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日向丘 妖狐が宿る豆富店


 執筆作業(しっぴつさぎょう)で忙(いそが)しくしている間(あいだ)に夏(なつ)は終(お)わり、秋風(あきかぜ)が吹(ふ)き込(こ)んできた。連載中(れんさいちゅう)の『死出山怪奇譚(しでやまかいきたん)』に加(くわ)えて、『海神(わたつみ)の森(もり)』の本文(ほんぶん)や静岡(しずおか)さん自身(じしん)の物語(ものがたり)の『狂想画奇譚(きょうそうがきたん)』、それから『神々(かみがみ)の祭(まつり)』と『夢幻(むげん)の華(はな)』の取材(しゅざい)と執筆(しっぴつ)をしていたからか、目(め)が回(まわ)るような日々(ひび)だった。鬼門(おにかど)さんも、同(おな)じように忙(いそが)しくしていた。



 それが一段落(ひとだんらく)した頃(ころ)だった。相変(あいか)わらず私(わたし)は志保(しほ)の家(いえ)の一室(いっしつ)に籠(こも)って執筆(しっぴつ)を続(つづ)けている。この家(いえ)の暮(く)らしには慣(な)れたが何処(どこ)か落(お)ち付(つ)かない。

 そんな時(とき)、鬼門(おにかど)さんがやって来(き)て、原稿(げんこう)を催促(さいそく)してきた。

「こんにちは、今月分(こんげつぶん)の原稿(げんこう)を取(と)りに来(き)ました!」

最近(さいきん)の作家(さっか)はデジタル入稿(にゅうこう)が多(おお)い中(なか)で、私(わたし)は未(いま)だに原稿用紙(げんこうようし)で提出(ていしゅつ)しているが、鬼門(おにかど)さんはそれを厭(いと)わない。私(わたし)は、今月分(こんげつぶん)の原稿(げんこう)を鬼門(おにかど)さんに渡(わた)すと、次(つぎ)の小説(しょうせつ)の文章(ぶんしょう)を書(か)こうとした。

「それにしても闇先生(やみせんせい)、朝晩(あさばん)冷(ひ)えますね。」

「ああ、そうだね」

「そんな時(とき)はおでんが食(た)べたくたりますね。僕(ぼく)は餅巾着(もちきんちゃく)が好(す)きで、稲荷豆富店(いなりとうふてん)の油揚(あぶらあ)げを買(か)って手作(てづく)りしています。」

「へぇ、そうなんだね」

鬼門(おにかど)さんは鞄(かばん)の中(なか)から手紙(てがみ)の束(たば)を取(と)り出(だ)した。

「最近(さいきん)、ファンレター増(ふ)えたんですよ。闇先生(やみせんせい)はそれを全部(ぜんぶ)目(め)を通(とお)してますよね?それとSNSのコメントにも返信(へんしん)しているんでしょう?大変(たいへん)じゃないですか?」

「それなんだが苦(く)にはならないよ。寧(むし)ろ、色々(いろいろ)な方(かた)に私(わたし)の作品(さくひん)を読(よ)んで、しかも感想(かんそう)まで書(か)いてくれて嬉(うれ)しく思(おも)ってるよ。」

私(わたし)はその手紙(てがみ)の束(たば)を受(う)け取(と)り、一枚一枚(いちまいいちまい)目(め)を通(とお)した。

「その中(なか)に稲荷豆富店(いなりとうふてん)の封筒(ふうとう)がありました。それで僕(ぼく)はびっくりしてしまいまして、お知(し)り合(あ)いなんですか?」

「ああ、そこの息子(むすこ)さんが私(わたし)のファンで、一度(いちど)サイン会(かい)で出会(であ)ったんだ。」

私(わたし)は『稲荷豆富店(いなりとうふてん)』と書(か)かれてあるその封筒(ふうとう)を取(と)り出(だ)して、中(なか)を見(み)た。確(たし)か、出会(であ)った子(こ)は稲荷崇君(いなりしゅうくん)だったはずだ。また私(わたし)の作品(さくひん)を読(よ)んでくれたのだろうか。そう思(おも)いながら宛先(あてさき)を見(み)ると、そこには崇君(しゅうくん)ではなく、『稲荷尚(いなりなお)』と

