207_対応措置
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか? 旦那様」
「う、うむ。問題ない」
家臣の声に答えてはみたものの、エリアスは心身ともに疲労の極致にあった。
中央の兵たちから逃げ、屋敷から脱出したは良いが、状況は極めて悪い。
「旦那様。向こうに数名、兵が居ます」
「ああ。こちらを捜しているようだな」
エリアスたちは、屋敷の裏手に広がる山林へ逃げ込んでいた。
ここティセリウス領の都は、山を開墾して作られている。
ティセリウス邸は、その開墾地の端に位置しており、即ち背後には山林が広がっているのだ。
ここで上手く追手をやり過ごしたいところだが、相手には諦めるつもりなど無いらしい。
木々の向こうに見える兵たちは、しつこくエリアスを捜していた。
「……すまない。私は恐らく選択を誤った」
中央との関係悪化を招いた自身の判断を、エリアスは悔やんだ。
ここまでの事態を、彼は想像出来ていなかったのだ。
仕えてくれている者たちに、こうも迷惑をかける羽目になるとは。
「旦那様。弱気はいけません」
「たまに発奮してみるも、信念だと思っていたものが只の自己満足だった。私にはよくあることだ」
「しっかりなさい。やるべきことがお有りでしょう?」
「……そうだな」
このうえ、ただ塞ぎ込んでいては、巻き込んでしまった家臣らに申し訳がたたない。
しかし、どうすれば良いのか。
姉を想い、彼女を救いたくてこのような挙に及んでしまったが、見通しは何も無い。
ここに居るのは、自分のほかは家臣が四人のみ。
うち二人は衛兵だが、しかしこの戦力でどうにか出来る状況ではない。
「まだ兵らの姿が見えますな。ここを離れましょう」
「そうだな。もう少し奥に……痛っ!」
歩き出そうとしたエリアスの足に、鈍い痛みが走る。
どうやら足を挫いていたようだ。
「大丈夫ですか?」
「……問題ない。このぐらいで弱音を吐いてはいられないからな」
自身を奮い立たせるための言葉を吐きながら、エリアスは歩き出す。
しかし、顔には脂汗が浮かんでいた。
気づけば足のほかにも、身体中に痛みがある。
木々の中を夢中で逃げるあまり枝で切ったらしく、こまかな出血が幾つもあった。
「…………」
痛みと焦燥に苛まれるが、しかし歩くしか無い。
やがて息が切れ、強くなる痛みが彼に膝をつかせようとするが、エリアスは耐えた。
奥歯を強く噛みながら、慣れぬ悪路を必死で進んでいく。
「う……」
しかし、歩き続けたところで状況は好転しない。
斜め後方、かなり近い地点に兵たちの姿が見えた。
もう少しで捕捉されるであろう距離である。
「……こちらへ」
家臣が声をかけ、一同は固まって身を屈める。
見つかれば、いよいよ命は無いだろう。
エリアスの脈動は激しくなり、心音で敵に気づかれるのではないかと、自ら不安になるほどであった。
自身の肝の小ささを、改めて恥じ入るエリアス。
そして、そんな彼を追い詰めるように、兵たちは近づいて来た。
少しの身じろぎで気づかれてしまうような距離である。
エリアスは首を竦め、息を潜めて、震える肩を両手で押さえた。
やがて恐怖に喘ぎ、酸素を欲するように、彼は顔をあげる。
その時、木立の向こうに居る兵と目が合った。
兵は一拍を置き、叫ぶ。
「居たぞ! あそこだ!」
「捕らえろ! 生死は問わん!」
枝を払いながら、兵たちが駆けてくる。
エリアスは恐怖で嘔吐しそうになりながらも、兵たちに背を向けた。
そして家臣らと共に走り出そうとする。
しかし、恐怖は彼の足を搦め取ってしまった。
駆け出すことが出来ず、ずるりと転倒してしまう。
「旦那様!」
「うぅっ!」
それでも、何とか逃げようとするエリアス。無様な自分の姿に涙すらこみ上げる。
しかし、彼は立ち上がることが出来なかった。
「あ……!」
迫る兵たちの反対側、エリアスが逃げようとするその方向からも、追手と思しき者が向かってきたのだ。
ひゅ、と。エリアスの喉が音を立てる。恐怖に息を呑んだのだ。
何故なら、向かってくる者の顔に強烈な殺意を感じたからである。
ここに至って、戦場の怖さに気づくエリアス。
