208_満身創痍の英雄
ロルフたちが向かっているティセリウス領。
その西には、旧アルテアン領が隣接している。
旧アルテアン領は連合の支配地域だが、その境に城砦などの物々しい防衛施設は存在しない。
最近まで、アルテアン領が王国の一部だったためである。
この地域が王国を離れて連合に参加したのは、僅か四か月前のことなのだ。
また、旧アルテアン領の東部は道が狭く入り組んでおり、大軍で進むには向かない。
そのため連合が王都攻略のために東進する場合、ここから南下したレゥ族支配地域、およびダオハン族支配地域を通るルートがメインになる。
そういった背景があるため、旧アルテアン領との境は、王国側にとって重要な防衛線ではなかった。
防衛戦力を整備する優先度は低く、城砦や防壁の建設は後回しになっている。
とはいえ、敵同士が隣接している以上、防衛は当然必要であり、領軍が守りに就いている。
ここが地続きの王国領であった時から使われている各関所に、兵が配置されているのだ。
いずれの関所でも伯爵家の統制が利いており、領軍は規律正しく防衛の任に就いていた。
しかし、その時は事情が違っていた。
前々日に、各関所へ伯爵更迭の速報がもたらされたのだ。
伯爵が中央の意に背いて逃走中であるという報告も添えられていた。
王国直属の騎士団と違い、領軍は貴族領に所属する。
雇い主である貴族家が半壊状態とあっては、機能を保てるはずも無い。
状況を確かめるため伯爵邸へ使いを出す部隊、ほかの関所と情報の擦り合わせを試みる部隊。それぞれが対応に乗り出していた。
この間、どうしても指揮系統は損なわれる。
それでも、それらの部隊はまだマシで、多くの部隊は泡を食って騒ぐばかりであった。
そんな状況の中、関所の一つへ、百騎ほどの武将集団が近づいて来た。
彼らは西、すなわち旧アルテアン領側から接近してきており、つまり敵であった。
「て、敵襲!」
緊急事態を知らせる声が上ずるのも仕方が無い。
関所は先述のとおり、既に緊急事態にあったのだから。
指揮官は不在で、守備兵たちも正しく配置についていないのだ。
そんな中、近づいてくる敵たちの先頭に居る男を見た兵は、息を呑んだ。
黒衣を纏った大男。
もはや知らぬ者は居ないあの男は、大逆犯ロルフ・バックマンではないか?
それに思い至った時、この兵が感じたのは、大功を挙げる機会への高揚などではなかった。
信仰篤い者の中には、今なお大逆犯を無力な加護なしと断ずる者も居るが、多くの兵は彼を脅威と認識している。
矢を番える間も無かった。
巨躯で知られる大逆犯は駆る馬も必然大きく、どかりどかりと大地へ罅を捻じ込まんばかりの蹄の音と共に、関所へ肉薄した。
そして馬上で剣を大きく振り、木柵を打ち壊す。
蜘蛛の子を散らすように逃げる守備兵たち。
大逆犯の襲撃は、その一挙手一投足が迫力に満ちており、兵らを恐慌へ追い立てた。
それでも、ティセリウス領の領軍は烏合の衆ではない。
領主である伯爵は戦闘こそ素人だが、人と物と金を適切に動かし、体制を維持させてきた。
結果、この地の領軍は、中央の助力を得ずに自領を支えてきたのだ。
そこへの自負を持つ幾人かの兵が、距離を取りつつ弓を構えた。
街道も、この関所も広くはない。
襲撃者たちの隊列は、縦に伸びることになる。
その側面を突いて分断させることで、先頭の大逆犯を孤立させれば、勝機はある。
しかし、襲撃者サイドも、その点は警戒していた。
大逆犯のやや後方に居た一騎が隊列から離れ、弓を構える兵たちの方へ迫る。
逃げ惑う守備兵らを盾にして射線を塞ぎ、するすると近づいていく様は老練であった。
そして既に発動されていた魔法剣を振るう。
炎に襲われた兵たちは、弓矢による攻撃を放棄して退却する。
ある兵は、馬上の人間が、このティセリウス領において高名な第一騎士団の副団長に似ていると思った。
だが、そんなことを気にしている場合ではなく、兵らは一斉に離脱する。
ものの数分で防衛線は瓦解し、関所は突破されたのであった。
◆
「かたじけない」
「いえ」
ベルマンの謝辞に、俺は短く答えた。
何のことだ、と惚けるのも気障に過ぎる。
彼の謝辞は、関所の守備兵に死者を出さなかったことに対するものである。
俺が先陣を切って突っ込み、威圧的な初撃を加えることで守備兵を散らしたのは、そのためだった。
俺たちの敵はティセリウス団長の命を狙う者たちであって、ティセリウス領の兵はそれにあたらない。
伯爵の救出も任に含んでいる以上、その部下である兵たちも、出来れば殺したくはないのだ。
むろん、俺に命を預ける味方たちが優先されるため、展開によっては領軍に死者が出る可能性もあった。
と言うより、その可能性の方が高かったはずだ。戦場は命のやり取りをする場なのだから。
俺はあくまで、味方に被害を出さぬ範囲で人死にを抑えるよう意図したに過ぎない。
だから死者を出さずに済んだのは幸運であった。
この幸運のままに、ティセリウス団長を保護したいところだ。
そんな思いに気づいたのか、ベルマンが言った。
「お嬢様は、どこかの村落に匿われていると思われます」
「そうですね。俺も同意見です」
