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レオン視点が2話つづきます
総務部の窓口業務は、基本的に退屈だ。
騎士団本部に配属された文官は、華々しく戦場に出るわけでもなければ、剣を振るうわけでもない。代わりに、遠征報告書、備品申請書、損壊届、給与明細、休暇願い、その他諸々の紙の山と毎日向き合う。
しかも騎士連中は、腕っぷしは立つくせに書類仕事となると途端に雑になる。
日付が抜けている。
署名がない。
インクで滲んで読めない。
なぜか損壊理由が「気合い」としか書いていない。
ふざけてんのか。
そんな言葉を飲み込み、今日も俺は表面上だけ穏やかに窓口へ座っていた。
「次の方」
淡々と声をかけると、窓口に来た女性職員がびくりと肩を震わせた。
そして俺の顔を見るより先に、わずかに眉を寄せ距離をとる。
ああ、またか。
ゾウ獣人は匂いで番を選ぶ。
匂いは、本能そのものだ。
甘い匂い。
落ち着く匂い。
群れに迎えたくなる匂い。
子を残したくなる匂い。
そういう匂いを持つ者が好まれる。
逆に、俺の匂いは最悪らしい。
冷たい。
硬い。
落ち着かない。
昔から何度も言われてきた。
顔がどうとか、仕事ができるとか、そんなものはゾウ獣人の恋愛において何の意味もない。
だから女は俺に近づかない。仮に近づいたとしても、すぐに距離を取る。それが普通だった。
「……こちらで受理します」
俺が書類を受け取ると、女性職員はほっとしたように頭を下げ、足早に離れていった。
別に傷つくほど繊細な歳でもない。慣れてる。慣れている、はずだった。
そう思った時だった。
「失礼しま――」
明るい女の声が途中で途切れた。
視線を上げる。
そこに、馬鹿みたいに綺麗な女が立っていた。
騎士服を着ているのに、まるで温室育ちの令嬢みたいな可憐な顔立ち。柔らかそうな髪。大きな瞳。少し大きめの耳は、感情を拾いやすいゾウ獣人らしく、ぴんとこちらへ向いている。
そして何より。
匂い。
甘く柔らかい。深い。傍にいるだけで、肺の奥まで満たされるような、凶悪な匂い。
――ああ、これはまずい。
一瞬で理解した。
こいつはゾウ獣人の雄にとって、最悪だ。近づいたら終わる。理性が持っていかれる。
囲い込みたい。
腕の中に閉じ込めたい。
誰にも嗅がせたくない。
そんな馬鹿げた本能が、腹の奥からせり上がってくる。
(くそ。面倒な女が来た。)
「……書類提出ですか?」
できるだけ平静を装って声をかけるが、女はなぜか俺を見たまま固まっていた。
しかも目が合っていない。
いや、正確には合っているのかもしれないが、なんというか、視線が顔の上を忙しなく動いている。
目元。
鼻筋。
口元。
眼鏡。
また目元。
……なんだその見方は。
匂いに酔っているにしては、反応がおかしい。
「……何か?」
「あっ」
女が慌てたように肩を跳ねさせる。
同時に。
カタ……
窓口のインク瓶が、小さく震えた。
俺は思わず眉を動かした。
今、鳴いたな。しかもかなり低い周波数で。
雄を誘う時の、甘ったるい鳴き方に近い。ただし、本人はまるで気づいていないような顔をしている。
「……今、鳴いたか?」
「え?」
きょとんとした顔に、嘘をついている様子はない。
こいつ、本当に自覚がないのか。
「……いや、気のせいか」
そう言って視線を落とす。
本当は気のせいなんかじゃない。だが、これ以上突っ込むと面倒なことになる。
女はまだ俺を見ていた。
なんなんだ。
俺の匂いがいやなのか?それにしては様子がおかしい。平気なのか、それとも我慢しているのか…あるいは、何か企んでるのか。
「書類を」
「あっ、はい!」
差し出された箱を受け取ると、見た目の割にずいぶん重い。
騎士団の遠征報告書か。中身を詰めすぎだろ脳筋共めと、心の中で悪態をつきながら片手で机に置くと、バキッ!と嫌な音がした。
……机が凹んだ。
(うわぁ、やった…力加減を間違えた。くそ、さっきから調子が狂う。)
ふっという声が聞こえた気がして、目の前の女を見ると、なぜか吹き出しそうな顔をしていた。馬鹿にしてるのかと思ったが、違う。
目が楽しそうだ。
意味が分からねえ。
その時、周囲の女職員達の声が聞こえた。
「うわ……またあの匂い」
「近い近い」
「なんで平気なの、あの騎士様……」
これがいつもの反応。俺は慣れている。だが、目の前の女は不思議そうに首を傾げていた。まるで、心底理解できないという顔で。
「……あなたは変わってますね」
つい口に出た。
「えっ」
「普通は、もっと距離を取る」
「ん? なんでですか?」
なんで、だと。
俺は手を止めた。
この距離で。
この匂いで。
俺の匂いをまともに浴びて。
なんでですか、だと?
