8話『王都からの召還命令を、私は拒否した』
王城の評議室。
「命令が通りません!」
「辺境伯領が召還要求を拒否しています!」
「軍の進軍は停止!」
報告が重なる。
王都はまだ崩れていない。
しかし“動かない”。
それは崩壊よりも厄介な状態だった。
王太子アスラの声が響く。
「エレノアを戻せばいいだろう!」
だが、すぐに返される。
「戻しても、解決しません」
沈黙。
誰かが言う。
「問題は彼女の不在ではなく、“彼女に依存していた構造”です」
空気が変わる。
初めて誰も反論しなかった。
◇
目が覚めても、まだ夜の続きの中にいるようだった。
朝食の席は、いつもと変わらない静けさの中にあった。
キリアはすでにそこにいる。
まるで最初から、その場所が定位置であるかのように。
「おはようございます」
「……おはようございます」
返事がわずかに遅れる。
その遅れを、彼は咎めない。
ただ一度だけ視線を上げた。
「眠れませんでしたか」
「……少しだけ」
「そうですか」
それ以上は何も言わない。
沈黙は重くない。
ただ、距離だけが一定に保たれている。
――食後、机の上に視線を落とす。
王都の紋章が押された封書。
乾いているのに、なぜか冷たい。
触れた瞬間、呼吸が浅くなる。
「私は……」
言葉は途中で止まった。
その瞬間だった。
「行く必要はありません」
キリアの声は、静かで、揺らがない。
私は顔を上げる。
「命令として来ている以上、従う必要はあります」
「ですが」
言葉が重なる。
遮られたのに、不思議と乱暴さはない。
ただ、選択肢だけが静かに削られていく感覚だった。
「あなたが戻る理由は、すでにありません」
「私には役目があります」
「ありません」
即答だった。
迷いのない断定。
その強さに、胸の奥がわずかに揺れる。
「王都は私を必要としています」
「いいえ」
キリアは首を振る。
「必要としていたのは“あなた”ではありません」
その言葉に、指先がわずかに震えた。
「じゃあ私は……何なんですか」
声が出た瞬間、自分でも驚いた。
キリアは少しだけ間を置く。
そして、短く言った。
「決めてください。あなた自身で」
「戻るべきだと言われたら?」
「それは他人の判断です」
「怖いと言ったら?」
キリアは目を細める。
「正常です」
沈黙。
私は唇を噛む。
そして、息を吐いた。
「私は……戻りません」
その瞬間、空気が変わった。
場が一瞬だけ静止したように感じた。
キリアは動かない。
ただ静かに、その言葉を受け取っている。
しばらくして、ゆっくりと目を閉じた。
「……それでいい」
それは許可ではなかった。
評価でもない。
ただの確認だった。
「あなたはもう選びました」
そう言って、視線を逸らす。
その瞬間、胸の奥が静かにほどけた。
◇
――王都。
評議室には重い沈黙が落ちていた。
「召還拒否、確認しました」
法務官の声だけが響く。
王太子アスラの顔が歪む。
「なぜだ……!」
だが、誰も答えない。
彼女は逃げたのではない。
戻る必要のない場所を選んだ。
それだけが事実として残っていた。
◇
夜の辺境。
キリアは窓の外を見る。
庭に、彼女がいる。
その存在だけで、この場所は揺らがない。
「ここでいい」
静かに結論づける。
その言葉の奥に、まだ名前のない熱がわずかに残っていた。
それに気づかないふりを、やめていた。




