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九泉岳 怪が棲む山


 秋(あき)も深(ふか)まり、北風(きたかぜ)が吹(ふ)き込(こ)んできた。私(わたし)は、小説(しょうせつ)の執筆(しっぴつ)を進(すす)めながら、ある事(こと)を調(しら)べていた。

 それは、O県(けん)K市(し)にある『九泉岳町(きゅうせんだけちょう)』という町(まち)だ。“九泉(きゅうせん)”というのは幾重(いくえ)にも重(かさ)なる地(ち)の底(そこ)、転(てん)じて黄泉(よみ)、冥界(めいかい)の異名(いみょう)とされているのだ。英語(えいご)で冥界(めいかい)を“Underworld(アンダーワールド)”と呼(よ)ぶように、冥界(めいかい)を地下(ちか)の世界(せかい)とする考(かんが)えは各地(かくち)に存在(そんざい)する。

 以前(いぜん)、私(わたし)は小説内(しょうせつない)で、冥界(めいかい)を天上(てんじょう)の世界(せかい)と称(しょう)した事(こと)がある。魂(たましい)が天(てん)に昇(のぼ)るといわれるように、死後(しご)の世界(せかい)は空高(そらたか)く、更(さら)には宇宙(うちゅう)にあるという考(かんが)えもある。

 死(し)んだ魂(たましい)が行(い)き着(つ)くこの世(よ)ならざる場所(ばしょ)は何処(どこ)にあるのだろうか。少(すく)なくとも、この世界(せかい)をどう探(さが)しても見(み)つけ出(だ)すのは叶(かな)わないだろう。


 私(わたし)は九泉岳(きゅうせんだけ)について何(なに)が気(き)になっているのか、それは何故(なぜ)この山(やま)に“九泉(きゅうせん)”という冥界(めいかい)の異名(いみょう)が名付(なづ)けられているのかだ。思(おも)えば私達(わたしたち)の故郷(こきょう)である志手山町(しでやまちょう)も、世間(せけん)には漢字(かんじ)が変(か)えられているだけで、本来(ほんらい)は『死出山町(しでやまちょう)』だ。この町(まち)がかなり特殊(とくしゅ)で、この世(よ)とあの世(よ)の狭間(はざま)である影響(えいきょう)で、日常茶飯事(にちじょうさはんじ)のように人(ひと)やその他(ほか)の動植物(どうしょくぶつ)が死(し)んでいた。ひょっとして、この志手山町(しでやまちょう)のような町(まち)が他(ほか)にもあるのかもしれない。



 私(わたし)がそうして九泉岳(きゅうせんだけ)についてインターネットや本(ほん)で調(しら)べていると、ある人(ひと)を見(み)つけた。彼(かれ)は九泉岳(きゅうせんだけ)に住(す)む大学生(だいがくせい)で、音楽(おんがく)の勉強(べんきょう)の傍(かたわ)らで、故郷(こきょう)について調(しら)べているのだそうだ。私(わたし)がその方(かた)に連絡(れんらく)すると、快(こころ)く返事(へんじ)をしてくれた。そこで、私(わたし)は編集(へんしゅう)の鬼門(おにかど)さんと共(とも)に九泉岳町(きゅうせんだけちょう)に向(む)かった。



 青波台(あおなみだい)から九泉岳(きゅうせんだけ)に行(い)くには、ローカル線(せん)を乗(の)り継(つ)いで県境(けんざかい)を跨(また)ぐ必要(ひつよう)がある。今(いま)まで行(い)ったどの町(まち)よりも長(なが)い旅路(たびじ)だ。

「闇先生(やみせんせい)の話(はなし)を聞(き)いて、僕(ぼく)も九泉岳(きゅうせんだけ)について調(しら)べてみました。どうやら、世間(せけん)には報道(ほうどう)されていない行方不明者(ゆくえふめいしゃ)が多数存在(たすうそんざい)しているようです。その噂(うわさ)から心霊(しんれい)スポットとして人気(にんき)なのですが、行方知(ゆくえし)らずになってからこの山(やま)から帰(かえ)って来(き)た者(もの)は一人(ひとり)も居(い)ないそうです。それならば遺体(いたい)が山(やま)に残(のこ)されてもおかしくはないはずですが、それすらも見(み)つからない。いわく付(つ)きの場所(ばしょ)として地元(じもと)からは恐(おそ)れられています。」

