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狐稲荷千本桜  作者: 小栗雄十


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九頭龍

 晴十郎とご隠居と真の三人は、正確には三柱、また草鞋を履いて西へと向かう。

 あれから二、三日大稲荷神社に逗留して、朝から晩まで大騒ぎしていたが、本来の目的を思い出したのだ。

 旅は道連れ世は情け、あれから真が増えた旅路ではあるが、なんてことは無い。特別珍しい話があるわけでもないし、騒ぐような出来事なんざ、あればあったで困ってしまう。

 晴十郎は片手で真を抱きかかえ、真はそこにチョコンと収まって、棒っきれを玩具(おもちゃ)代わりに振り回している。

「なんだいなんだい。草鞋狐(わらじきつね)道中(どうちゅう)盗賊始末(とうぞくしまつ)なんてものが拝めると思ったのに、何だか静かじゃないか。」

「ご隠居、そうそう困り事があったらオイラ大変でさぁ。」

「おや、盗賊始末に不満かい。それなら、世直行脚(よなおしあんぎゃ)千本鳥居(せんぼんとりい)なんてのはどうだい。」

「ご隠居、一本でも千本でも始末すんのはオイラでさぁ。手伝ってはくれんでしょうに。」

 もういい加減に自分で歩けと真を降ろした。あの打掛はどういう仕掛けがしてあるんだろうね、端を地面に引きずらないよ、下から風が吹いて少し浮かんでいるようにも見える。

 火産霊命(ホムスビさま)の神通力って奴は物凄いね、お願いすれば、熊野の誓紙を取ってきてくれんじゃねえかい。

 おや晴十郎、その事お忘れでないようだね、ご隠居はニヤリと笑う。

 そうこうしているうちに箱根の関所に近づいてくる。そこに見えるのは箱根の山と芦ノ湖だ。

「ここは面倒なお人が沢山いるからな。通り過ぎるに限る。」

「おや、泰山府君に顔見せなくていいのかい。」

 あのお人はお優しいから大丈夫さ、それに龍神が絡んできたら、そう簡単には行かせてはくれないでしょうよ。

「兄ちゃん、龍神って怖いのかい。」

 真が聞いてきたが、真の興味は()()()()()か優しいかの違いしか無い。人懐っこい性格なのか、自分に甘いと分かるとベタベタしがみつく。それはそれで愛嬌(あいきょう)があって可愛いんだけれども、それのせいで、いつか辛い目に会うんじゃないか心配だ。

 真に出会って一月も経っていないのに、真のことを晴十郎は猫可愛がりで、晴十郎の方こそ()()()()()()()()()()()()()()とご隠居は思う。

「龍神てのはな、若い娘が大好物でな。ただ好きってだけじゃない。喰ったら美味いから好きなんだ。」

 ヒッ、それはダメだ、寒気がするよ、こっから早く離れようよ。真は辛抱たまらず駆け出して、ご隠居は、晴十郎がいれば大丈夫なんだから、もう少しゆっくりしないと転んでしまうよ、と嗜める。



 遠い昔に、遠いと言っても日の本ができてからの話だけれども、唐土(もろこし)の向こうの国から、争いに負けた王子と娘とその娘婿が落ち延びてきた。その国は天竺って言ってたような気がする。

 その三人が一緒に自分ところの神様も担いできて、山を泰禄山と名付け、そこに御鎮座奉った。今の箱根山のことで、御鎮座奉った神様が泰山府君(たいざんふくん)というわけだ。

 この神様は、冥府の守り神で、夜の星のど真ん中にある北極星のお孫さんってことらしいが、よく分からない。だって、自分ところの神様もよく分からないのに、よそ様の国の神様のことなんか皆目見当もつかない。陰陽道の神様でもあるらしいが、どうなんだろう。

 件の三人が同じ地所では畏れ多いと麓の湖近くに居を構え、当初は三所権現と呼ばれるようになったが、今では別の二社を合わせて三所権現となっていて、此処は箱根権現社ということになっている。

 暫くはこの三人が神となりこの地を治めていたがいつの間にかいなくなった。どういう理由かは知らないが、空っぽになったのである。

 この地の守り神がいなくなった時、この隙にと目の前の湖に一匹の龍が住み着いた。水と毒と霧を吐き、水と酒と米を浴び、鹿と熊を喰らい人を呑む首を九つ生やした龍だ。

 清涼だった水は澱み毒が沈み霧が瘴気になってまとわりつく。水と米は枯れ酒が消える。山の息吹が亡くなり何より人の生き肝を好む。

 この災厄(さいやく)から逃れるためには何をしたらいいのか、結局のところ生贄を捧げることとなったのだけれども、それも長くは続かない。次々に生贄を用意する羽目になった。

 祭壇を組むのにも、塩、米、酒は必要だ。勿論それは翌年に使う蓄えを持ち出して、何より今必要な食べ物を吐き出していた。

 田畑(でんばた)は荒れ、人心は荒み(すさ)悪意が底に溜まる。ギリギリのところを綱渡りで毎日を生きていた。

 そこへ、鹿島から京の都へ戻る途中の万巻上人(まんがんしょうにん)という仏法僧が通りかかった。

 や、これはいかん、何とかせねば。と言ったかどうかは分からないけれども、事に当たったのだそうな。

 毒龍といえど相手は神なのだから、当然の事ながら死に物狂いだったと思う。薬師如来の願力で仏法を説き経文を唱え毒龍を改心させたという。

 鹿島から箱根に至る途中の海で、熱い水が湧き出る海があり、そこの漁師が魚が捕れなくなったと嘆いているのを、一月飲まず食わずの読経で、その熱い海を山に移した事がある。移しただけで一月だ。

 毒龍を改心させたことは、押しなべて、言うは易し行うが難しということなのだろうと思う。

 弱った毒龍を逆杉になんとか縛り付けたところ、毒龍は宝物を差し出して許しを乞うた為に、ならば代わりに、この地に担ぎ奉る神の為に汗を流すのならば、と迫った。

 毒龍は泪を流して()()()()()()()()()()()()と言うから、少し離れた所に神社を建てて、九頭龍と名を改めさせてそこに祀った。

 古い言葉で、山の連なる嶺を根と言い、泰禄山つまり駒ヶ岳のことなのだが、それもまた古い言葉で神々の乗る舟を箱という、その駒ヶ岳の形がその箱のように見えていた為に、この地を箱根と呼ぶことにし、天皇の祖神三柱を箱根大神として奉った。

 箱根神社ではなく箱根権現社なのは、万巻上人が仏法僧ゆえのことだと思う。そして、山に移った熱い海は熱海という名になった。

 本当かどうかは分からない。昔も昔、晴十郎が()()()()()よりずっと古い昔の話なのだから。

 曽我兄弟に(ゆかり)のある虎御前は、兄弟の供養のためにこの箱根権現で出家したそうだ。鎌倉殿から無罪放免の許しを得たが、その出家の道しか虎には残されていなかったのだろう。

 胸のうちはどうであったか、本人に尋ねる手段の無い今、胸が張り裂け息が詰まる想いであったのか、それとも全てを達観して心安堵に黄泉路の道中を願ったのか、分かりようもない。

 ここは奇しくも、偶然なのか必然なのか、冥府の神の鎮座奉る山でもある。

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