神君
「んじゃぁさ、今日はオイラの包丁捌きをおがましてやるってもんさ。」
粉に挽いて水で丸めた小麦をこねくり回している晴十郎は、その粉で辺りを真っ白にした。隣で源九郎が、醤油と酒と砂糖で煮返しを仕込んでいる。
ご隠居が、少し時間が掛かりそうだから、駿府のお城の見物に行こうと真を連れ出した。
大きな庭に、大きな池と小さい池が太鼓橋で繋がっている。絶妙な具合で松が植わっていて、ちょっとした目隠しを作り、またその松と他の植栽との対比が空間を大きく見せて美しい。
今は雪の白化粧だが、青葉の頃合いもまた美しいのだろう。
「何で松ばっかりなの。栗とか柿とかあったら良いのにね。」
ご隠居に手を引かれた真が言うと、不思議な事があるもんで、池の端にいる老人が答えた。
「前に江戸城の庭に何を植えるかと聞かれての。」
だから、ワシは待つがいいと答えたんじゃが、それを聞いた者が勘違いしよっての、松が良いと思ったらしいのじゃ、それから江戸もこの駿府も松ばっかりじゃ。と言ってきたのだが、ご隠居と真の姿を見ることが出来ないはずだし、喋る声も聞こえないはずなのにだ。
「こりゃぁ神君様これはどうも。」
ほれ真もシャンと挨拶おしよ、とご隠居は真に頭を下げさせる。
「この娘は愛宕様の眷属さんですかな。」
真の羽織っている打掛がホムスビ様の御神気を纏ってるもんだから、神君はそう思ったらしい。
「いやいや、元は平塚の方で悪さしておった付喪だったのですが、縁あってホムスビ様の加護を頂いたのですよ、どちらかと言うと晴十郎の奴の身内でしてね。」
ご隠居が小田原の盗賊始末を掻い摘んで神君に話すと、真は兄ちゃんはこうだったんだって、落ちてる枝を使って立ち廻りを演じた。
「ほう、晴十郎様のねぇ。」
それは良かった。あのお方にはワシも昔ご縁があっての、と神君。調子の良い真は自分の事を可愛がる者には鼻が利くので、すでに神君の手を掴んで離さない。
「気が向かないと何もしてくださらなんだが、気が向くとトコトン付き合ってくださるお方だ。」
珍しく晴十郎を褒める話が出ているので、晴十郎は今頃くしゃみしまくっているのに違いない。
真は、一寸離れては神君に体当たりしてキャハハ笑い、それが楽しいのか何度も繰り返す。
「これ真、勝軍の力で体当てなんかしちゃぁ、神君様がまいっちまうよ。」
「ハハ、このくらい元気が良いほうが。そのうちに加減を覚えますよ。」
「これで将来は、意味も分からないくせに木花咲耶になるって聞かないんですよ。」
ホムスビ様に頂いた桜色の打掛が、桜の花の女神でもある木花咲耶を感じさせるような気がしてきたが、まだまだやんちゃの真だから、随分と時間がかかるに違いない。
木花咲耶を感じさせるのだとしたらホムスビ様は大した御方だ。何しろ、打掛を羽織った真を見て晴十郎が天宇受売か木花咲耶かと言い出したのだから。真の行く末を見抜いたのか導いたのか、それとも偶然だったのかはわからないけど、そこには神様の意図ってもんがあるんだろうよ。
真は、自分の事を言われているのに気付いていないのか、又、棒っきれを振り回していた。
「神君様はお顔をお見せになっては下さらぬので。」
「それがやんどころのないお方からの頼みとはいえ、晴十郎様に内密に運べとは、ほれ晴十郎様には口を割ってしまいそうでしてな。」
なるほど、それも最もなことで。バレたらアタシらの愉しみがへってしまいますからね。とご隠居が答える。
どうやら、皆が皆グルになって晴十郎を騙そうとしているのは確実のようである。古狸と狸に化けた狐が笑い合った。
神君は手頃な枝を手折り真のやっとうの相手をした。あの血生臭い時代を生き抜いたお人の剣筋だから、ゆっくりだけれども打ち据える時は素早く的確に、真は腕や腰に手ほどきを受けてしまう。真ではまだまだ太刀打ちなんかできやしない。
「ほれ、相手の刀を受けたら駄目だ。受けることなく打つことじゃ。」
目を逸らしたら駄目だ、真直ぐ見据えてると光る所があるから、そこを稲光のように打つ。言うは易し行うが難しだ。
「悔しい、負けちゃう。」
「真様は筋がよろしいから、直ぐに上手くなりなさるよ。」
半ベソ描き始めた真を神君はなだめる。
「本当、やっぱりオイラは凄くなるんだね。」
「神君様が持ち上げてくれてるだけだよ。勘違いするんじゃないよ。」
「ホッホッホ。本当に凄いのは晴十郎様で、貴女様はその妹御だから周りが持ち上げる。」
晴十郎様の妹御になったから、愛宕様だって菩薩様だって守ってくださるものです。だから、貴女様は妹御としてその隣に並べるように、精進せねばいけませんな。
神君は真の頭を撫でながら、こう言葉を繋げた。
「分かった。オイラ頑張る。」
「おい、真。」
ご隠居が珍しく真を睨んで、怒気を含んだ呼び方だったが、すぐにそれは別の意味だったときづくはずである。
「ごめん、オイラじゃなくて私だったよ。」
ご隠居の険しい目付きは直ぐに溶けて、何時ものニコニコとした爺の顔に戻る。
晴十郎の奴はなんにも考えずに妹にしちまったが、躾は人任せにぶん投げて、お美味しいとこだけ持ってくね。ニッカリ笑う真を見て、まぁ、それも悪くないと思うご隠居ではあるが、せめて笑う時は口を閉じてニコリとして欲しいと思うばかりである。
そのうちに自然とできるようになるだろうか。
晴十郎の片目をつぶってニヤリと笑うあの仕草を真似て、片目をつぶろうとしてるが出来なくて両目をつぶる真を見て、先に色気が出ちまうんじゃないかと、ご隠居は溜息をつく。
「晴十郎が待ってると思うから、そろそろ帰ろうかね。神君様にご挨拶をしなさいな。」
「神君の爺ちゃん、またね。」
これ、爺ちゃんじゃないよ、神君さまだよ、このままだと爺が千人出来ちまうよ。自分の事を可愛がる人の懐に入るのが、恐ろしく早く天才的だ。
これに色気が付いたら末恐ろしい。傾城傾国の九尾の白狐ってのが昔にいたが、それに成っちまったら、アタシが偉い神様達に、偉いことを仕出かしてくれたねと怒られちまう。
「ホッホッホッ、晴十郎様には内緒にしてくれますかな、今度会った時の愉しみが減ってしまいますから。」
見送る神君の視線を、真は分かったと返事をしながら、ご隠居の手を引いて背中で受けた。




