泰山府君
「泰山府君ってお人は、やさしいのかな。」
「そうとも、とてもお優しい神様なのさ。」
晴十郎は真に昔話をしてやることにした。別に何かを思ってしたことじゃない、自然と泰山府君の話が口から出ていた。
「昔な。オイラがまだ人だった頃の話だ。」
晴十郎は人だったのかい、それで神様になったんだったら、オイラも木花咲耶になれるね、と真は鼻高々に言う。直ぐに調子に乗るところが可愛いねとご隠居は目を細めた。
「淡海乃海の方にでっかい寺があってな。そこの偉い坊さんが身罷りそうになってな。そこの弟子連中がこれは大変だとオイラの所に懇願しにきてな。」
丁度良い塩梅の石に腰掛けたご隠居は、足をブラブラさている真を膝にのせ、晴十郎が時々する難しい言い回しだったり言葉だったりを、晴十郎の話の邪魔にならぬように、真に耳打ちする。それを真は、ウンウンと頷く。
「自分ところで加持でも祈祷でも読経でもすればいいじゃねえかと思ったけどさ、泰山府君祭の儀式を行ってくれって言うもんだから、ああ、これは只事じゃねえ真剣な話だなと聞くだけ聞いた訳だな。」
今の話とその後に続く話を繋げると、こういう事らしい。
京の都からほど近いところに、立井寺という格式の高い寺があり、そこに知興という坊さんがいたが、流行り病に罹って生き死にの際までいった。
見るに見かねて少空という弟子が、晴十郎に、何とかなりませぬか、なんとか助けてくださいと懇願したのだそうだ。晴十郎はそこで、生き死にの話だから生半可な術では無理だと思い、陰陽道で一番の泰山府君の御力を借りる事にしたが、病そのものが無くなるわけでない、病を移す身代わりが必要だと言うと、そのお役目私めにお任せ下さい、それでお師様が快癒されるのならば本望でございます、と少空は言う。
その覚悟を本物と見た晴十郎は泰山府君祭の儀式を執り行うことにした。
かくして病は少空に移り知興の命は助かったわけだが、今度は少空が、七転八倒に苦しみだした。つまり儀式は成功したわけなのだ。
そしたら、壁に掛けてある不動明王の絵軸が、血の泪をツツツと流し始めた。どうやら絵軸の中の不動明王が、日頃から不動明王への信心深いこの師弟を助け、身代わりになろうと言うことらしい。一筋二筋と泪を流すと、とうとう少空の具合が良くなった。
さあ、ここからの話が少し具合悪い。晴十郎には少々よろしくないことだったからだ。
「オイラは焦ったわけだ。何しろ、神様仏様の都合と言えど、泰山府君の儀式を不動明王が横紙破りで二人とも救ってしまったと言う事だ。」
儀式の失敗ということになっても仕方ない話になってくる。失敗ということは、儀式を執り行った術者に何かしらの罰があるかもしれないということだ。
「で、どうしたの。泰山府君様に謝ったの。」
「当時は人なもんだからな、お会いすることは無理なことで、そもそもお姿を拝見することすら無理なのさ。」
うわ、晴の兄ちゃん大変だ、オイラが代わりに謝ってくるよ、慌てだした真をご隠居はなだめる。そんな昔の話もう終わった話だよ、続きを聞きなさいな、と。
「それがな、何にも無かったのさ。」
人を辞めて狐に成った後、お会いすることがあってな、その時のことを聞いてみたんだけれども、いちいちそんなことで激怒していたら私を慕う者がいなくなってしまうと笑って終わりさ。
「だからな、懐のでっかいお優しい神様なのさ。」
この話はここだけで後は内緒な、と晴十郎は唇に一本指を立てた仕草をし、言うなよと真に促した。
一服代わりの昔話で少し休んでいたが、雪がチラチラと降り始めてきたので、泊まるところを探す為に先に進むことにした。まあ、人ではない三人なのだから慌てることはないけれども、そこはほれ、全部ご都合良くしていたら、旅そのものが馬鹿馬鹿しくなる。
晴十郎の後を、真の手を引いたご隠居が続く。雪がチラつく様は、周りの木々が少しずつ白い着物を纏始めているようである。それとも白に飲まれて無に還るのだろうか。
神世は真に不思議なもので、生の境も死の淵もとてもとても曖昧だ。生きている者が動きもせずに、死んでいる物が喋りだす。
雪と木々の舞台も息吹の始まりではあるけれども、神世から眺めていると時々、訳が分からなくなることがあって、頭がグルグルする。
「やっぱりそうだ。晴十郎の兄さん。」
少し先の木の根元から、晴十郎を呼ぶ声がする。見れば、うずくまっている黒の狐が首だけこっちに向けていた。
起き上がってきたが、そのままの狐じゃあなくて人の姿に化けた。化けたのか成ったのかどちらでもいいが、晴十郎の知り合いってことは、神世の理屈の狐だろうよ。
全身黒尽くめの直垂姿ではあるけれども、平安から鎌倉に見かけた古風な様式で、今の直垂姿とは少し違う。
「おめぇ、源九郎か、や、源九郎じゃねえか。じゃぁ、此処はもう駿府か。」
「もう少し先ですが。でもチョイと行けば駿府のお城で御座いますよ。」
晴十郎の気配がしたから出向いて来てみた、もしそうなら捕まえて酒でも呑むつもりだったと言う。
「じゃあ、雪の具合を見ながら二、三日やっかいになるとするか。ご隠居もそれでいいですね。」
「仕方無いねぇ。じゃあ真、一緒に風呂に入るか。」
晴の兄ちゃんは、と真が聞くもんだから、じゃあ、みんなで入るかと真の鼻をつまんだ。