書(か)かれてあった。



 手紙(てがみ)の本文(ほんぶん)にはこう書(か)かれてあった。

『拝啓(はいけい)、朝晩冷(あさばんひ)えますがいかがお過(す)ごしでしょうか。

初(はじ)めまして。稲荷崇(いなりしゅう)の兄(あに)の稲荷尚(いなりなお)と申(もうし)ます。以前(いぜん)のサイン回(かい)では弟(おとうと)がお世話(せわ)になったそうですね。その節(せつ)はありがとうございます。あれから僕(ぼく)も闇深太郎(やみしんたろう)さんの作品(さくひん)を読(よ)みましたが、情景(じょうけい)が描(えが)かれていて良(よ)かったです。

ところで、何故(なぜ)僕(ぼく)がこの手紙(てがみ)を書(か)いているのかと申(もう)しますと、最近(さいきん)弟(おとうと)の様子(ようす)がおかしいからです。お供(そな)え物(もの)の油揚(あぶらあ)げを食(た)べてしまったり、女言葉(おんなことば)で話出(はなしだ)したり、とにかく、普段(ふだん)の崇(しゅう)ではあり得(え)ない事(こと)が起(お)こっています。

稲荷家(いなりけ)には“ある話(はなし)”が伝(つた)わっていて、それと関係(かんけい)あるのではないかと考(かんが)え、近所(きんじょ)の神社(じんじゃ)の神主(かんぬし)さんにも相談(そうだん)してみましたが、分(わ)かりませんでした。そこで、怪奇現象(かいきげんしょう)に詳(くわ)しい闇(やみ)さんや、その知(し)り合(あ)いの『風見(かざみ)の少年(しょうねん)』なら弟(おとうと)を助(たす)け出(だ)せるのではないかと思(おも)い、手紙(てがみ)を出(だ)しました。忙(いそが)しい中(なか)で無理(むり)も承知(しょうち)なのですが、よろしくお願(ねが)いします。』

私(わたし)はその手紙(てがみ)から顔(かお)を上(あ)げて、一言(ひとこと)呟(つぶや)いた。

「やれやれ、私(わたし)は医者(いしゃ)じゃないんだがな」

「闇先生(やみせんせい)、どうされましたか?」

私(わたし)は執筆途中(しっぴつとちゅう)の原稿用紙(げんこうようし)を片付(かたづ)けて、手紙(てがみ)を持(も)ちながら支度(したく)を始(はじ)めた。

「稲荷豆富店(いなりとうふてん)に出掛(でか)けてくるよ。崇君(しゅうくん)の事(こと)が心配(しんぱい)だからね。」

「ええ、ですが僕(ぼく)は編集室(へんしゅうしつ)での仕事(しごと)がありますので同行(どうこう)は出来(でき)ませんが…。」

「お土産(みやげ)に油揚(あぶらあ)げを買(か)ってくるよ。」

私(わたし)は鞄(かばん)を持(も)って外(そと)へ出(で)た。そして、駅前(えきまえ)のロータリーからバスに乗(の)り込(こ)む。



 そのバスに乗(の)っている間(あいだ)、私(わたし)は尚君(なおくん)の手紙(てがみ)を読(よ)んでいた。それには稲荷豆富店(いなりとうふてん)のパンフレットが同封(どうふう)されている。そこには、稲荷家(いなりけ)に代々(だいだい)語(かた)り継(つ)がれていた伝説(でんせつ)だ。



 江戸時代(えどじだい)の終(お)わり、今(いま)は日向丘(ひゅうがおか)と呼(よ)ばれているこの地(ち)に貧乏(びんぼう)だが豆腐(とうふ)を造(つく)るのが上手(うま)い職人(しょくにん)豆太郎(まめたろう)が居(い)た。彼(かれ)は、小(ちい)さな店(みせ)を開(ひら)き、豆腐(とうふ)や油揚(あぶらあ)げを造(つく)っていたが、全(まった)く繁盛(はんじょう)しなかった。