私(わたし)は鬼門(おにかど)さんがここまで九泉岳(きゅうせんだけ)について 調(しら)べているのに驚(おどろ)いた。

「へぇ、よく調(しら)べられているね。」

「それにしても闇先生(やみせんせい)は命知(いのちし)らずですね。」

「多少(たしょう)命懸(いのちが)けでないと怪奇小説家(かいきしょうせつか)としてやっていけないからね。」

「僕(ぼく)は嫌(いや)ですよ。先生(せんせい)と違(ちが)って独(ひと)り身(み)ですけど、死(し)にたくありません。」

「まぁ、普通(ふつう)はそうだろうね…」

私(わたし)は、車窓(しゃそう)をカメラに収(おさ)めながら、鬼門(おにかど)さんの話(はなし)を聞(き)いていた。



 そして、電車(でんしゃ)は九泉岳駅(きゅうせんだけえき)に辿(たど)り着(つ)いた。私(わたし)はそこに降(お)りて町役場(まちやくば)に向(む)かう。

 そこで待(ま)っていたのが九泉岳(きゅうせんだけ)を調(しら)べている大学生(だいがくせい)だった。彼(かれ)はインターネットの中(なか)で匿名(とくめい)で九泉岳(きゅうせんだけ)の情報(じょうほう)を集(あつ)めたサイトを運営(うんえい)している。また、無断(むだん)で山(やま)に入(はい)る所謂(いわゆる)心霊(しんれい)マニア達(たち)に注意(ちゅうい)を促(うなが)す役割(やくわり)も果(は)たしていた。

「実際(じっさい)に会(あ)うのは初(はじ)めてですね。僕(ぼく)は有年拓人(うねたくと)と申(もう)します。」

有年(うね)さんは、私達(わたしたち)に向(む)かって深々(ふかぶか)とお辞儀(じぎ)をした。

「それにしても、有年(うね)って珍(めずら)しい名前(なまえ)ですね。」

「有(あ)るに年月(ねんげつ)の年(ねん)と書(か)いて有年(うね)。かつては地名(ちめい)だったんです。」

有年(うね)さんは私達(わたしたち)にこう話(はな)していた。

「九泉岳(きゅうせんだけ)は心霊(しんれい)スポットとして界隈(かいわい)では有名(ゆうめい)です。ですが、軽(かる)い気持(きも)ちでこの山(やま)に近(ちか)づいてはいけません。」

「それは、どうしてでしょうか…」

「何故(なぜ)かというと、怪物(かいぶつ)が居(い)るからです。これは決(けっ)して比喩(ひゆ)ではない。本物(ほんもの)の怪物(かいぶつ)がこの山(やま)に潜(ひそ)んでいるのです。」

有年(うね)さんは怪物(かいぶつ)が当(あ)たり前(まえ)に存在(そんざい)しているかのようにそう断言(だんげん)していた。それだけで心霊(しんれい)マニアが遠(とお)ざかるとは思(おも)えないのだが、何故(なぜ)そう言(い)い切(き)れるのだろう。

「怪物(かいぶつ)が居(い)るってどうして分(わ)かるんだい?」

「僕(ぼく)がこの目(め)で見(み)たからです。幼(おさな)い頃(ころ)に僕(ぼく)はこの山(やま)で迷子(まいご)になりました。その時(とき)にこの世(よ)のものとは思(おも)えないものを見(み)ました。巨大(きょだい)な爬虫類(はちゅうるい)のようですが、恐(おそ)ろしい形相(ぎょうそう)でした。あれは僕(ぼく)を確実(かくじつ)に殺(ころ)そうとしていた。僕(ぼく)は必死(ひっし)に逃(に)げて助(たす)かりましたが、あれで死(し)んだ方(かた)も多(おお)いだろうと思(おも)い、それから調(しら)べ続(つづ)けているのです。」

