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煤まみれの騎士  作者: 美浜ヨシヒコ
第六部
210/212

210_力なくとも

 誰もが言葉を失っている。

 各騎士団の団長以下幹部たち。中央高官らに、ヨナ教会の司教の面々。

 そして国王。


 彼らの視線の先では、十数人の騎士たちが一様に蹲っていた。

 本来なら易々と膝をつく者たちではない。

 何しろ、いずれ劣らぬ精鋭ぞろい。全員が隊長クラスである。


 にもかかわらず、その中心に立っている若者は、呼吸一つ乱していない。

 手にした銀の剣は、刃が潰された訓練用のものだが、しかし訓練相手たちの戦意を完全に斬り裂いていた。


 御前での模擬戦。

 いかに有望とはいえ、叙任されたばかりの騎士を王が視察するなど、通常なら考えられない。

 だが、この若者はまさに常軌を逸している。

 騎士団が王に行幸(ぎょうこう)を願ったのも頷ける話であった。


「これほどとは……」


 視察する者たちの一人、唸るように言ったのは、第三騎士団の団長、マティアス・ユーホルトである。

 万事に極めて優れた騎士であり、全騎士団を通して知らぬ者は居ない。

 その彼をして、驚愕せしめるものが若者にはあったのだ。


 恐ろしく強い。

 そして、それだけではなかった。

 美しい。筆舌にし難いほどに。

 戦いの場において美がこれほど雄弁であることを、人々は知らなかった。


 力に満ち、かつ深みを湛えた眼差し。

 白皙(はくせき)に、僅かな朱を差した頬。

 整い切った面立ちと併せ、まさに生ける彫像の風情である。


 風が吹き、軽いウェーブのかかった髪がふわりと揺れた。

 長いピンクブロンドが、同じく桃色の唇を撫でていく。

 その様は楚々としいるようで、妖艶でもあった。


「………………」


 いまだ皆、声を出せずにいる。

 若者が剣を振るうその光景は、見た者全員の瞳に焼き付いていた。

 この若者の戦う姿は、神話の戦乙女そのもの。

 神話のそれを見たことのある者など居ないが、しかし、そのものと言うほか無い。


 剣に詳しくない者でも分かる。

 若者の戦いには、迷いと無駄の一切が無いのだ。

 ぴんと伸ばした背筋で、風を裂くように剣を振る。

 すると相手は、尽く(くずお)れる。

 あまりにも華麗だが、華麗というには強すぎた。


 若者はまさに、美と強さの極致に居る。

 金剛石が人の形を為しているのではないかと、益体(やくたい)の無いことをユーホルトは思った。

 誰もが、その金剛石の化身から目を離すことが出来ない。

 ある者は震え、ある者は呆けている。


「あなた、つよいのね!」


 そんな中、彼女へ近づいて声をかける者があった。

 幼子(おさなご)である。

 あっ、と。侍女らしき女性が焦りに声をあげた。

 同じく、国王も小さく声を漏らす。幼子は、彼の娘だったのだ。


「おともだちになりましょう!」


「セラフィーナ殿下……」


 一瞬固まったのち、若者はやっと顔を綻ばせる。


「ふふ、私で宜しければ」


 エステル・ティセリウス。この時、十六歳。

 歳相応の少女らしい表情を、ようやく見せたのだった。


 ◆


 ベッドから起き上がり、外へ出たエステル。

 少々の午睡で、僅かながら体調が上向いたようである。

 普通なら今少し休み、回復を確かにしたいところであるが、彼女は出歩くことに決めた。


「暖かいな」


 陽光が心地良い。

 部屋の中で大人しくしているよりは、この光を浴びた方が心身に良い作用を得ると、そう考えてみたのだ。


「…………」


 揺れる稲穂を眺めながら、村の中を歩くエステル。

 ティセリウス家が治めるこの地に居ると、やはり昔を思い出す。陽を浴びて歩いてみようなどと考えたのも、その影響かもしれない。

 昔はこうだった。

 この地に居た頃、彼女は常に活動的で、弟の手を引いては外へ飛び出したものだ。


 しかし団長になってよりこちら、たまに休日があっても部屋に篭るばかり。

 つまらぬ大人になってしまったのか、大人がつまらぬものなのか。


「……そんなことを考えている場合でもないか」