 そんなある日(ひ)、そのお店(みせ)の前(まえ)に子狐(こぎつね)が現(あらわ)れた。その狐(きつね)は腹(はら)を空(す)かしていて、元気(げんき)がなかった。そこで豆太郎(まめたろう)は、その子狐(こぎつね)に売(う)れ残(のこ)った油揚(あぶらあ)げを与(あた)えた。元気(げんき)がなかった子狐(こぎつね)は、少(すこ)しずつ元気(げんき)を取(と)り戻(もど)した。

 それから豆太郎(まめたろう)はその子狐(こぎつね)と仲良(なかよ)くなり、貧乏(びんぼう)だが幸(しあわ)せな日々(ひび)を過(す)ごしていたが、ある日(ひ)を境(さかい)にその子狐(こぎつね)は姿(すがた)を消(け)してしまった。

 それと入(い)れ変(か)わるように現(あらわ)れたのは、若(わか)い娘(むすめ)だった。彼女(かのじょ)は紅葉(もみじ)と名乗(なの)り、豆太郎(まめたろう)の店(みせ)で働(はたら)きたいと申(もう)し出(で)た。

 紅葉(もみじ)は店(みせ)で懸命(けんめい)に働(はたら)き、それを見(み)た人々(ひとびと)は豆太郎(まめたろう)の店(みせ)で豆腐(とうふ)を買(か)っていった。紅葉(もみじ)の頑張(がんば)りのお陰(かげ)もあり、豆太郎(まめたろう)の店(みせ)は繁盛(はんじょう)し、町一番(まちいちばん)の豆腐屋(とうふや)になった。

 豆太郎(まめたろう)はそんな紅葉(もみじ)を大切(たいせつ)に思(おも)っていた。そんな豆太郎(まめたろう)は紅葉(もみじ)の為(ため)に御守(おまも)りの鈴(すず)を着(つ)けた。

 その後(ご)二人(ふたり)は夫婦(めおと)となった。そして、子宝(こだから)にも恵(めぐ)まれて幸(しあわ)せに暮(く)らしていた。ところが、ある日(ひ)紅葉(もみじ)は姿(すがた)を消(け)してしまう。豆太郎(まめたろう)は豆腐(とうふ)を造(つく)るのも忘(わす)れて紅葉(もみじ)を探(さが)した。

 町中(まちなか)を走(はし)り回(まわ)った豆太郎(まめたろう)は、山道(やまみち)で足(あし)を止(と)めた。そこには、成獣(せいじゅう)の狐(きつね)が倒(たお)れている。その狐(きつね)は、昔(むかし)助(たす)けた子狐(こぎつね)によく似(に)ていた。

 その狐(きつね)を抱(かか)えた豆太郎(まめたろう)は信(しん)じられないものを見(み)た。狐(きつね)の首(くび)には豆太郎(まめたろう)が紅葉(もみじ)に買(か)ったはずの鈴(すず)が着(つ)いていたのだ。まさかとは思(おも)うが、紅葉(もみじ)の正体(しょうたい)は、あの子狐(こぎつね)だったのだろうか。豆太郎(まめたろう)は、その狐(きつね)を抱(かか)えて近(ちか)くの神社(じんじゃ)に駆(か)け込(こ)んだ。

 そこの神主(かんぬし)は、狐(きつね)の姿(すがた)を見(み)て驚(おどろ)いていた。紅葉(もみじ)はただの狐(きつね)ではなく妖(あやかし)だったのだ。どうやら、長(なが)いこと人間(にんげん)に化(ば)けていた為(ため)に力(ちから)を失(うしな)っていたようだ。そういえば、紅葉(もみじ)はずっと豆腐屋(とうふや)で働(はたら)き詰(つ)めていた。それを思(おも)い出(だ)した豆太郎(まめたろう)は、紅葉(もみじ)の為(ため)に小(ちい)さな社(やしろ)を豆腐屋(とうふや)の隣(となり)に建(た)て、毎日(まいにち)紅葉(もみじ)に油揚(あぶらあ)げをお供(そな)えするようにしたのだ。

 そして、商売繁盛(しょうばいはんじょう)の神(かみ)である稲荷神(いなりしん)にあやかって、豆太郎(まめたろう)の一族(いちぞく)は稲荷(いなり)と名乗(なの)るようになった。