彼は捕食者から居竦められたように凍りついた。
到底、腰の剣に手は伸びない。
敵が居て、それに抗するということは、かくも恐ろしいものだったのだ。
自分は何も分かっていなかった。
自領の領軍に戦いをさせておきながら、自分は戦場のことを知らな過ぎた。
もはやエリアスは、恐怖に玩弄されるのみであった。
◆
「霊峰の東に進路を取るとは巧みですな、ロルフ殿」
「恐れ入ります」
隣の馬上から、ベルマンが声をかける。
ティセリウス団長を保護するためにヘンセンを出てから、五日が経過していた。
俺たちは、旧イスフェルト領に入り、霊峰の東へ進んでいる。
霊峰の戦いで、反体制派が進軍したルートだ。
このまま旧アルテアン領を抜け、ティセリウス領へ向かう算段である。
少し南下してから東へ向かえば、レゥ族支配地域の先に、リーゼたちが行っているダオハン族支配地域がある。
そちらからもティセリウス領へは向かえる。
だが、そのルートを取っていては、後れを取る可能性があった。
ティセリウス団長の暗殺を図っている者たちは、今も彼女を捜しているに違いない。
俺たちは、彼らより先にティセリウス団長を見つけなければならないのだ。
そこで俺は、霊峰から東へ向かうルートを取った。
旧アルテアン領を横断するかたちである。
この地は半年前まで王国領であったが、連合への組み入れ後に俺は地形データを再精査させ、状況別の進軍ルートを定めておいたのだ。
その備えが、今回利いてくれた。
少数で急ぎ東へ向かう際は、このルートが段違いに早い。
「それにしても、無理をさせて申し訳ございませんでしたな」
「良いんです。ティセリウス団長の動向は、こちらにとっても重大事ですから」
俺はティセリウス団長の救出を、敵幹部たるベルマン副団長と勝手に約し、議会とアルバンへ事後承諾を求めた。
結果、さすがに議会からは咎められたが、アルバンは俺を庇い、今回の救出作戦が重要であることを説いてくれた。
ティセリウス団長を味方とすることが出来れば、それは連合にとって、たいへんな追い風となるだろう。
かくて俺たちは、約百騎の小集団で急ぎヘンセンを出発した。
ある程度の戦力を確保しつつ、かつ早駆けが可能な数である。
王国領で行動することを踏まえ、魔族たちにはフードを被ってもらっている。
「このまま行けば、明日にはティセリウス領に入れます」
「しかし、如何にして入るかが問題ですな」
頭の中に地図を浮かべながら言う俺に、ベルマンは当然の懸念を口にした。
これから向かうのは、言うまでもなく敵地である。
少数とはいえ百騎におよぶ一軍で、気づかれず侵入出来るものではない。
だが、そこには既に考えがあるのだ。
「街道をまっすぐ抜けます」
「関を破ると言われるのですか?」
正面突破を主張する俺に、やや驚いた声をあげるベルマン。
普通は、時間をかけてでも手勢を分け、抜け道を探しつつ侵入を図るものだろう。
「はい。押し通ります」
「考えるところがお有りのご様子。お聞かせ願えますかな?」
「まず第一に、俺たちには時間的余裕がありません」
敵より先にティセリウス団長を捜し出さなければならない。
迷っている時間も惜しい。最短ルートを行くべきだ。
「うむ……。しかし、こちらの兵力が足りますまい」
正面突破となれば、当然大きな兵力が要る。
本来は、少数で来ている俺たちに採り得る策ではない。
だが今は事情が違う。
「ティセリウス領の指揮系統は、まもなく失われます」
「ふむ?」
「敵は中央を動かして、伯爵家を押さえようとしている筈です」
ティセリウス団長の暗殺を謀った者たちは、神器などというものを使っているあたり、高位の権力者と繋がっているのだ。
その権力のもと、伯爵家へ手を出すはず。
伯爵が姉を敬慕していることは、つとに有名であり、彼がこの事態にあって姉に付く可能性は低くない。
敵はそうなる前にティセリウス伯を押さえ、領主として自由に動く権限を掣肘するだろう。
ましてティセリウス団長と同様、伯爵家も中央との関係が悪い。
である以上、不穏分子を一度に片付けるこの機を、敵が逃すとは思えない。
「ティセリウス伯が放置されることはありません。敵は既にアクションを起こしているでしょう」