 北の方へ目を向けるエステル。

 そこには低い山陵が連なっていた。

 スアビニ村の北側は、なだらかな山に面している。

 追手は、あの山を越えてやって来るのか、それとも麓を回ってやって来るのか。


 この平和な村に、敵たちが隊列を組んで現れる光景。

 エステルはそれを想像し、固く口を引き結んだ。

 負傷し、武器の一つも無く、孤立無援の状態である。

 襲われればひとたまりも無いだろう。


「あ、エステル様!」


「エステル様。お加減は如何ですか?」


 そんな彼女へかけられる、気遣わしげな声。

 村人たちの表情は純朴そのものであった。


「だいぶ良くなったよ。ありがとう」


「無理せず、ゆっくり休んでくださいね」


 にこにこと笑う村人たち。

 中央の政争などとは程遠いところで、日々を誠実に生きる者の笑顔であった。


「良い村だ……」


 あの夜、野営地での襲撃から逃げ出したエステル。

 馬に飛び乗るも、命からがらの脱出であった。

 負傷は深く、手綱を取る腕に力が入らない。

 馬上で何度も気を失いそうになったのだ。


 どこかの村落へ保護を求めたいが、野営地の近辺でそうする訳にはいかない。敵は、周囲の村落から捜索を始めるであろうから。

 傷を治療する手立ても無いまま、ぼやける思考とぼやける視界で逃げていくエステル。

 そして野営地から離れ、辿り着いたのが、このスアビニ村であったのだ。


 この村には、幼少期の記憶があった。

 昔、領内を回る父に付いてこの村を訪れ、少し滞在したことがあったのだ。

 弟と二人、麦畑でかくれんぼをしたことが思い出される。

 その思い出が、彼女をここへ導いたらしい。


「エリアスもこの村を気に入っていたな……」


「エステル様?」


「いや、何でもない」


 ついに馬から崩れ落ち、村の入口で倒れていた彼女を、この地の人々が保護したのだ。

 傷だらけのエステル・ティセリウスを発見した村人たちは大層驚いたが、すぐにベッドと食事を与えてくれた。

 心優しい者たちである。


「あの、エステル様」


「うん?」


「山向こうの村で、エステル様を捜す騎士さんたちが居たみたいで……」


「……そうか」


「絶対にこの村から出ず、隠れててくださいね」


 何も聞かず、ただ元気づけるように言う村人たち。

 エステルを捜すその騎士たちが、襲撃者らとは別の、本来の部下たちである可能性もあるが、勝手な期待は禁物である。

 やはり、敵は近くまで来ていると見るべきだ。


「…………」


 この村を巻き込みたくはない。

 目の前で笑顔を見せる、心優しい者たち。

 考えたくないが、敵はエステルを見つけたら、この村ごと攻撃しかねない。

 自分がここを離れれば、村を危険に晒さずに済むだろう。


 だが、碌に身体の利かぬ状態で逃げ続けたところで、無為に死ぬことにしかならない。

 英雄願望と自殺願望は紙一重だ。

 少なくとも、今のエステルの状況においては。


「…………」


 いや、格好をつけるような話ではない。

 エステルは今、理解していた。つまるところ、自分は死にたくないのだ。


 死を間近とする戦いの世界で、長く生きてきた。

 いずれ死が訪れることになろうとも、それはきっと必然なのだと、自身にそう信じさせてきた。


 だが自分はどうやら、死にたくない。

 為すべきこと、信ずること。それが見えてきた今、死ぬわけにはいかないのだ。

 剣は無く、痛み疲れた身なれど。


「あっ! エステル様!」


「エイラ」


「まだ出歩いちゃ駄目ですよ! 傷も治ってないんですから!」


 エイラが、慌てた様子で駆け寄ってくる。

 そして連れ戻そうと、両手で包むようにエステルの手を握った。

 温かい手のひら。

 決して失わせてはならぬと思えるぬくもりであった。


 ◆


「シグ殿。山を出て西側に抜けたいのだが」


「何でだよ」


 麓には、敵が展開している可能性もある。

 シグたちとしては、敵の目から逃れて山中に潜んでいるところを、わざわざ出ていく理由が無い。


「それは……あれだ。敵が本気でこの山を捜索すれば、程なく見つかってしまうからだ」


「バカだろお前」


 山狩りとなれば、かなりの手勢が必要になる。