 豆太郎《まめたろう》亡(な)き後(あと)も、その子孫達(しそんたち)は社(やしろ)と稲荷豆富店(いなりとうふてん)と名前(なまえ)を変(か)えた豆腐屋(とうふや)を大切(たいせつ)にしている。いつか紅葉(もみじ)が復活(ふっかつ)してくれる事(こと)を願(ねが)いながら、今日(きょう)も豆腐(とうふ)を造(つく)っているそうだ。



 私(わたし)は、その話(はなし)を読(よ)み終(お)わり、改(あらた)めて尚君(なおくん)の手紙(てがみ)を読(よ)んだ。恐(おそ)らくだが、尚君(なおくん)は弟(おとうと)の異変(いへん)には紅葉(もみじ)が関(かか)わっているのではないかと考(かんが)えているそうだ。

 にわかに信(しん)じ難(がた)い話(はなし)ではあるが、私自身(わたしじしん)、妖(あやかし)に憑依(ひょうい)された経験(けいけん)がある。現代(げんだい)では認知(にんち)する者(もの)が少(すく)なくなったが、妖(あやかし)がこの世界(せかい)に存在(そんざい)しているのを私(わたし)は知(し)っている。紅葉(もみじ)の話(はなし)も本当(ほんとう)だろう。

 


 幾(いく)つものバスを乗(の)り継(つ)いだ先(さき)に日向丘(ひゅうがおか)があった。そこの日向川(ひゅうががわ)沿(ぞ)いに稲荷豆富店(いなりとうふてん)はある。そこに入(はい)ろうとした時(とき)、隣(となり)にある稲荷舎(いなりしゃ)に白(しろ)い子狐(こぎつね)が居(い)るのに気付(きづ)いた。よく見(み)ると、その子(こ)には覚(おぼ)えがある。

「あれ、晦君(つごもりくん)」

「茂(しげる)さん、どうされました?」

晦君(つごもりくん)は、『夢幻(むげん)の華(はな)』の宮原町(みやのはらちょう)で出会(であ)った狐(きつね)の妖(あやかし)だ。普段(ふだん)は宮原山(みやのはらやま)に居(い)るはずだが、何故(なぜ)ここに居(い)るのだろうか。

「久々(ひさびさ)に従兄弟(いとこ)に会(あ)いに来(き)ましたが、ここには居(い)ないようですね。」

私(わたし)は、晦君(つごもりくん)を抱(かか)えた。

「一緒(いっしょ)に探(さが)そうか?丁度(ちょうど)私(わたし)にも尋(たず)ね人(びと)が居(い)るんだ。」

私(わたし)は呼(よ)び鈴(りん)を鳴(な)らして尚君(なおくん)を呼(よ)んだ。

「はい、こちらは稲荷豆富店(いなりとうふてん)ですが」

「君(きみ)が手紙(てがみ)をくれた稲荷尚君(いなりなおくん)だね?」

「はい、そうですが…」

尚君(なおくん)は、崇君(しゅうくん)とは三歳(さんさい)離(はな)れた兄(あに)で、兄弟(きょうだい)はよく似(に)ていた。私(わたし)は、家(いえ)の中(なか)にお邪魔(じゃま)して、崇君(しゅうくん)に会(あ)いに行(い)った。

「神主(かんぬし)さんに相談(そうだん)した時(とき)、崇君(しゅうくん)も連(つ)れて行(い)ったのかね?」

「いえ、どうしても行(い)きたくないって聞(き)かなくて…」

「妖(あやかし)に憑依(ひょうい)されているなら、神社(じんじゃ)や神主(かんぬし)さんを警戒(けいかい)してもおかしくはないからな…。」

「妖(あやかし)が憑依(ひょうい)?そんな事(こと)本当(ほんとう)にあるのでしょうか?」

伝説(でんせつ)の話(はなし)を私(わたし)に話(はな)した尚君(なおくん)だったが、妖(あやかし)が実際(じっさい)に存在(そんざい)しているのかどうか実感(じっかん)はないそうだ。伝説(でんせつ)が本当(ほんとう)ならば稲荷家(いなりけ)は妖(あやかし)の血(ち)を引(ひ)いているはずなのだが、それが信(しん)じられないというのか。