それから、有年(うね)さんは九泉岳(きゅうせんだけ)について研究(けんきゅう)しているそうだ。



 九泉岳(きゅうせんだけ)は昔(むかし)から怪物(かいぶつ)が存在(そんざい)し、人々(ひとびと)の生活(せいかつ)を脅(おびや)かしていた。

 そこでその中(なか)でも強(つよ)い十三体(じゅうさんたい)の怪物(かいぶつ)を社(やしろ)に封(ふう)じ、九泉神社(きゅうせんじんじゃ)の『十三(じゅうさん)の扉(とびら)』と呼(よ)ばれるようになったそうだ。

「九泉神社(きゅうせんじんじゃ)まででしたら結界(けっかい)があるんで大丈夫(だいじょうぶ)だとは思(おも)います。まぁ、その結界(けっかい)も気休(きやす)め程度(ていど)のものなんですがね…」

有年(うね)さんはそう言(い)うと私達(わたしたち)を神社(じんじゃ)まで案内(あんない)した。神社(じんじゃ)は山(やま)の中(なか)にあるのか、私達(わたしたち)は山道(やまみち)を歩(ある)いていく。




 この世界(せかい)の妖怪変化(ようかいへんげ)は、妖(あやかし)と怪(かい)に分(わ)けられると昔(むかし)本(ほん)で読(よ)んだ事(こと)がある。妖(あやかし)は生物達(せいぶつたち)の魂(たましい)や感情(かんじょう)、それに人間(にんげん)が生(う)み出(だ)した伝承(でんしょう)が組(く)み合(あ)わさった事(こと)によって形成(けいせい)された存在(そんざい)だ。妖(あやかし)の特徴(とくちょう)は、その存在(そんざい)にこの世界(せかい)や人間(にんげん)が関(かか)わっている事(こと)だ。また、定着(ていちゃく)した妖(あやかし)は子孫(しそん)を残(のこ)している。崇君(しゅうくん)の一族(いちぞく)のように半妖(はんよう)と呼(よ)ばれる人間(にんげん)と妖(あやかし)の間(あい)の子(こ)が生(う)まれる事(こと)がある。


 一方(いっぽう)、怪(かい)についてはよく分(わ)かっていない。伝承(でんしょう)にある竜(りゅう)や鬼(おに)も怪(かい)の一種(いっしゅ)とされているが、どのように産(う)まれたのか、また何処(どこ)に居(い)るのかは謎(なぞ)に包(つつ)まれている。一説(いっせつ)によるとこの世界(せかい)とは異(こと)なる世界(せかい)の生物(せいぶつ)であるとされている。



 妖(あやかし)と怪(かい)、どちらにしても太古(たいこ)より人間(にんげん)を襲(おそ)い続(つづ)け、伝承(でんしょう)という形(かたち)で各地(かくち)で語(かた)られていた。現代(げんだい)では認知(にんち)する者(もの)も少(すく)なくなったが、影響(えいきょう)は少(すく)なからず受(う)けている。


 私(わたし)は先程(さきほど)妖(あやかし)と怪(かい)に分(わ)けられると言(い)った。もちろん、妖(あやかし)の特徴(とくちょう)を持(も)つ怪(かい)も居(い)ればその逆(ぎゃく)もある。二(ふた)つに分(わ)けずに妖怪(ようかい)と引(ひ)っ括(くる)めて考(かんが)える人(ひと)も居(い)る。



 有年(うね)さんの話(はなし)を聞(き)く所(ところ)によると、この山(やま)に棲(す)むのは怪(かい)だ。事実(じじつ)、それを目撃(もくげき)した有年(うね)さんはこの世(よ)のものではないような気(き)がしたと言(い)った。ここからは私(わたし)の憶測(おくそく)でしかないが、死出山(しでやま)にあの世(よ)への境目(さかいめ)があるように、この九泉岳(きゅうせんだけ)にも怪(かい)が居(い)る世界(せかい)の境目(さかいめ)があるのだろうか。



