうだと説明する。今も同じで、横で聞いてる分にはどっちがしゃべっているのか分かんねえくらい矢継ぎ早だけれども、晴十郎とご隠居の阿吽の息継ぎで、上手い具合に話が進んでいく。
「ある時に、散歩に出掛けて池の側を歩いたら、そこに住んでる蛟に喰われてしまったんだ。」
龍神の子供を蛟と言ったり、蛟は修行して雷に打たれると龍になるとか聞いたことあるが、まあよくわかんねえけどもよ、龍の手前ってところじゃねえか、蛟ってのはよ。大体、どんな修業したら龍になれっかなんて皆目つかねえ。
「その話を聞いた長者は吃驚しちまって開いた口が塞がらねえ。」
こういう時の身内ってのは、大体がサメザメ泣きはらすってのがよく聞く話だけれども、長者はここの所がだいぶ違ってた。姫の無念を蛟の退治で晴らそうとした。
ところが相手は水の中に居るもんだから、なかなか手を出せない。
自分ところの人間に、刀握らせて水の中に行かせたら、逆に喰われてやっつけられてしまう。
必死に考えて思いついた手が、熱く焼いた石をどんどん投げ入れ煮立ててしまおうと。
煮上がらなくても、池を埋めて閉じ込めることができるんじゃないかと思ったのかどうかだけど、結局、池は煮上がって、蛟は死んでメデタシメデタシって話だ。
「これはな真、蛟って言っても、人外は人外で神の下座に居るのに、悪い事をすると人様にやっつけられちゃうよってお話だよ。悪い事をすると因果応報の報いを受けるからね。」
何が良いか悪いか直ぐにはわからないと思うが、普段から、言葉の言い回しや姿勢を正すんだよ、いいね真。ご隠居が、最後を良いお話でまとめ上げた。
そんなつもりで言ったんじゃないんだが、ただ、黙って歩くよりかは良いかと思ってだけれども、美味しいところをまんまとご隠居に取られた気がする晴十郎。
やっぱりご隠居は狐に悪さする狸だわ、それも古びた狸。
そうこうしているうちに掛川の宿に入った。
雪が溶け道がぬかるんでいるところが目立っている。ついこの前まで寒かったのだが、梅の花の香りが鼻の奥をくすぐる季節に相応しく、陽の光が暖かく差し込んでいる。




