8
前半エレナ視点
後半レオン視点に戻ります
その日の業務が終わった頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。私は両腕で大事そうに紙袋を抱えながら、総務部の前をうろうろしていた。
(うぅぅ……誘うだけ……! お茶に誘うだけだから……!)
でも緊張する。だって相手はレオンさんだ。顔が良い上に優しい。今日はわざわざ会いに来てくれた。しかもお返しだとお茶までくれた。
嬉しいくて、思い出すだけで頬が熱くなる。
そうこうしているうちに終業時間になったのか、総務部の扉が開き、文官さん達が死んだ顔でぞろぞろ出てくる。
「終わったぁ……」
「帰りたい……」
「数字が夢に出る……」
総務部は今日も大変そうだ。しばらく彼らがぐったりとしながら帰る姿を眺めていると、その最後尾からレオンさんが現れた。眼鏡を外しながら歩いてくる姿が、今日もびっくりするほど格好いい。自然と胸が高鳴り、私はぱっと顔を上げた。
「レオンさん!」
レオンさんがこちらを見て、一瞬だけ目を丸くする。
「……まだいたんですか」
「はい!」
元気よく返事をすると、レオンさんが少しだけ笑った。
うわ。イケメンの疲れて気怠げな微笑み…色気がすごい。
「どうしました?」
「あ、あのですね!」
私は勢いよく紙袋を抱き締めた。
「いただいたお茶!」
「ええ」
「せっかくだから、一緒に飲みませんか!?」
沈黙。
廊下を歩いていたゾウ獣人の文官達がぴたりと止まった。
「…………」
「…………」
(なんでみんな止まるの?怖いんだけど。)
レオンさんも数秒黙り込む。
「……それは」
低い声に、少し困ったような表情。
(あれ、迷惑だった?)
「す、すみません! 嫌なら全然!」
「嫌とは言ってません」
即答だった。でもなぜか片手で顔を覆い天を仰いでいる。
「……あなた、本当に距離感どうなってるんです」
「えっ」
「いや……もういいです」
深いため息が聞こえた。でも
「……行きます」
ちゃんと来てくれるらしい。
(やった。)
「本当ですか!?」
嬉しくなった瞬間。
カタカタカタカタ……
廊下の窓が震えた。
「あっ」
最近本当にこれ多い。大人になれば自制できるはずだが、私はレオンさんに出会うまで本能が無だったせいか、無意識に鳴いてしまうらしい。
(こんなのカッコいい男の子にキャーキャーいってる、思春期の子みたい!恥ずかしい…)
私が羞恥心から遠い目をしていると、後ろの文官さん達もなぜか遠い目をしていた。
「また鳴いてる……」
「公開求愛なのか?もしかして惚気てるのか……?」
違うと思う。いや、断じて違う!!
たぶん。
◇
騎士寮の一室へ入った瞬間、レオンは静かに息を吐いた。
(……駄目だろ、これ)
女の部屋、しかも好きな女。意識するなという方が無理だった。室内は、エレナらしく柔らかい雰囲気だ。ソファーの上には丸いクッションが置かれ、サイドテーブルには小さなランプ。棚には綺麗な石や装飾品が飾られている。部屋のなかは甘い匂い、本能をくすぐられるようなエレナの香りがする。全く落ち着かない。
「狭くてすみません!ソファーに座っていてください。」
「いえ……」
エレナは嬉しそうにお茶の準備を始める。その後ろ姿を見ながら、レオンは小さく眉を寄せた。
(警戒心なさすぎだろ)
男を部屋に入れてる自覚が全くない。2人きりだというのに、危機感が仕事をしていない。
「えっと、この茶葉どうやって淹れるんでしょう」
エレナが缶を覗き込みながら首を傾げる。
「……貸してください」
「あっ、はい!」
思わず手を伸ばす。エレナの隣へ並んだ瞬間、ふわりと甘い魅力的な匂いが鼻を掠めた。
腹の底からなにかが込み上げ、空気を低くゆらす。
コトコトコト…………
キッチンのカップが小さく揺れた。
「わぁ」
エレナが不思議そうな顔をして、目を丸くする。レオンは顔を顰めた。
(落ち着け)
だがエレナからもレオンの鳴き声に答えるかのように、低周波の鳴き声が返ってきた。2人の鳴き声が共鳴し、さらに強くカップが音をたてる。
「なんか今、すごく心地いいですね」
エレナがぽやんと笑った瞬間、レオンの動きが止まる。カップはまだ震え続けていた。部屋の空気が甘く重い共鳴音で満ちていく。
「……おい」
「え?」
エレナはこの意味を全く分かっていないようだった。ぽやぽやとリラックスしたような顔をして、ニコニコしている。その瞬間、レオンは確信する。
(……こいつ絶対意味分かってねえ)
ゾウ獣人にとって、低周波の共鳴は特別だ。
求愛。
受容。
拒絶しない証。
本来なら、共鳴した時点で“番候補として受け入れた”に等しい、なのに。
「なんか安心しますねぇ」
エレナは暢気にそんな事を言っている。レオンは深くため息を吐いた。
「……無防備すぎるでしょう、あなた」
「えっ?」
「いや、もういいです……」
温まったカップのお湯を捨て、ちょうどよく蒸らされたお茶を注ぎながら視線を逸らす。
「レオンさん」
「なんです」
「来てくれて嬉しいです」
心の底から嬉しいというように、至近距離で柔らかく微笑まれた。
頭は真っ白になり、レオンからまた甘い鳴き声がもれた。
カタカタカタカタ……
窓が揺れる。
「あっ、また風!最近風強…」
「風じゃありません」
思わず被せるように否定してしまった。はっとしたが、エレナはきょとんとしている。レオンは片手で顔を覆った。
理性が危ない。今まで雌に避けられまくってきた男を、舐めないで欲しい。こんな…こんなの、本当に理性があぶない。
内心の葛藤で無表情になったレオンを見て、エレナは首を傾げた後、ふにゃりと嬉しそうに笑った。
(レオンさん、今日なんかいつもより近い気がする……!)
その能天気な内心を知ったら、レオンはたぶんまた頭を抱える。
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