彼女が匿われているという予想は希望的観測のようでもあるが、実際その可能性が最も高いはずだ。
重傷を負っている彼女は、いずれかの村落に保護を求めるだろう。
民の方も、まずそれを拒まない。
ティセリウス団長は王国中で敬愛される英雄だが、最も深く彼女を支持するのが、地元ティセリウス領の民たちである。
やや名望に翳りがある今日でも、領内の人たちは、なお強く彼女を信じている。
負傷しているティセリウス団長を見れば、きっと保護するだろう。
「まずは野営中に襲撃を受けたポイントへ向かいましょう」
「そうですな」
頷き合い、俺たちはティセリウス領内へ踏み込んでいった。
◆
その頃。
ティセリウス領のやや西よりに位置する農村に、エステル・ティセリウスは居た。
ロルフたちの予想は正しかったのである。
王国領の多くは、都市国家然とした体制をとっている。
執政機能を持った一つの大きな都市と、点在する村落によって領地が成り立っているのだ。
ティセリウス領も同様であった。
各地に大小様々な村があり、農業あるいは手工業を営んでいる。
そのうちの一つ、ここスアビニ村は、麦作を主な生業とする一般的な農村である。
成り立ちが古い以外はさして特色の無い村だ。
だが、収穫の近いこの時期、麦畑は美しい。
大きく実ったライ麦の稲穂が、黄金色の絨毯を広げている。
広い麦畑で、陽光の中、緩やかな風にさわりさわりと揺れる稲穂の群れ。
人の心を安らげてくれる光景であった。
それを見慣れている現地の小作農たちも、揺蕩う稲穂には心を和らげる。
単に収穫を喜ぶ気持ちもあるが、人という種が五穀を仰いできた存在である以上、実りには誰もが安らぎを得るものだ。
にもかかわらず、この時のエステル・ティセリウスに平穏は無かった。
窓外に見える美しい金の絨毯も、彼女に安らぎを与えてくれはしない。
状況は、あまりに悪かった。
「う……」
肩口の傷が、ずきりと痛む。
だが、その痛みはすぐに塗り潰された。より強い痛みを、脇腹の傷口が主張するからである。
その痛みもまた、別の痛みに覆い隠される。
骨への損傷も、一箇所や二箇所ではない。
負傷のほどは明らかに深刻であった。
「…………」
だが、耐える。
耐えられると確信している。
強き英雄とはいえ、戦傷と無縁であったわけではない。
むしろ前線に出続けた彼女のこと、体に刻まれた傷は数え切れないほどである。
胸元には、二つの乳房を横断して、ざくりと一文字の傷痕が走っていた。
彼女の美しさを人は褒めそやすが、彼女自身は、その手の評を聞くのが少し辛い。
この身体を見て、なお美しいと言う者が居るとも思えないからである。
「……ふ」
冷笑が浮かぶ。
自身へ向けたものであった。
そもそも、誰に肢体を晒したことも無いし、その予定も無いのだ。
この歳に至るまでである。
戦いに殉ずるとはそういうこと。
英雄として偶像たらんとするはそういうこと。
何度も自身に言い聞かせたはずであった。
「あ、起きておられたのですね」
小屋に、年若い少女が入ってくる。
ベッドから上体を起こしているエステルを見て、小さく笑顔を浮かべていた。
手には、器の乗った盆を持っている。
「穀物粥です。食べられますか??」
「ああ……頂くよエイラ。ありがとう」
エイラと呼んだその少女から器を受け取るエステル。
そして匙で粥を掬った。まだ食欲は無いが、何かを口にしなければ生き延びられない。
「まだ顔色が良くないですね……」
気遣わしげな視線を向けるエイラ。
エステルが満身創痍で逃げた果て、この村に匿われて数日経つが、なかなか傷は癒えない。
「大丈夫だ」
「やっぱり司祭様に……」
「それは出来ないんだ。すまない」
エステルの傷は見るからに深いが、この村では簡単な手当てしか出来ない。
少し離れた場所には、もっと大きな村があり、そこには教会も建っている。
馬を飛ばしてエステルのことを伝えれば、回復術士を寄越してくれるはずであった。
だが、エステルはそれを拒んでいる。
敵の攻撃が神器によるものであろうことに彼女も思い至っていたが、そうでなくとも、教会の中に敵が居ることは予想がつく。
ここにエステルが匿われていることを、教会の者に知られてはならないのだ。
「食事と寝床があれば充分だ。それで癒えるさ」
「は、はい。あ……それとティセリウス様」
「言ったろう、エイラ。エステルで良い。この地でティセリウスと言えば弟のことだからな」
穏やかに微笑むエステル。
傷は痛むが、痛苦に悶える姿を民に見せようとは思わない。
「えっと……エステル様。やっぱり、この村に武器は何も……」
「そうか。いや、手間を掛けさせたな」
手酷いダメージを負わされているうえ、丸腰のエステル。
武器を所望してはみたが、この村には鉄剣の一振りも無かった。
まして魔力を通せる銀の剣など、望むべくもない。
逸れたベルマンが何か手を打ってくれれば有り難いが、やはり状況は厳しいだろう。
「………………」
窓の外に広がる黄金色の絨毯が、穏やかに揺れている。
守られるべき平和を象徴するような光景であった。
書籍版『煤まみれの騎士』第8巻が、2026年5月17日に発売になります。
今回も大幅加筆でお送りします。
どうぞよろしく!