 しばらく歩(ある)いていると、私達(わたしたち)は神社(じんじゃ)に辿(たど)り着(つ)いた。そこは、血(ち)を被(かぶ)ったように赤黒(あかぐろ)い鳥居(とりい)が並(なら)び、祭殿(さいでん)と思(おも)われる建物(たてもの)の『十三(じゅうさん)の扉(とびら)』から禍々(まがまが)しい気配(けはい)が漏(も)れている。とてもじゃないが、神社(じんじゃ)とは思(おも)えない程(ほど)に気味(きみ)が悪(わる)かった。

「神社(じんじゃ)って何(なに)かを鎮(しず)める為(ため)に造(つく)られたっていう話(はなし)もありますよね。」

「ええ、この九泉神社(きゅうせんじんじゃ)の場合(ばあい)は怪(かい)を封(ふう)じる為(ため)ですかね…。」

私(わたし)はこの神社(じんじゃ)から発(はっ)する空気(くうき)に吐(は)き気(け)がした。それに、目眩(めまい)が止(と)まらない。

「随分(ずいぶん)と気味(きみ)が悪(わる)いな。なるべく近(ちか)づきたくはない…。」

「闇先生(やみせんせい)がそんな事(こと)をおっしゃるなんて珍(めずら)しいですね。普段(ふだん)ならこういう場所(ばしょ)でも平気(へいき)そうですのに。」

確(たし)かに私(わたし)はよくある心霊(しんれい)スポットに行(い)くのは平気(へいき)だ。死出山(しでやま)も不気味(ぶきみ)な場所(ばしょ)ではあった。そこで亡(な)くなる人(ひと)も多(おお)く、とても安全(あんぜん)と言(い)える場所(ばしょ)ではなかったが、私(わたし)は平気(へいき)だった。

 狂気(きょうき)から覚(さ)めてから、私(わたし)は霊(れい)や妖(あやかし)の存在(そんざい)を視(み)るようになったが、そこで危険(きけん)を感(かん)じた事(こと)はなかった。大抵(たいてい)のものは、私(わたし)の姿(すがた)を見(み)るとすぐに逃(に)げてしまうからだ。恐(おそ)らく、私(わたし)に残(のこ)る圭ノ介(けいのすけ)の気配(けはい)に気(き)づいて寄(よ)り付(つ)かないのだろう。いろは君(くん)や晦君(つごもりくん)のように私(わたし)に寄(よ)り付(つ)くものも居(い)るのだが、その二人(ふたり)は人間(にんげん)に友好的(ゆうこうてき)でかつ力(ちから)が強(つよ)かった。

 だが、今回(こんかい)感(かん)じている気配(けはい)は何(なに)かが違(ちが)う。この世界(せかい)のものではない、異質(いしつ)なものだ。

「二人(ふたり)は平気(へいき)なのか…?」

体調(たいちょう)を崩(くず)した私(わたし)の横(よこ)で、鬼門(おにかど)さんと有年(うね)さんは平然(へいぜん)としていた。やはり、気配(けはい)を感(かん)したのは私(わたし)だけなのだろうか。



 参拝(さんぱい)を済(す)ませた後(あと)、私達(わたしたち)は山道(やまみち)を降(お)りた。その時(とき)だった。突然(とつぜん)私(わたし)に何(なに)かが巻(ま)きついて来(き)た。口(くち)も塞(ふさ)がり声(こえ)が出(で)ない。私(わたし)はそれに引(ひ)きずり込(こ)まれてしまう。

「闇先生(やみせんせい)!消(き)えた…?!」

鬼門(おにかど)さんがそう叫(さけ)ぶのが聞(き)こえた。私(わたし)は助(たす)けを求(もと)めようとしたが出来(でき)なかった。そして、山奥(やまおく)へ連(つ)れて行(い)かれてしまう。



 私(わたし)が目(め)を覚(さ)ますと、神社(じんじゃ)の更(さら)に奥(おく)へ連(つ)れて行(い)かれていた。目(め)の前(まえ)には得体(えたい)の知(し)れない異形(いぎょう)の存在(そんざい)が私(わたし)を囲(かこ)んでいる。それは明(あき)らかにこの世(よ)のものとは思(おも)えなかった。

