第十三話 使い魔
連続更新続行中です。今日は一時間弱で二千文字書きました。書けば良いってわけではないですが。
それから屋敷に帰るまでのことは、あまりよく覚えていない。
とにかく走った。一刻も早く、あの場所から離れなければいけないと思ったからだ。
「はぁ、はぁ……」
屋敷の近くまで戻ってくるころには、息も切れ切れになっていた。
物陰に隠れてしばし身体を休めたものの、まだ心臓はばくばくと跳ね回るような音を立てている。
「なんなのよ、まったく」
心臓の鼓動が収まらないのは、さきほど遭遇した奇妙な出来事が原因だった。
普段とは全く違い、高い知性と気品を漂わせたシモン皇子。そして、彼に従う「影」と呼ばれる護衛。そして彼らの謎めいた言動。
どれも私の知識にはないものだった。あんなもの、全く知らない。
回帰前のシモン皇子は、私の目から真の姿を隠していたのだ。私だけではない。第一皇子ヘルムートも知らなかったはずだ。シモン皇子と仲が良かった第二皇子エトガルはどうだろう? たぶん彼ですら知らなかったのではないか。
私はヘルムート皇子の命令でエトガル皇子に接近し、彼の恋人を演じていたことがある。そのとき、エトガル皇子はたびたびシモン皇子のことを「哀れな弟だ」「優しく接してやってほしい」と言っていた。エトガル皇子は裏表のない誠実な人だったから(それゆえ兄に陥れられたのだが)、シモン皇子の真の姿に気付いていたとは思えない。
「何が『僕は嘘が嫌いだ』よ。大嘘つきめ」
シモン皇子は偽りの自分を演じ、回帰前は周囲の者すべての目を欺いていた。
おそらくは、猜疑心の強いヘルムート皇子や、彼を支持する有力貴族たちの目を欺くためだろう。異国の巫女から生まれた皇子は、自分の身を守るために暗愚と狂気の衣で真実を覆い隠して生きてきたのだろう。
—— そして私は今日、それを知ってしまった。
シモン皇子としては、絶対に隠さなければいけない秘密のはずだ。
事実、影と呼ばれた護衛の女は、私を消そうとしていた。シモン皇子が止めなければ、私は密かに殺害され、どことも知れぬ山か野原に埋められていたに違いない。
なのに、彼は口止めの一つすらせず、私を解放した。どうせ私が何を言おうと周りは気にしないだろうと言っていたが、あれが本心だとは思えない。そんな甘い考えを持っていて、あの宮廷で秘密を守りきなんて、出来るわけがない。
これは確信に近い推測だが、シモン皇子が私を無条件で解放したのには別の理由があるはずだ。
彼には、私を逃すことで何か利益がある……もしくは私を殺せない強い理由がある。そう考える方が自然だ。
だが、それが何かはいくら考えても分からなかった。
「……なんなのよ、まったく」
これ以上考えても無駄だ。それよりも、とりあえず生きて戻れたことを喜ぼう。
幸運にも、シモン皇子の気まぐれのおかげで、目的だった銀月草の花も手に入ったことだし。
私は屋敷の裏手に回り、そのあたりの植え込みを丹念に見て回った。私の目当ては、いつもならこのあたりにいるはずだった。
それはすぐに見つかった。人の気配を察知して、黒い毛玉が「オワァン」と甘えたような声とともに姿を現したのだ。
「おいで、シュワルツ」
名を呼ぶと、それ——小さな黒猫——が私の足にじゃれついてきた。
シュワルツは二ヶ月ほど前に、このあたりで生まれた子猫だった。母猫からはぐれ、アルトナー邸の周りでミャーミャー鳴いていたところ、屋敷の者がエサを与えるようになった。うちの飼い猫というわけではないけれど、人なつっこい性格で、屋敷の者たちから愛されている。
使い魔にするには、絶好の存在だ。
私はその場に腰を下ろし、カバンから魔法言語が刺繍された布を引っ張り出すと、シュワルツの首に結びつけた。そして、さきほどシモン皇子からもらった銀月草の花びらを口に含み、シュワルツの頭に優しく手を添える。
『汝、シュワルツよ。アルトナーの血族、ディートリンデが告げる。我と汝、魂の同盟者たらん』
呪文を唱えると、口の中に花の甘い香りが広がり、体全体の筋肉がビリビリと震えるのが分かった。銀月草が持つ魔力が私の身体を巡り、魔法の奇跡を起こそうとしているのだ。
「オアーンッ!」
シュワルツが大きな目で私を見上げ、大きな声で鳴くと、身体の痺れは最高潮に達した。
「……っ!」
頭の奥でバチッと何かが弾ける感触があった。頭がふらつき、その場に尻餅をついてしまう。
シュワルツが気遣わしげに私の手を舐め、ニャンと小さく鳴いた。私は「大丈夫よ」と言ってシュワルツの頭を撫でる。
「明日は御馳走を持ってきてあげるから、良い子にしててね」
「ニャン!」
シュワルツのうれしそうな感情が、私の頭の中に流れ込んでくる。
使い魔の契約は成功したのだ。
その後、私はふらつく足を叱咤しながら、屋敷の抜け穴を通って自分の部屋に戻った。
今夜はもう何も考えたくない。身につけていた魔道具をカバンに乱暴に突っ込み、机の一番大きな引き出しの奥に隠すと、私はベッドに倒れ込み、泥のように眠った。
だいぶ話が動きはじめて、面白くなってきたんじゃないかと思います。
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