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匂いで番を選ぶ世界で、嫌われ者の文官様に懐いてしまいました  作者: クロミ


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 昼休憩前の総務部は、いつも騒がしい。


 書類を抱えた騎士が廊下を走り、文官が怒鳴り、どこかで棚が倒れ、誰かが始末書を書かされている。


 そんな喧騒の中、俺は部屋の隅でコーヒーを飲みながら、同期連中の馬鹿話を聞き流していた。


「いやでも本当、レオンさんがモテないの意味分かんないっすよね」


 犬獣人の文官がまだ休憩時間でもないのに、パンを齧りながらしみじみ言う。


「顔良し、頭良し、仕事できる。普通に優良物件じゃないですか」


「ほんとよねぇ」


 向かいの席で猫獣人の女性職員が、脚を組みながら艶っぽく笑った。


「同じ猫科だったら、普通に狙ってたわ」


「私が猫科でも、あなたを選ぶことはないですね」


「ひどぉい」


「いろんな家をふらふらしてるの、知らないと思ってるんですか? これだから猫獣人は……」


「偏見だわぁ」


「事実でしょう」


 猫獣人の女が「うふふ」と笑いながら投げキッスをしてくる。気持ち悪い。こいつら、昼休憩が近づくと毎回これだ。


「でも本当に勿体ないっすよねぇ。ゾウ獣人の女の人って、なんで匂いしか見ないんだろ」


「レオンさんくらい顔が良ければ、他種族なら普通にモテそうなのに」


「人間の国とか行ったら人気ありそうよねぇ」


「興味ありません」


 淡々と返してコーヒーを飲む。


 別に卑屈になっているわけではない。もうそんな段階はとうに過ぎ、達観している。ただ事実として、ゾウ獣人にとって最も重要なのは匂いなのだから、顔がどうとか、金がどうとか、そんなものは二の次。


 そして俺の匂いは、最悪らしい。だから女は寄ってこない。


 それだけだ。


「っていうか、最近来てるあの騎士様、なんなんすか?」


 犬獣人の男がニヤニヤしながら言った。


 嫌な予感がする。


「ラズフォード家のお嬢様。毎日レオンさんの窓口来てません?」


「来てるわねぇ」


 猫獣人の女が意味深に笑う。


「しかも毎回楽しそう」


「気のせいでしょう」


「いやいや絶対違いますって。昨日とかまたインクの瓶がカタカタゆれてましたよ?」


「ゾウ獣人の求愛でしょ?あれ」


 思わず眉間を押さえた。


 エレナ・ラズフォード。


 騎士団長の娘で、見た目は可憐。匂いは凶悪。しかも本人は、自分が低周波の鳴き声を漏らしている自覚がない。近づかれるたび、周囲の備品が小刻みに揺れる。あんなに低く甘い音を出していたら、完全に雄への求愛反応だ。


 ……本人は否定しているが。


「でも変ですよねぇ」


 犬獣人が首を傾げる。


「普通、レオンさんの近くってもっと嫌がられません?」


「そうなのよねぇ」


 猫獣人も頷いた。


「匂い酔いする子、多いもの」


「……別に、我慢してるだけじゃないですか」


「いやぁ、あの騎士様そういうタイプに見えねぇ」


 確かに。エレナは、本気で不思議そうな顔をする。


『なんでですか?』


 そう言って。


 俺の匂いを嫌がるどころか、毎日窓口へ来る。しかもあの視線、どう考えても顔を見ている。意味が分からない。


「つーかレオンさん、最近ちょっと優しくなりました?」


「なってないでしょう」


「いや絶対なってるって」


「前より笑うし」


「気のせいです」


 即答すると、二人がニヤニヤ笑った。


 心底鬱陶しいと思っていた時、休憩室の扉が開いた。


「失礼します!」


 聞き覚えのある声に反射的に顔を上げると、案の定エレナだった。騎士服姿のまま、大きな封筒を抱えて立っている。そして俺を見つけた瞬間、ぱっと顔が明るくなった。


 同時に。


 ビリビリ……特有の低周波に空気が震え、机の上のコーヒーの表面が微かに波立つ。


「…………」


「…………」


 休憩室が静まり返った。不思議そうにみんなの視線の先にあるコーヒーを見やり、エレナも気づいたらしい。真っ赤になって耳を押さえた。


「ち、違うんです! 今のは、その!」


「いや、もういいです」


 毎回それを聞いている気がする。


 犬獣人の同期が吹き出した。


「すげぇ……本当に鳴いてる……」


「うるさいですよ」


 低く返すと、犬獣人が慌てて口を閉じた。


 エレナが、おずおずと近づいてくる。


「しょ、書類提出です!」


「どうも」


 受け取る時、指先が少し触れた。


 カタッ。


 今度はスプーンが震えた。


「…………」


「…………」


「……だから私じゃないですってば!」


 半泣きで言うエレナ。


 いやお前なんだよ。完全に。


 すると隣の猫獣人が、楽しそうに頬杖をついた。


「へぇ〜。随分仲良しじゃない?」


「違います」


「違います」


 声が重なる。エレナがはっとした顔になり、傷ついたような表情になった。心なしか耳もしょんぼりしている。


 意味が分からない。


 その時、昼休憩開始の鐘が鳴った。職員が昼休憩に行こうと一斉に立ち上がり始める。


 俺も席を立とうとした瞬間。


「あ、あの!」


 エレナが慌てたように声を上げた。


「……なんでしょう」


「お昼、まだですよね?」


「そうですが」


 エレナの耳がそわそわと揺れている。


 嫌な予感しかしない。


「よ、良かったら……一緒に食べませんか!?」


 休憩室が静まり返った。


 やめろ。


 周囲の視線が痛い。


 エレナも言ってから周りに人が居たことに気づいたらしい。また顔が一気に赤くなる。


「ち、違っ、いや違わないんですけど! その、深い意味とかではなくて!」


 カタカタ……カタカタカタカタ…


 空気を揺らす低周波に、まだソーサーの上に置かれたままだったスプーンが鳴る。この波長は完全に求愛だ。本人だけが分かってない。


「だってその……!」


 エレナが真っ赤な顔のまま続ける。


「レオンさんと話してると楽しいですし……!」


 ぐっ、と喉が詰まる。周囲の連中が面白そうな顔をしているのが見えた。


 やめろ。


 見世物じゃない。


「……はぁ」


 額を押さえてため息を吐く。本当なら断るべきだ。こいつは危ない。匂いも、わけのわからない鳴き声も、距離感も全部。だが、期待したようにこちらを見るエレナの顔を見ていると、断る言葉が出てこなかった。


「……食堂でいいなら」


 そう返した瞬間、バキッ!エレナが手を置いていたカウンターにヒビが入った。


「っ、すみません!!」


 エレナが真っ青になる。


 犬獣人の同期が腹を抱えて笑い出した。


「力強すぎっすよ、騎士様!」


「うるさいですよ」


 思わず低い声が出る。するとエレナが、おずおずとこちらを見た。


「……力強い雌は、嫌ですか?」


「いえ、特には」


 即答すると、エレナの顔がぱっと明るくなる。耳まで嬉しそうにパタパタしていた。


 ……本当に調子が狂う。

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