「僕自身(ぼくじしん)は何(なに)も感(かん)じません。ですが弟(おとうと)は、崇(しゅう)は僕(ぼく)には感(かん)じない何(なに)かを感(かん)じているようです。幼(おさな)い頃(ころ)、それでかなり怖(こわ)い想(おも)いをしたうで、それ以降(いこう)は居(い)ないものと思(おも)い込(こ)んでいるようです。」

「怖(こわ)い想(おも)いって、何(なに)があったんだい?」

「近(ちか)くの山(やま)で迷子(まいご)になって、その時(とき)に何(なに)かの声(こえ)と共(とも)に得体(えたい)の知(し)れないものを見(み)たとその時(とき)は言(い)ってました。その一回(いっかい)だけで、それ以降(いこう)は何(なに)もなかったそうです。崇(しゅう)はそれ以来(いらい)伝説(でんせつ)を含(ふく)めてそういった類(たぐい)の話(はなし)は信(しん)じていません。

それでも、未知(みち)のものに興味(きょうみ)を持(も)っているのでしょうか。無意識(むいしき)ですが、怪異(かいい)に対(たい)する興味(きょうみ)が今(いま)もあるようでして、闇先生(やみせんせい)の話(はなし)をずっと読(よ)んでいるそうです。」

尚君(なおくん)は弟(おとうと)の崇君(しゅうくん)をずっと心配(しんぱい)しているようだった。それも私(わたし)を呼(よ)ぶくらいには。崇君(しゅうくん)が私(わたし)の大(だい)ファンだというのは知(し)っていたが、まさかそういった背景(はいけい)があるとは思(おも)わなかった。



 そして、尚君(なおくん)は、ポケットの中(なか)からある物(もの)を出(だ)した。

「僕(ぼく)が神主(かんぬし)さんから頂(いただ)いたこの御札(おふだ)を弟(おとうと)に貼(は)ったのですが、全然(ぜんぜん)効果(こうか)がなくて…。」

私(わたし)はその御札(おふだ)を受(う)け取(と)った後(あと)、崇君(しゅうくん)の部屋(へや)に入(はい)った。

「久(ひさ)し振(ぶ)りだね、崇君(しゅうくん)」

「誰(だれ)…?」

崇君(しゅうくん)は私(わたし)の事(こと)を忘(わす)れていた。いや、そんなはずはない。崇君(しゅうくん)は私(わたし)の大(だい)ファンだ。忘(わす)れるはずがない。それに、崇君(しゅうくん)の声(こえ)ではなく、女性(じょせい)の声(こえ)だったような気(き)もする。崇君(しゅうくん)は私(わたし)ではなく晦君(つごもりくん)の方(ほう)を向(む)いていた。

「お久(ひさ)し振(ぶ)りね、晦君(つごもりくん)」

「この声(こえ)は、紅葉(もみじ)さん?」

私(わたし)は、その崇君(しゅうくん)の様子(ようす)を見(み)て確信(かくしん)した。やはり、崇君(しゅうくん)は妖(あやかし)に憑依(ひょうい)されているのだろうか。

「妖(あやかし)に憑依(ひょうい)されているんだな」

私(わたし)は崇君(しゅうくん)の背中(せなか)に御札(おふだ)を貼(は)った。すると、崇君(しゅうくん)の身体(からだ)から狐(きつね)が抜(ぬ)け出(だ)してくる。

「僕(ぼく)の力(ちから)では出来(でき)なかったのに、どうして…」

「私(わたし)も妖(あやかし)に憑依(ひょうい)されていた時(とき)があるからね。それがきっかけで僅(わず)かだが霊力(れいりょく)を宿(やど)しているんだ。」

崇君(しゅうくん)は意識(いしき)を取(と)り戻(もど)して、私(わたし)の前(まえ)に立(た)った。

「あれ、闇先生(やみせんせい)どうしてここに…?」

「無事(ぶじ)で良(よ)かったよ、崇君(しゅうくん)。」

崇君(しゅうくん)は突然(とつぜん)現(あらわ)れた私(わたし)の姿(すがた)を見(み)て目(め)を丸(まる)くしていた。

「あの狐(きつね)は…?」

崇君(しゅうくん)から現(あらわ)れた成獣(せいじゅう)の狐(きつね)は、ただの狐(きつね)ではない。尻尾(しっぽ)が四本(よんほん)生(は)えていたのだ。長生(ながい)きした狐(きつね)が変化(へんげ)した天狐(てんこ)という妖(あやかし)が居(い)るがそれなのだろうか。その狐(きつね)は巫女服(みこふく)の姿(すがた)をした女性(じょせい)の姿(すがた)になった。