 この世界(せかい)に蔓延(はびこ)る存在(そんざい)、怪(かい)。彼(かれ)らは正(まさ)しくそうとしか言(い)ようがなかった。有年(うね)さんが目撃(もくげき)したのもそれだろうか。



 私(わたし)は彼(かれ)らを前(まえ)に身震(みぶる)いがした。今(いま)すぐ逃(に)げなければならない。だが、体調(たいちょう)が悪(わる)くすぐに逃(に)げる事(こと)が出来(でき)ない。

「ここから出(だ)してくれないか…?」 

私(わたし)の声(こえ)を聞(き)いてその怪(かい)は振(ふ)り向(む)いた。それは巨大(きょだい)な爬虫類(はちゅうるい)のようだった。だが、目(め)は血(ち)のように赤(あか)く、眼光(がんこう)は鋭(するど)かった。

『駄目(だめ)だ。我(われ)らが喰(く)うまで出(で)てはいけない。』

怪(かい)はそう人(ひと)の言葉(ことば)で言(い)った。どうやら、私(わたし)を攫(さら)った怪達(かいたち)は自我(じが)があり、知能(ちのう)も高(たか)いようだった。

『人間(にんげん)なのに妖(あやかし)の気配(けはい)がする。忌々(いまいま)しい。』

先程(さきほど)話(はな)していた怪(かい)とは別(べつ)の怪(かい)がそう言(い)った。その怪(かい)は異形(いぎょう)としか言(い)いようがない姿(すがた)をしており、身体(からだ)からは無数(むすう)の触手(しょくしゅ)が生(は)えていた。私(わたし)を攫(さら)ったのはこの怪(かい)だとすぐに分(わ)かった。

『待(ま)て、奴(やつ)には才能(さいのう)がある。この人間(にんげん)なら怪(かい)と化(か)しても意識(いしき)を保(たも)つだろう。そして、怪(かい)として強(つよ)くなれる。』

別(べつ)の怪(かい)が二(ふた)つの怪(かい)を宥(なだ)めて私(わたし)を無数(むすう)の目玉(めだま)で見(み)つめた。

『我(われ)らの仲間(なかま)になるか、それともこの場(ば)で喰(く)われるか、どちらか選(えら)べ。』

私(わたし)は、怪達(かいたち)に恐(おそ)れを見(み)せないように、拳(こぶし)を握(にぎ)って立(た)ち上(あ)がった。

「嫌(いや)だね。どちらにもなりたくないよ。確(たし)かに昔(むかし)の私(わたし)ならその誘(さそ)いに乗(の)って怪(かい)になったかもしれない。だが、今(いま)の私(わたし)は首(くび)の皮(かわ)一枚(いちまい)この人間(にんげん)の世界(せかい)と繋(つな)がっているんだ。私(わたし)の存在(そんざい)を待(ま)っている人(ひと)が居(い)るんだ。それに、私(わたし)もまだまだこの世界(せかい)でやりたい事(こと)が残(のこ)っているんでね、今(いま)すぐ人間(にんげん)を辞(や)めるつもりはないよ。」

私(わたし)のその言葉(ことば)を聞(き)いて目玉(めだま)の怪(かい)は激昂(げっこう)した。

「己(おのれ)…、我(われ)の誘(さそ)いを断(こと)わろうというのか、人間(にんげん)の分際(ぶんざい)で!」

その目玉(めだま)の怪(かい)は私(わたし)を飲(の)み込(こ)もうとした。流石(さすが)にもう駄目(だめ)かと思(おも)った。



 その時(とき)だった。突然(とつぜん)空気(くうき)が熱(あつ)くなったと思(おも)うと、空(そら)から斬撃(ざんげき)と共(とも)に誰(だれ)かが降(ふ)ってきた。その人物(じんぶつ)は大鎌(おおがま)を持(も)ち、顔(かお)を黒(くろ)い骸骨(がいこつ)の仮面(かめん)で隠(かく)していた。あの人(ひと)は、伝承(でんしょう)に聞(き)く死神(しにがみ)なのだろうか。それにしても何故(なぜ)、今(いま)私(わたし)の目(め)の前(まえ)に現(あらわ)れたのだろう。