「確かに……」
「伯爵は既に、更迭なりされているはず。その場合、領内の指揮系統は一時的に死にます」
ティセリウス伯爵家は領軍を保持している。
関所を守っているのも、その領軍だ。
だが、その領軍をコントロールする伯爵家は、早晩、機能を失う。
伯爵が更迭されてなお、つまり帰すべき伯爵家が消えるかもしれない状況でなお、防衛戦力が指揮系統を維持するとは思えない。
そうなれば、俺の目算では百騎ほどの手勢でも押し通れる。
「筋が通っている。ロルフ殿、よく修めておられますな」
フランシス・ベルマンといえば、ティセリウス団長に剣技と軍略を教え授けた人物である。
そんな人から与えられる賛辞を面映ゆく感じる俺であった。
しかしその時、ベルマンが急に手綱を引いて馬を止めた。
何かに思い至ったようである。
「いかん……」
「ベルマン副団長?」
「ロルフ殿、敵は悪辣なのです」
「ええ、そう思います」
まさに悪辣を極める。
神器を用いてまでティセリウス団長を殺そうとしたやり口には、情けもルールもありはしない。
目的のためには、手段を問わない者たちである。
「更迭では済まない。奴らは、エリアス様を謀殺しかねません」
常に無く声に焦りを滲ませ、額には汗を浮かべるベルマン。
彼はかつて、ティセリウス家に仕えていたと聞く。
ティセリウス団長のみならず、伯爵家に対しても忠心を持っているようだ。
であれば心配するのも無理はない。
しかし、そこは問題ないだろう。
「手は打ってあります」
「と、言われますと?」
「味方を単騎で先行させました」
一人であれば素早く、かつ敵に捕捉されず、ティセリウス領へ先行出来る。
そして伯爵を救出することが可能だ。
だが、ベルマンの表情から焦りは消えない。
「単騎、ですか? 敵も大軍ではないでしょうが、単騎では如何様にもなりますまい?」
「大丈夫です。強い者を遣りました」
「いや、如何に強くとも……」
そう言って、ベルマンは口を噤んだ。
俺の表情から、感じ取ってくれたようだ。
「……よほど信頼出来るお味方を遣わして下さったようですな」
「はい」
答え、改めて馬を走り出させる。
ベルマンもそれに続いた。
「あ、ただ……」
俺の口をついて、声が漏れ出る。
しかし、その先を上手く言葉に出来ない。
「ただ?」
「いえ、何でもありません」
「気になりますな。我らは一蓮托生ですぞ」
そのとおりだ。
だから、しばし逡巡しつつも俺は言った。
「……向かった者は、ティセリウス伯爵と相性が悪いかもしれません。伯は折り目正しい方だと聞いていますから」
「ふむ。その方は、あまり礼を重んじぬ御仁なのですかな?」
「まあ……そんなところです」
礼を重んじない、というのも穏健な表現である。
礼を嫌い足蹴にするような男、という方が正しい。
だが、そこを詳しく伝えたところで、もうどうにもならないのだ。
◆
「ひ……ひ……」
エリアスには、何が起きたのか分からない。
家臣たちも、ただ震えていた。
新たな追手と思しき男は、剣を抜くと、反対方向から来ていた兵たちに斬りかかったのだ。
兵たちは応戦したが、たった一人に敵わなかった。
ものの数秒で兵たちを倒し切った男は、今度はエリアスへ視線を向ける。
恐ろしく鋭い、獣の視線を。
「な……何者だ……!」
家臣の一人が、懸命に絞り出した声で問う。
しかし、男は不快そうに顔を歪め、舌打ちを返すのみである。
「な……何者だと訊いている!」
「おい」
男は家臣を無視し、エリアスへ顔を向けたままだ。
眉間に皺が寄り、目には怒りが満ちている。
「てめえで訊け。家来に言わせてんじゃねーぞ」
「え……う……?」
「聞こえてんのか? あ?」
「うっ……」
蛇に睨まれた蛙であった。
エリアスは震えることすら出来ず、全身を冷や汗で濡らしながらも、石のように固まっている。
その様に、男は一層の怒りを募らせた。
「殺すぞオラァ!!」
明らかに、救護対象者へかける言葉ではなかった。
書籍版『煤まみれの騎士』第8巻が、2026年5月17日に発売になります。
今回も大幅加筆でお送りします。
どうぞよろしく!