「初(はじ)めまして、私(わたし)の子供達(こどもたち)」

崇君(しゅうくん)と尚君(なおくん)にも姿(すがた)が見(み)えているのか、その方角(ほうがく)を見(み)て驚(おどろ)いている。

 すると、晦君(つごもりくん)がその女性(じょせい)の膝(ひざ)に飛(と)び乗(の)った。

「紅葉(もみじ)さん、お久(ひさ)し振(ぶ)りです。」

「紅葉(もみじ)っていう事(こと)は、あなたはまさか御先祖様(ごせんぞさま)?」

「ええ、そうよ。子供達(こどもたち)が社(やしろ)とお店(みせ)を大切(たいせつ)にして、私(わたし)を忘(わす)れずに伝(つた)えてくれた。そしたら、私(わたし)は力(ちから)を取(と)り戻(もど)し、更(さら)なる力(ちから)を得(え)て神妖(しんよう)、神(かみ)に成(な)れたの。」

稲荷家(いなりけ)の伝説(でんせつ)にあった紅葉(もみじ)の復活(ふっかつ)というのはこの事(こと)だったのか。そうではないにしろ、紅葉(もみじ)の話(はなし)はどうやら本当(ほんとう)だったようだ。紅葉(もみじ)さんは、私(わたし)の方(ほう)を見(み)た。

「あなたは?ここでは見(み)ない顔(かお)ね?」

「私(わたし)は渡辺茂(わたなべしげる)、怪奇小説家(かいきしょうせつか)だ。晦君(つごもりくん)とは宮原町(みやのはらちょう)で知(し)り合(あ)ったんだ。」

先程(さきほど)まで妖(あやかし)や怪異(かいい)を信(しん)じていなかった二人(ふたり)は、紅葉(もみじ)さんと晦君(つごもりくん)を見(み)て声(こえ)が出(で)なくなっていた。

「崇君(しゅうくん)、それに尚君(なおくん)にも紅葉(もみじ)さんや晦君(つごもりくん)の姿(すがた)が視(み)えるんだね?」

「はい、喋(しゃべ)る狐(きつね)が二人(ふたり)居(い)るのが分(わ)かります。」

二人(ふたり)は二匹(にひき)の狐(きつね)を見(み)て目(め)を丸(まる)くしていた。

「それにしても、どうして紅葉(もみじ)さんは崇(しゅう)に憑依(ひょうい)してたんですか?」

「大(たい)した理由(りゆう)は無(な)いの。ようやく復活(ふっかつ)したから調子(ちょうし)に乗(の)ってとしまって、浮世(うきよ)を知(し)りたくて乗(の)り移(うつ)ってしまって。身体(からだ)を借(か)りてしまってごめんなさいね。」

紅葉(もみじ)さんが謝(あやま)るのを見(み)て、崇君(しゅうくん)は頷(うなず)いていた。

「いえ、正体(しょうたい)が御先祖様(ごせんぞさま)で、なんか安心(あんしん)しました。」

「正体(しょうたい)が分(わ)からない、全容(ぜんよう)が掴(つか)めないものを人(ひと)は怖(こわ)がる傾向(けいこう)がある。崇君(しゅうくん)もきっとそうだったんだね。」

崇君(しゅうくん)は私(わたし)の方(ほう)を向(む)いた。そういえば、今日(きょう)は急(いそ)いで向(む)かったからか、着物姿(きものすがた)のままだった。

「まさか闇先生(やみせんせい)も、怪異(かいい)の一(ひと)つではないですよね?」

「“幽霊(ゆうれい)の正体(しょうたい)見(み)たり枯(か)れ尾花(おばな)”、私自身(わたしじしん)は怪異(かいい)でも何(なん)でもないただの人間(にんげん)なんだがね、時折(ときおり)怪異(かいい)なのではないかと疑(うたが)われる時(とき)があるよ。」