「ここまでよく頑張(がんば)ったな。」

そして、その死神(しにがみ)は一瞬(いっしゅん)にして怪達(かいたち)を斬(き)りつけると、怪(かい)は消(き)えてしまった。

「君(きみ)が死神(しにがみ)なら、私(わたし)を殺(ころ)しに来(き)たのか?」

死神(しにがみ)は首(くび)を振(ふ)ると、私(わたし)に歩(あゆ)み寄(よ)ってきた。

「いや、助(たす)けに来(き)たんだ。この辺(あた)りは怪(かい)が多(おお)いからな。それに、俺(おれ)は人間(にんげん)を助(たす)けるのも死神(しにがみ)の役目(やくめ)だと思(おも)っている。」

その死神(しにがみ)は溌剌(はつらつ)とした青年(せいねん)の声(こえ)でそう話(はな)した。怪(かい)がこの世界(せかい)に存在(そんざい)するように、死神(しにがみ)もこの世界(せかい)に存在(そんざい)するのだろうか。にわかに信(しん)じ難(がた)い話(はなし)だが、今(いま)まで数奇(すうき)な運命(うんめい)を辿(たど)ってきた私(わたし)は、この状況(じょうきょう)をどうにか受(う)け入(い)れる事(こと)が出来(でき)た。

 私(わたし)はその死神(しにがみ)にお礼(れい)を言(い)おうとしたが、先程(さきほど)の吐(は)き気(け)と目眩(めまい)が収(おさ)まらず、その場(ば)に疼(うず)くまった。すると、私(わたし)の容態(ようたい)が悪(わる)いのに気付(きづ)いたのか、その死神(しにがみ)は、ポケットから水筒(すいとう)を取(と)り出(だ)して、中身(なかみ)を私(わたし)に注(そそ)いだ。

「三途(さんず)の川(かわ)の水(みず)で淹(い)れたお茶(ちゃ)だ。解毒作用(げどくさよう)がある。最(もっと)も、人間(にんげん)に効(き)くかどうかは分(わ)からないが…。」

話(はなし)を聞(き)くだけでは恐(おそ)ろしい代物(しろもの)だった。三途(さんず)の川(かわ)というのは、この世(よ)とあの世(よ)の狭間(はざま)に流(なが)れていると言(い)われる川(かわ)だ。その水(みず)を汲(く)めるという事(こと)は、やはり彼(かれ)は本物(ほんもの)の死神(しにがみ)だろう。助(たす)けてもらったとはいえ、死神(しにがみ)が私(わたし)を殺(ころ)そうとしているという疑惑(ぎわく)は晴(は)れなかった。私(わたし)を騙(だま)してあの世(よ)へ連(つ)れて行(い)こうとしているのかもしれない。

 だが、そのお茶(ちゃ)は何処(どこ)か懐(なつ)かしい良(い)い匂(にお)いがした。そして私(わたし)はそれをいつの間(ま)にか飲(の)み干(ほ)していた。すると、先程(さきほど)まで止(と)まらなかった吐(は)き気(け)と目眩(めまい)が収(おさ)まっている。

「ありがとう…、お陰(かげ)で治(なお)ったよ。」

死神(しにがみ)は水筒(すいとう)を仕舞(しま)うと、山道(やまみち)を降(お)りていった。

「出口(でぐち)はこっちだ、案内(あんない)しよう。」

私(わたし)はその後(うし)ろを走(はし)った。死神(しにがみ)はずっと仮面(かめん)を着(つ)けていた。その状態(じょうたい)でよく走(はし)れるな。それとも、私(わたし)が仮面(かめん)と思(おも)っているそれは本当(ほんとう)の顔(かお)だったりするのだろうか。