 敵にどれほどの兵力があるかは不明だが、第二目標に過ぎないエリアスを捕らえるために、大きな兵力を割くはずが無い。

 敵にとっての最優先目標は、エステル・ティセリウスなのだから。


 少し考えれば分かることである。

 それ故のバカ呼ばわりであったが、当然エリアスの家臣たちは気色ばんだ。


「旦那様に向かって、い、今なんと!」


「シグ殿。私は姉上を救いたいのだ」


 家臣の怒声を遮るように、エリアスは言った。

 シグは片眉を吊り上げ、エリアスへ視線をぶつける。

 俺に救われただけのてめえが、人を救いたいと抜かすのか、と言っているようであった。


「……私は姉上を救いたい」


 対して、エリアスから出たのは同じ台詞である。

 彼は語彙に乏しい訳でもないが、どうしてか同じ言葉が口をついて出た。

 しばしの沈黙を挟み、シグは尋ねる。


「どうやって?」


「姉上の居場所には心当たりがあるのだ」


 峡谷付近での野営中に事態が起きたと、中央の使者は言っていた。

 そこから逃げたとして、あの賢明な姉が、すぐに見つかるような近隣の村へ逃げ込むはずが無い。

 峡谷から離れつつ、彼女が向かいそうな場所。

 エリアスには心当たりがあった。


「心当たり、ねえ」


「ああ。確証は高い。だが、敵がそこを見つける可能性も高いと思う」


 虱潰しで村々を捜していけば、いずれは行き当たる。

 敵に諦める気が無いことは、状況から見て明らかであった。


「ふーん。そうかい」


 興味無さげに、こきこきと首を鳴らすシグ。

 エステル・ティセリウスの窮状はシグにも伝わっているが、そもそも彼の仕事はエリアスの保護である。

 救出が成った以上、あとは追手から遠ざかって匿うのが当然であった。


「シ、シグ殿。大切な姉なのだ」


「あのよ。そこにお姉ちゃんが居たとしてだ。てめえに何が出来る?」


 無慈悲な指摘。

 シグはあらゆる面で貴族が嫌いだが、特に許し難く思うのは、彼らが力の本質を知らないという点である。

 強い権力を持ち、為したいことを為せる立場に居る者たちは、その権力が万事に及ぶと思い込む。

 だから、自身の力が及ばぬようなことでも、やれると考える。やると言い出す。


 古の権力者など、こぞって不老不死を求めたと言う。

 権力を持つ者は、すべてを為し得ると思い込むのだ。

 シグはそう捉えている。


 目の前に居るエリアス・ティセリウス。

 権力がある。家格と権威がある。それらは極めて強い力だ。

 だが、害意を向けてくる者たちから逃れ、山中に潜む今、その力はまったく意味を為さない。

 今のエリアスには、何を主張する権利も無いのだ。

 にもかかわらず、彼はそれを分かっているように見えない。


「………………」


「何が出来んだって訊いてんだよ」


 押し黙るエリアスに、シグの言葉が突き刺さる。

 低く唸るようなシグの声には迫力があった。

 エリアスは、あ、う、と言葉にならない声を幾つか発したのち、ようやく答える。


「何も……何も、出来ないかも……しれない」


「じゃあ行っても死ぬだけじゃねえか」


 そんなことも分からないのだから、シグにとって貴族は度し難い。

 誰もが膝をついて、自分に道を譲ってくれる。そういう日々を生きてきたから甘い展開を夢想出来るのだと、鼻を鳴らす。


「だ……だが! ここでじっとしてはいられぬ! 姉上の身を天命に委ねることなど、到底出来ぬのだ!」


 突如、声を張り上げるエリアス。

 しかし強弁したところで、どうにかなる話ではない。


 エリアス自身にもそれが理解出来ぬ訳ではないらしく、叫んだは良いが俯いてしまう。

 そして俯いたまま震え出した。

 歯を食いしばり、両手を強く握りしめている。


 彼はどうやら、自らの無力に耐えていた。

 自身が無力であるという現実を理解し、それに耐えていた。

 それでも為すべきを為したく、喘ぐように口を開く。


「ち、力なくとも、責務はあるはずなのだ……!」


「知らねえよ」


「目を逸らしてはいられぬ! わ、私は……!」


「…………」


「私は……私は……!」



 ────エリアス! わたしが付いてるからね!