「闇先生(やみせんせい)は妖(あやかし)の知(し)り合(あ)いも居(い)るんですね!」

私(わたし)は、晦君(つごもりくん)を抱(かか)えながら頷(うなず)いた。

「そういえば今日(きょう)初(はじ)めて闇先生(やみせんせい)の本名(ほんみょう)知(し)りました。以外(いがい)に普通(ふつう)なんですね?」

「私(わたし)からして見(み)れば珍(めずら)しい名字(みょうじ)の崇君(しゅうくん)や尚君(なおくん)が羨(うらや)ましいけどね。」

「でも、そちらの名前(なまえ)の方(ほう)が先生(せんせい)らしいですね。」

紅葉(もみじ)は巫女服(みこふく)から割烹着(かっぽうぎ)の姿(すがた)に変(か)わった。

「さて、一階(いっかい)にも挨拶(あいさつ)しなきゃね。また豆腐屋(とうふや)の仕事(しごと)も始(はじ)めたいし。」

紅葉(もみじ)はそう言(い)って店(みせ)がある一階(いっかい)に向(む)かった。



 そして、紅葉(もみじ)さんは豆富店(とうふてん)で働(はたら)く崇君達(しゅうくんたち)のご両親(りょうしん)と祖父母(そふぼ)に会(あ)いに行(い)った。紅葉(もみじ)さんにとっては今(いま)まで自分(じぶん)を大切(たいせつ)にしてきた子孫達(しそんたち)だ。四人(よにん)も、紅葉(もみじ)さんが実在(じつざい)するとは思(おも)わなかったからか、その姿(すがた)に驚(おどろ)いている。

「驚(おどろ)いた。まさか紅葉(もみじ)さんが本当(ほんとう)に居(い)たなんて。」

「またここで働(はたら)かせて貰(もら)えないかしら?」

「御先祖様(ごせんぞさま)さえ良(よ)ければ大歓迎(だいかんげい)だよ。」

「ええ、ありがとうございます」

紅葉(もみじ)さんは私(わたし)に豆腐(とうふ)と油揚(あぶらあ)げが入(はい)ったビニール袋(ぶくろ)を手渡(てわた)した。

「あなたみたいな存在(そんざい)は貴重(きちょう)よ。現代(げんだい)でここまで妖(あやかし)の存在(そんざい)を認知(にんち)して理解(りかい)してくれる人間(にんげん)は珍(めずら)しい。晦君(つごもりくん)は良(い)い友達(ともだち)を持(も)ったわね。」

「紅葉(もみじ)さん、ありがとうございます。」

私(わたし)は豆腐(とうふ)と油揚(あぶらあ)げのお代(だい)を払(はら)うと、晦君(つごもりくん)を抱(かか)えて表(おもて)に出(で)た。

「また来(く)るよ、崇君(しゅうくん)、尚君(なおくん)、それから紅葉(もみじ)さん。」

「闇先生(やみせんせい)、いや、茂(しげる)さん!今日(きょう)は色々(いろいろ)ありがとうございました!またお手紙(てがみ)出(だ)しますね!」

崇君(しゅうくん)はそう言(い)って私(わたし)に手(て)を振(ふ)っていた。



 私(わたし)は崇君達(しゅうくんたち)に手(て)を振(ふ)り返(かえ)すと、晦君(つごもりくん)と一緒(いっしょ)にバス停(てい)まで歩(ある)いた。

「茂(しげる)さん、今日(きょう)はありがとうございました。また宮原町(みやのはらちょう)にも遊(あそ)びに来(き)てくださいね。」

「ああ、遥君達(はるかくんたち)にもよろしく。」

晦君(つごもりくん)は、私(わたし)の腕(うで)から飛(と)び降(お)りると、歩(ある)いて宮原町(みやのはらちょう)まで帰(かえ)ってしまった。



 それから、私(わたし)は家(いえ)に帰(かえ)ると、原稿用紙(げんこうようし)に小説(しょうせつ)ではなく、今日(きょう)の事(こと)を日記(にっき)のように書(か)いていた。毎日(まいにち)ではないが、時々(ときどき)忘(わす)れられないような出来事(できごと)があった時(とき)にこうしている。私(わたし)は、志保(しほ)が造(つく)ってくれた湯豆腐(ゆどうふ)を食(た)べながらそれを進(すす)めていた。