 死神(しにがみ)は麓(ふもと)のすぐ近(ちか)くまで案内(あんない)してくれた。

「ここまで来(く)れば大丈夫(だいじょうぶ)だ。」

「そうか、私(わたし)を助(たす)けてくれてありがとう。」

私(わたし)は礼(れい)を言(い)うと町(まち)まで行(い)こうとした。すると、死神(しにがみ)が私(わたし)を呼(よ)び止(と)める。

「待(ま)ってくれ、君(きみ)の名前(なまえ)を聞(き)いておきたい。」

私(わたし)は振(ふ)り向(む)いてこう答(こた)えた。

「渡辺茂(わたなべしげる)、怪奇小説家(かいきしょうせつか)だ。」

「茂(しげる)、そうか…、覚(おぼ)えておくよ。いつか俺(おれ)か、仲間(なかま)が迎(むか)えに来(く)る。それまで機会(きかい)を誤(あやま)るんじゃないぞ。」

死神(しにがみ)はそう言(い)うと姿(すがた)を消(け)してしまった。



 私(わたし)が麓(ふもと)の町(まち)まで降(お)りると、有年(うね)さんと鬼門(おにかど)さんが先(さき)に着(つ)いていた。二人(ふたり)は、帰(かえ)ってきた私(わたし)を見(み)て驚(おどろ)いている。

「闇先生(やみせんせい)?!戻(もど)って来(こ)れましたか?!」

「ああ、なんとかね…。」

「驚(おどろ)きました。まさか怪(かい)に攫(さら)われた後(あと)に戻(もど)って来(こ)られたなんて…。もし、闇先生(やみせんせい)が行方不明(ゆくえふめい)になってしまったら、神社(じんじゃ)まで案内(あんない)した僕(ぼく)のせいになってしまうんじゃないかと思(おも)ったら怖(こわ)くなってしまって…。無事(ぶじ)で良(よ)かったです。」

有年(うね)さんは涙(なみだ)を浮(う)かべながらそう言(い)っていた。戻(もど)って来(く)る人(ひと)が余程(よほど)少(すく)ないのだろうか。

「死神(しにがみ)が助(たす)けてくれたんだ。」

「え、死神(しにがみ)が?何(なに)を言(い)ってるのでしょうか?」

私(わたし)は先程(さきほど)までの出来事(できごと)を伝(つた)えた。だが、二人(ふたり)を含(ふく)めて誰(だれ)もそれを信(しん)じてくれなかった。



 それから私(わたし)と鬼門(おにかど)さんは、有年(うね)さんと別(わか)れて九泉岳(きゅうせんだけ)を離(はな)れた。そして、電車(でんしゃ)の中(なか)で今日(きょう)の事(こと)をまとめた後(あと)、鬼門(おにかど)さんと別(わか)れて家(いえ)に帰(かえ)った。


 思(おも)えば私(わたし)は幸運(こううん)だったのだろうか。もしあの死神(しにがみ)が助(たす)けてくれなければ、私(わたし)はあの山(やま)から帰(かえ)るどころか、命(いのち)がどうなっていたのかも分(わ)からない。 それから、死神(しにがみ)について調(しら)べてみたものの、有力(ゆうりょく)な情報(じょうほう)は得(え)られなかった。

 それから、心残(こころのこ)りがもう一(ひと)つある。それは、死神(しにがみ)に貰(もら)ったあのお茶(ちゃ)がまた飲(の)みたいと思(おも)った事(こと)だ。だが、三途(さんず)の川(かわ)の水(みず)なんてものは手(て)に入(はい)らず途方(とほう)に暮(く)れた。また、お茶屋(ちゃや)に通(かよ)ってありとあらゆる種類(しゅるい)を買(か)っては飲(の)んだが、それというものは見(み)つからなかった。やはりあのお茶(ちゃ)が特別(とくべつ)だったのか、それとも私自身(わたしじしん)が特異(とくい)な状態(じょうたい)だったのだろうか。

 だが、お茶探(ちゃさが)しををして良(よ)かった事(こと)が二(ふた)つある。それは、自分(じぶん)で美味(おい)しいお茶(ちゃ)を淹(い)れられるようになったのと、自分(じぶん)や志保(しほ)の好(す)きなお茶(ちゃ)の種類(しゅるい)が分(わ)かった事(こと)だ。


 






 

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