 ついにエリアスは落涙した。

 ぼろぼろと、涙が頬を伝っていく。

 彼自身にとって心底情けなく、惨めなことであった。


 エリアスとて世の無情を心得てはいるが、それでも辛い。

 今、自分は、ただ守られるだけの身である。

 たった一人の肉親が死地にあるというのに、何も出来ないのだ。

 無念であった。

 自身の無力が、どうしようもなく無念であった。


「う……うう……」


 両手は、音が出るほどに握りしめたままだ。

 流れる涙を拭うこともせず、唇を震わせるエリアス。

 その唇の端から、唾液が糸を引いて地面に落ちた。

 涙も、ぼとぼとと落ちていく。


 それらの体液が、ぐしゃぐしゃの顔を濡らした。

 どこまでも惨めである。

 あまりの様に、家臣たちは声をかけることも出来ない。


「姉を……(うしな)いたくないのだ……」


「そうかよ」


「どうしても…………どうしても…………」


「じゃあ山を出る。行くぞ」


「シグ殿、私は………………え?」


 既に背を向けているシグ。

 家臣たちが呆けたように視線を向ける中、ずかずかと歩き出した。


 ◆


 後ろを、少し遅れて付いてくるエリアス。

 その自信の無さげな足音に、嘆息するシグである。


 貴族も色々だ、と思う。

 ロルフも貴族、しかも次期領主として嘱望された身であったようだが、彼はエリアスとは全く違った。

 生きるための知識に豊富で、それに沿った行動力も尋常なものではない。

 自ら道を切り開く強さがある。


「……まあ、アレと比べんのも酷か」


 普通に考えて、ロルフが特殊なのだ。

 あのような精神性を持つ男が、ほかに居るとも思えない。


「………………」


 とはいえ、それほどの男であっても手放しで認めてやる気にはなれない。

 ロルフにも得手不得手はあり、知識にも偏りが見られる。


 特に、そう。女の方はてんで駄目だ。

 シグはふと思い出す。

 女を教えてやろうと、彼はロルフを娼館へ連れ出そうとしたことがあった。

 リーゼが邪魔しようとしたが振り切り、ロルフ宅へ向かったのだ。

 そうしたら家の前にミアが居て、シグへ真っすぐ視線を向けてきた。

 シグとてこればかりは強行突破も出来ぬと、引き返したのであった。


「……ふ」


 首を振り、くつくつと笑うシグ。

 我ながら、可笑(おか)しな記憶が随分と増えた。

 今回のこれも、その一つになるのか?

