7話『ここにいてください』
辺境伯領へ来て、一ヶ月が過ぎた。
それでも、まだ慣れない。
誰も責めない。
誰も期待しない。
誰も私を“評価”しない。
ただ、静かに時間だけが流れていく。
(私は……ここにいていいの?)
その問いだけが、消えない。
役目がないことが、こんなに怖いなんて思わなかった。
必要とされないことが、こんなに息苦しいなんて。
――その日の午後。
屋敷に商隊が到着した。
荷と一緒に、外の空気が流れ込む。
私は関わらないようにしていた。
けれど――通り過ぎた会話が、耳に刺さる。
「王都、今ほんとにやばいらしいぞ」
「戦争か?」
「違う。政務が止まってる」
足が止まる。
「止まってる?」
「誰も判断できないんだと。書類が全部止まってる」
笑い混じりの声。
「前まで誰がやってたんだっけ?」
少しの間のあと。
「……あの“悪役令嬢”だった人だろ」
胸が冷える。
(まだ……そう呼ぶのね)
その瞬間。
会話の空気が変わった。
「いや、それ違うらしい」
「“あの人がいなくなってから全部止まった”って話だ」
――息が止まる。
それは噂ではなかった。
感情でもなかった。
ただの“結果”だった。
「聞く必要はありません」
背後から声がした。
振り返らなくても分かる。
キリアだ。
いつも通り静かで、揺れない声。
けれど今日は違った。
わずかに“断定”の重みがあった。
「その話は誤解です」
「誤解……?」
私は振り返る。
キリアは一度だけ目を細めた。
「事実は一つです――あなたがいなくなった場所だけが、機能を失っている」
言い切りだった。
慰めではない。
説明でもない。
ただの“現象”だと。
「ですが王都が……」
「止まっただけです――判断する者がいなくなった」
それだけだった。
――帰り道。
私は窓の外を見ていた。
「王都は……どうなるんですか」
キリアはすぐに答えない。
しばらくして言う。
「止まってはいません」
「……?」
「崩れ始めただけです」
淡々とした声。
それが一番現実的だった。
「私がいなくなっただけで……?」
キリアはこちらを見る。
初めて、視線が真正面に重なる。
「違います。“あなたがいなくなったから崩れた”のではありません」
静かに続ける。
「“あなたが支えていた構造だった”だけです」
逃げ道のない断定。
優しさではない。
事実だった。
「怖いですか」
「……少し」
私は答える。
キリアは視線を逸らさない。
「正常です」
「正常……?」
「支えていた側は、崩れを恐れます」
否定しない。
慰めない。
ただ“定義”。
それが逆に落ち着く。
「戻れば……元に戻るんでしょうか」
私は聞いてしまう。
キリアは少しだけ間を置く。
「戻れば安定します。ですが、また同じ構造が始まる」
風が揺れる。
「あなたはまた“必要だから使われる”」
静かな声。
「そして、また壊れる」
沈黙。
それは優しさではなかった。
予測だった。
未来の確定。
「だから戻る必要はありません」
キリアが言う。
「ここにいてください」
命令ではない。
願いでもない。
ただの“事実の固定”。
◇
――夜。
キリアは窓を見ていた。
彼女が庭にいる。
それだけで、この場所は形を持つ。
「戻る必要はない」
それは願いではなく理解だった。
「ここでいい」
静かに結論づける。
そして、その奥にある感情にはまだ名前がなかった。