「……本気で言ってます?」
そう聞くと、女は本気で不思議そうな顔をした。その顔を見た瞬間、毒気が抜けた。
なんなんだこいつ。
そしてまた翌日、女は少し頬を染めて嬉しそうな顔をしながらやって来た。しかも持っているのは、たった一枚の書類。普通なら部下に持たせるか、庁内便で送れば済む。わざわざ副隊長格の騎士が窓口に来るような内容じゃない。
俺は書類から視線を上げた。
「……また来たんですね」
「っ!?」
女はびくりと肩を跳ねさせた。
まるで悪事が見つかった子供みたいな反応だ。
「てっ、提出書類です!」
「見れば分かります」
当たり前の返事をすると、女はなぜか悔しそうに唇を引き結んだ。
いや、何と戦ってんだ。
書類を受け取る時、指先がわずかに触れた。
熱い。
その瞬間、また。
カタタ……
インク瓶が震えた。今度こそ明らかだった。
「……また鳴いてる」
「えっ?」
「自覚ないんですか?」
「…自覚?」
(なに言ってるんだみたいな顔かよ。いや、お前の方こそなにやってんだよ。はぁ…こいつ、本当に分かってねえ。)
ゾウ獣人の女が、雄の前で甘く低く鳴く。
普通なら完全に求愛だ。
しかもこいつの匂いでそれをやられると、洒落にならない。周囲に雄がいたら、全員勘違いする。俺だって危ない。
だが勘違いするな、と自分に言い聞かせる。こんな女が俺に求愛なんてするわけがない。それこそどんな雄でもよりどりみどり、選び放題だろう。
事故。
絶対に事故。
「……変わった人ですね」
「よく言われます!」
素直に頷くな。
思わず少し笑ってしまった。
その途端、女の顔がぱっと赤くなる。
は?
なんで今赤くなった。
笑ったからか?
俺が?
なんで?
意味が分からない。
「……あなた、無理してませんか」
「何がです?」
「俺の近く」
「ちかく…? なんでですか?」
またそれか。
何度聞いても本気で分かってない顔をする。こいつにとって俺の匂いは、本当に不快ではないらしい。
だったら。
俺はふと、名前を知らないことに気づいた。
何度も窓口に来るなら、事務処理上、名前くらい聞いておくべきだ。
そう。
事務処理上だ。
別に個人的に知りたいわけじゃない。
「……名前」
「え?」
「何度も窓口に来るなら、名前くらい知っておきたいと思いまして」
「あっ。エレナです! エレナ・ラズフォード!」
ラズフォード。その名を聞いて思い当たる家名に、わずかに目を見開いた。
「……ラズフォード?」
「はい?」
「騎士団長の娘か」
「げっ」
その反応に、思わず口元が緩む。
名家の娘らしくない。
いや、騎士団長の娘らしいと言えばらしいのか。
「その反応を見る限り、あまり団長の娘だとバレたくないんですか?」
「そりゃまあ……コネだ七光だって、うるさいんで」
「なるほど」
俺は小さく頷き、少し迷ってから名乗った。
「レオンです。レオン・――いや、今はレオンでいい」
姓まで名乗る必要はない。余計な距離ができると、そう思っただけだ。
だというのに。
カタッ
また瓶が震えた。
エレナの顔がみるみる赤くなる。
おい!おいおいおい!!
名前を聞いただけだぞ。なんでそんな顔してんだ。
「……なんでそんな顔するんです」
「へっ!?」
「顔、赤いですよ」
「ち、違っ、これはその!」
ドゴン。
背後の壁にヒビが入った。
こいつが慌てて肘を壁にぶつけたのだ。
ゾウ獣人らしい怪力。見た目は可憐なくせに、壁を割るな。
「あっ、すみません! 弁償します!!」
真っ青になって慌てるエレナを見て、数秒黙る。
匂いは極上。
見た目は可憐。
騎士団長の娘。
怪力。
なのに俺の匂いを嫌がらない。
名前を聞いただけで真っ赤になって。
そして壁を割る。
(なんだこいつ。俺をどうしたいんだ。)
「……あなた、本当に面白いですね」
堪えきれず、笑った。
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