 雛鳥のように後ろを付いてくる男は、ロルフとは比べるべくも無いが、どうやらマシな部類には入る。


「おっ」


 歩く先、木々が開け、山の麓が見えた。

 遠く見渡す先、野営を張っている者たちが居る。

 出で立ちから見るに、王国の騎士たちであった。


「旗が出てねえが、第一騎士団かもな」


「う、うむ。しかし……」


 シグの横に出て、その一団へ目を向けるエリアス。

 問題は、彼らがどちらの勢力か、である。

 第一騎士団の中の反動勢力が、エステルを襲撃した。

 そしてそれ以外の、裏切りを企図していなかった者たちも居り、彼らもエステル捜索に要員を出しているはずだ。

 視線の先に居るのが後者であるなら、ここで味方としたうえで、エステル救出に向かいたいところである。


「シグ殿。あそこに居るのが敵かどうか、分からないだろうか?」


「無理だな。つーか、そもそも騎士団は今んとこ全部敵だしよ」


 にべも無い。

 いや、頼ってばかりはいられないのだ。

 自分で考え、決断しなければ。


 目を凝らし、注視するエリアス。

 一人、ケープを着けた位の高そうな騎士が目についた。

 厳つい顔つきに、黒々とした顎ひげ。

 見るからに悪い人相をしている。

 善人には見えない。


「…………」


 一瞬、外した視線を隣のシグへ向ける。

 人相の悪さで言えば、この男も負けていない。

 だが、彼は助けてくれた。

 振る舞いは野盗のそれに近いが、しかし彼には高潔な何かがある。


「…………」


 もう一度、麓の一団へ目を向けた。

 あの顎ひげの男は、大きな天幕へ入っていく。

 天幕の入口、垂れ布を手で持ち上げる動作に、どこか善性を感じさせた。

 エリアスはそう感じたのだ。

 これでも、領主として多くの人々と関わってきた。

 戦う力は無くとも、人を見る力はあると自負している。


「……あれは、あそこに居る一団は、姉上を襲った者たちとは別だ。合流しよう」


「言っとくぞ。正確な数は分からねえが、見る限りあそこに居るのは百や二百じゃねえ」


 だからこそ、その数を頼むのだ。

 しかし、シグの言わんとするところは分かる。


「あそこへ踏み込んでいって、奴らがもし敵だったら、俺でもお前を守れねえぞ」


 家臣たちがごくりと唾を呑んだ。

 このシグという男、喋り方こそ知性を感じさせないが、愚かではない。

 認めるのは業腹だが、状況を見通して、出来ぬことは出来ぬと断言している。

 であれば、彼の言うとおりなのであろう。

 のこのこと合流しに行って、そこが敵陣の只中であったなら、その時は終わりである。

 しかし、エリアスは気丈に言い放った。


「……姉の命を救いたい以上、私も命を質草にするのが道理だ」


「簡単に言うねえ。いいけどよ」


 命のやり取りをしたことの無い者が言う、この手の台詞の何と軽いことか。そう思って肩を竦めるシグである。

 だが、命のやり取りをしたことのある者が偉い、という道理も当然無い。

 実際に行動しようとしている以上、意気は買ってやらぬでもなかった。


 ◆


 天幕の中。

 節くれ立った指で、黒々とした顎ひげを撫でる。

 良いとは言えない人相に、なお下卑た笑顔を浮かべ、男は言った。


「どのみち、領を跨いで遠くまでは逃げられまい。団長を捕らえるのは時間の問題だ」


 卓上に広げられた地図。

 幾つかの村にはチェックマークが付いていた。

 既に捜索済みの箇所である。


「ブロル殿。目的は捕縛ではありません。エステル・ティセリウスは排除します」


 テーブルを挟んだ対面に居る若い男は、窘めるように言った。

 纏った法衣から、聖職者であることが分かる。

 そのためか、ブロルと呼んだその男の、品の無い口ぶりに眉を顰めていた。

 もっとも、捕らえるのではなく殺す、などと言っている時点で、この男も聖職者たるとは言えそうもない。


「ふん。約束どおり、殺す前に楽しませてもらうぞ。あれほどの上玉が同じ団に居ながら、手も出さずにこれまで耐えてきたんだからな」


 騎士の鎧を身に纏い、およそ騎士とは思えぬことを口にするブロル。

 唇に舌を這わせながら笑っている。

 左右に居る彼の仲間たちも笑っている。


 ブロルは、反ティセリウスの立場をとる勢力から遣わされ、第一騎士団へ潜り込んでいた者の一人である。

 両隣の仲間も同様だ。

 エステルとて、四千を超える部下たちの素性や人品を把握し切れるわけではない。

 それでも、と彼らの醜悪な笑顔を前にして、司祭は嘆息する。

 このような者たちが団内に居て、気づかぬものなのか、と。


 もっとも、(よこしま)な行動原理を持つ者は、それを隠すことに長ける。

 ブロルたちは、エステルの近くで彼女への劣情を滾らせながら、しかしそれを表に出さず待っていたのだ。

 その劣情をエステルへぶつける日を。


「上玉。もう少し品のある言葉を選べませんか?」


「上玉は上玉だ。あれほど美しい女、そうは居ない。しかもあの強さだ」


 黄ばんだ歯を剥き出しに、にたにたと笑うブロル。

 強いから何だと言うのだ、と司祭は思ったが、ブロルとその仲間たちは、強く気位の高い女を組み伏せ、その美しい顔を歪ませることにこそ価値を感じているのだ。

 まさに唾棄すべき者たちであった。


 しかしそれでも、第一騎士団に在籍出来る時点で、たいへんな実力者なのだ。

 潜入の為に推挙されたとはいえ、弱い者が第一騎士団でやっていけるはずも無い。

 まったく品性と実力は比例しないものだと思いながら、司祭は言った。


「……仰るとおり、エステル・ティセリウスは強い。油断なさらぬよう」


「そのための神器だろう。あれで、団長の腕の一本も消し飛ばしてくれれば良いんだが」


 ブロルが目を向けた先、大仰な箱の中で保管されているのが神器である。

 瑞弓(ずいきゅう)カレドホルム。

 聖者の弟子の名を冠した弓だ。


 神器の使用を許されているこの司祭は、小さく溜息を吐いた。

 カレドホルムは、豪雨の如き神威を見せる弓。

 都合よく腕だけを飛ばせるものではなく、そもそも司祭はエステルを確実に殺すつもりである。

 それ以前に、腕を飛ばされて血にまみれる者を犯すなど、何が楽しいのか分からない。

 相容れぬ、と改めて思う司祭であった。


「セルベル様」


 この司祭の名である。

 天幕に入ってきた騎士が、彼に声をかけたのだ。


「エステル・ティセリウスの関係者だという者が現れました。話したいことがあるそうです」


「ほう」


 セルベルとブロルは、まったく同時に反応した。

 二人は悪辣な目的を持つという点において共通しており、時に行動は似通うのであった。


書籍版『煤まみれの騎士』第8巻が、2026年5月17日に発売になります。

今回も大幅加筆でお送りします。

どうぞよろしく!

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書籍版『煤まみれの騎士』 最新第7巻 発売中!!
今回も大幅加筆修正でお届けしています!
どうぞよろしく!

7巻カバー


― 新着の感想 ―
会話を聞く限りは下衆の類だったしそれどころか下手人だったが、果たして弟くんの目は節穴だったのかどうか… 次回更新が楽しみですね
新刊出る時だけ更新かけるのは流石にナメてんでしょ
…エリアス様? え?どうすんだコレ
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