 それから間(ま)もないある日(ひ)、締(し)め切(き)りではないのに鬼門(おにかど)さんが訪(たず)ねてきた。恐(おそ)らく、お土産(みやげ)を受(う)け取(と)りに来(き)たのだろう。私(わたし)はビニール袋(ぶくろ)を鬼門(おにかど)さんに渡(わた)した。

「油揚(あぶらあ)げありがとうございます!そういえば、また稲荷豆富店(いなりとうふてん)からお手紙(てがみ)が届(とど)いてましたよ。」

鬼門(おにかど)さんは私(わたし)に封筒(ふうとう)を手渡(てわた)した。宛(あて)先(さき)は『稲荷崇(いなりしゅう)』と書(か)かれてあった。

『闇深太郎(やみしんたろう)先生(せんせい)、いや、渡辺茂(わたなべしげる)さんでしたっけ。先生(せんせい)はどちらで呼(よ)ばれる方(ほう)が良(い)いですか?

あれから、僕(ぼく)は家族(かぞく)になった紅葉(もみじ)さんと一緒(いっしょ)に過(す)ごしています。紅葉(もみじ)さんが目覚(めざ)めても、稲荷舎(いなりしゃ)の掃除(そうじ)やお供(そな)え物(もの)は欠(か)かしてません。

自分(じぶん)に霊感(れいかん)がある。それと、妖(あやかし)や幽霊(ゆうれい)が居(い)ると知(し)ってからは、先生(せんせい)の『死出山怪奇譚(しでやまかいきたん)』の見方(みかた)が変(か)わりました。怪異(かいい)というのは昔(むかし)から存在(そんざい)し、良(い)い意味(いみ)でも悪(わる)い意味(いみ)でも人間社会(にんげんしゃかい)と関(かか)わっています。伝説(でんせつ)にあるそれをどう捉(とら)えるかによってその形(かたち)は大(おお)きく変(か)わってしまいます。紅葉(もみじ)さんも妖(あやかし)、怪異(かいい)の一種(いっしゅ)です。紅葉(もみじ)さんがここに宿(やど)り、僕達(ぼくたち)にとって良(よ)い存在(そんざい)で居(い)られるのは、御先祖様達(ごせんぞさまたち)がそのように伝(つた)え、僕達(ぼくたち)がそれを守(まも)っていったからだと今(いま)は思(おも)うのです。

僕(ぼく)は将来(しょうらい)大学(だいがく)に入(はい)って郷土文化(きょうどぶんか)を研究(けんきゅう)するのが夢(ゆめ)です。僕達(ぼくたち)の家(いえ)にあった伝説(でんせつ)のようなものを集(あつ)めて、それを後世(こうせい)に残(のこ)したいのです。

僕(ぼく)は兄(にい)さんと違(ちが)って家(いえ)の跡継(あとつ)ぎにはなりませんが、それでも稲荷豆富店(いなりとうふてん)に対(たい)する思(おも)いは本当(ほんとう)です。僕(ぼく)は僕(ぼく)のやり方(かた)で家(いえ)を守(まも)っていこうと思(おも)います。先生(せんせい)は僕(ぼく)の憧(あこが)れです。これからも頑張(がんば)ってください。』

手紙(てがみ)の最後(さいご)には稲荷豆富店(いなりとうふてん)のサイトのURLが載(の)っていた。通信販売(つうしんはんばい)を始(はじ)めたのだろうか。それにしても、崇君(しゅうくん)が元気(げんき)そうで安心(あんしん)した。今度(こんど)は志保(しほ)や鬼門(おにかど)さんと一緒(いっしょ)にあの豆富店(とうふてん)に行(い)こうか。

「元気(げんき)そうで良(よ)かったよ、崇君(しゅうくん)。」

私(わたし)は手紙(てがみ)を大事(だいじ)に仕舞(しま)うと、再(ふたた)び執筆(しっぴつ)に戻(もど)った。




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