第7章 その3
「……また、逃げられたか」
煙の晴れたアジトの残骸の中で、レンが悔しそうに悪態をついた。壁は崩れ、焦げ臭い匂いが鼻をつく。祭壇だった場所には、不気味な文様だけが黒々と残り、彼らの勝利が決して完全なものではなかったことを物語っていた。
「仕方ないさ。水に飛び込んで逃げるなんて、常人のやることじゃない」
リアンが肩をすくめてみせるが、その表情にも無念の色は隠せない。ミアルヴィは油断なく周囲を窺い、フィアは魔力の残滓を探るように静かに目を閉じていた。
「ですが、全てが無駄になったわけではありません」
ルードの声に、皆の視線が集まる。
彼が指し示したのは、半ば瓦礫に埋もれた祭壇の脇に転がっていた木箱だった。ミアルヴィが慎重に罠の有無を確かめながら蓋を開けると、中には一枚の羊皮紙が収められていた。
そこに記されていたのは、解読困難な暗号めいた文字列。
しかし、その中にはいくつかの地名や人名らしき単語が読み取れた。
これこそが、彼らが命がけで手に入れた、教団の次なる計画の尻尾だった。
埃と血に汚れた姿のまま地上へと戻った一行は、王都の喧騒に迎えられた。行き交う人々の平和な日常が、ついさっきまでの死闘とは別世界のように感じられる。
彼らは休む間もなく、手にした新たな手がかりを携え、王政の調査官が待つ庁舎の一室へと急いだ。
重厚な扉の奥で待っていた調査官は、疲労を顔に滲ませながらも、鋭い眼光で一行を迎えた。
「……首魁を取り逃がした、か」
リアンによる報告の冒頭を、調査官は静かに遮った。重い沈黙が部屋に落ちる。
「だが」
と調査官は続けた。
「君たちが持ち帰ったこの羊皮紙は、我々が喉から手が出るほど欲していたものだ。敵の次の狙いが、これでようやく絞り込める」
調査官の言葉を皮切りに、一行はそれぞれが見聞きし、感じたことを詳細に報告した。
レンは敵の異常な膂力を、エイリンは逃走時の常人離れした身のこなしを、フィアはアジトに満ちていた禍々しい魔力の質を、ミアルヴィは教団が利用していた抜け道の構造を、そしてルードは祭壇の儀式が何を目的としていたかの推察を、次々と語っていく。
全ての報告を聞き終えた調査官は、深く頷き、そして告げた。
「君たちの働きで、“深き目の徒”の計画の一端が明らかになった。これは大きな収穫だ。王政としても、今後は正式に君たちに“目の紋章”に関する調査を依頼したい」
レンたちは、その申し出を快く受け入れた。
だが、王政の本格的な調査が始まるまでには、準備のためにしばしの猶予が必要だという。
敵もまた、この襲撃を受けて計画の変更を余儀なくされているはず。
次なる行動を起こすまでの、束の間の凪。
「その間、君たちにはさらなる力をつけてもらう。我々が用意できる最高峰の教官たちに、君たちの訓練を命じた。己が資質を、極限まで高めてこい」
こうして一行は、それぞれの得意分野をさらに磨き上げるため、数週間にわたる王政直々の特別訓練に臨むこととなったのだった。
それは、来るべき大きな戦いに備えるための、過酷な自己との戦いの始まりでもあった。




