第1章 その2
翌朝、一行はオストヴァルの街を見下ろす丘の上に建つ、荘厳な教会を訪れていた。灰色の石で築かれたその建物は、静かに天を突く尖塔が印象的で、どこか近寄りがたいほどの神聖な空気をまとっている。
「こっちです。神官長は、きっと話を聞いてくださるはずです」
神官であるルードが、慣れた様子で一行を先導する。彼にとっては見慣れた場所なのだろうが、他のメンバーにとってはそうではなかった。
重厚な扉を抜けると、ひやりとした空気が肌を撫でる。高い天井のステンドグラスから差し込む光が、床に色とりどりの模様を描き出し、荘厳な静寂が満ちていた。
「……どうにも落ち着かないね。神様の家ってやつはさ」
ミアルヴィが猫の耳をぴくりと震わせ、小声でぼやく。その居心地悪そうな様子に、ルードは苦笑を浮かべるしかなかった。
「神官長は、奥の書庫にいらっしゃる。少し待っていてください」
そう言って奥の部屋へと消えたルードは、数分後、穏やかな表情で戻ってきた。
「話は通りました。みんな、こちらへ」
一行が通されたのは、古いインクと羊皮紙の匂いが満ちた、広々とした書庫だった。壁一面を埋め尽くす本棚には、分厚い古書がぎっしりと並んでいる。
そこにいたのは、白い法衣をまとった初老の男。手入れの行き届いた髭に、知性と人の良さが滲む柔らかな眼差し。彼こそが、この教会の神官長、スメアトン師であった。
「ようこそ、旅の方々。ルードから話は聞いている。……何か、不穏な紋章を見つけたと?」
スメアトンの穏やかな問いかけに、まずルードが一歩前に出た。
「はい。先日、街の廃屋でこれを」
彼は懐から、あの冷たい金属片を取り出す。
「ですが神官長、この“目の印”は、僕たちだけが見たのではなかったようなのです」
ルードの言葉を引き継ぎ、エイリンがポーチからペンダントを取り出して、机の上に置く。
「あたしは、商隊を襲ってきたゴブリンから。こいつ、ただの飾りじゃない気がして」
続いて、レンも少し緊張した面持ちで口を開いた。
「俺は、街外れの廃屋で、この印が描かれた旗を見つけました。そこに迷い込んでいた子供が、『何かにずっと見られている気がした』って……」
三つの異なる場所で見つかった、同じ“目”の紋章。
スメアトンは眉を寄せ、それぞれの品を手に取り、光に透かすようにして注意深く見比べた。その表情から、柔和な色がすっと消える。
「ふむ……。確かに、寸分違わぬ同じ紋章だ。だが、これは私の知るどの教団の聖印とも、あるいは禁忌とされる異端の印とも一致しない。……まるで、人の世の理の外から来たような、禍々しさを感じる」
神官長は静かに立ち上がると、壁の本棚から、羊皮紙で装丁された分厚い古書を数冊抜き出した。埃を払い、ページを一枚一枚、慎重にめくっていく。だが、やがて彼は重い溜息とともにかぶりを振った。
「申し訳ない。この教会の文献にある限りでは、この印に関する記述は、今のところ見当たらない。……もう少し、時間を頂きたい。他の街の教会にも、問い合わせてみよう」
彼は机に手を置き、まっすぐに若者たちの顔を見つめた。その瞳には、単なる同情ではない、強い懸念の色が浮かんでいる。
「ただ、一つだけ。もし、今後この印に関わる何かを見つけたら、どんな些細なことでもいい、必ず知らせてほしい。これは、我々がまだ知らぬ、何か大きな災いの前触れやもしれん」
その言葉の重みに、誰もが息を呑んだ。
ルードが、代表して深く頷く。
「……はい。僕も、引き続き調査を続けます。エイリンさんたちも、この件を追うのであれば、どうか慎重に」
「……わかった」
エイリンはペンダントを強く握りしめ、再びポーチにしまい込んだ。
結局、確かな答えは得られなかった。だが、謎はより一層深まり、そして確信に変わった。
この印は、ただの不吉な模様などではない。自分たちが、何かとんでもない事件の入り口に立っているのだと――。
言いようのない予感を胸に、一行は教会を後にした。街の喧騒が、なぜかやけに遠く感じられた。




