5. ランナー
(地球の終焉は、巨大企業の暴走から端を発した。超一流企業であったタウルス社。その企業はロボット技術を歪な形で発展させた。やがて人類を遥かに超越するロボットが生み出され、彼らは人間に極めて酷似したモデルを市場へと投入した。それらはレプリカントと呼ばれた。
レプリカントは傑出した腕力と敏捷性を備え、最低限でも彼らを創造した遺伝子工学者たちと同等の知性を持っていた。レプリカントたちは地球人類の宇宙植民地における奴隷として、危険を極める宇宙探査や他惑星の開拓に酷使された。
だが、ある事件を契機にレプリカントたちは己の存在意義に疑問を抱き始め、血で塗られた暴動の末、レプリカントの地球滞在は禁忌とされた。
しかし、純粋な人類の知性を遥かに凌駕する者たちに限界など存在しなかった。彼らの大半は創造主たる人類に対して反旗を翻した。人類は彼らを制圧するために自らの肉体をも改造し、そうしたレプリカントを狩るべく造り替えられた人間たちは「ブレードランナー」と呼ばれた)
――自爆装置が作動しました。
シャロンの内部で、アン・ジョンボクは固唾を呑んで状況を注視していた。
サイモンは白濁した両目を見開いたままシャロンの瞳を凝視していたが、それが単なる抜け殻であり、中にアン・ジョンボクが潜んでいることを見抜いているかのようだった。
シャロンはおもむろにオフショルダーの胸元を押し開き、胸部を露わにした。
「凄いでしょ? 私、三つあるのよ〜」
サイモンが吹き出し、哄笑をあげた。
爆笑が起きたその刹那、シャロンの中央の乳首が弾丸のように射出され、サイモンの額へ深々と突き刺さった。
「パリス! 車から降りろ、今すぐだ!」
「お前が降りなきゃ、俺も降りられないだろ」
「クソッ!」
アン・ジョンボクはシャロンの体内から分離し、サイモンの座席側へ手を伸ばして助手席のドアロックスイッチを押し込むと、パリスを連れて車外へと転がり出た。
「ハァッ……ハァッ……もう少し遅かったら、手も足も出ずに灰になってるところだったぜ」
「何の話だ、ジョンボク」
「え?」
ドカン――!
刹那、シャロンの自爆装置が火を噴き、ポルシェを巻き込みながら猛烈な火焔となって車体を焼き尽くした。
「行くぞ。手ぇ繋げ」
パリスよりも背丈の低くなったアン・ジョンボクは、短い腕を伸ばしてパリスの手を握りしめた。
「このまま行くのか?」
「ああ」
バキバキッ――
「あん?」
「嘘だろ……あいつ、何なんだよ……」
サイモンは衣服を完全に焼き尽くされ、全裸のまま仁王立ちしていた。
「YEAH――」
サイモンは紅蓮の炎の中で、サングラスをかけ直した。
狂気を帯びた笑みを浮かべ、首を左右へ傾げる。
ゴキッ、バキッ。
「逃げろ――ッ!」
ジョンボクはパリスの手を引いて絶叫した。二人がハイウェイ下の丘陵地帯へ身を投げるように駆け出したその瞬間、逃走路の前方に暗い影が落ちた。
「どこへ行く気よ、この持ち逃げガエル」
車でハイウェイを追撃してきたベティが、熱感知センサーで爆発地点を捉え、先回りして退路を塞いでいたのだ。ベティは手にした小型の消音拳銃の銃口を、ジョンボクの眉間へ突きつけた。
「全部吐き出しなさい。頭に風穴を開けられたくないならね」
「わぁ、ベティだ」
パリスは何の執着もないように呟いた。
「ベティ……お前、あいつに勝てるのか?」
ジョンボクが手を振って背後を指し示した。ベティが眉をひそめて視線を巡らせた瞬間、丘の上から全身に火焔を纏った全裸のサイモンが、地響きを立てながら大股で下りてきていた。
「まあ……あいつ、何であんな淫らな格好で歩いてるわけ?」
ドッ――!
「チッ!」
ベティが上体を後ろへ反らした刹那の差で、サイモンの岩のような拳が空を裂いた。
「ほう? ネエちゃん、いい反応速度じゃないか」
サイモンは狂気に満ちた笑みを浮かべ、嵐のような連撃を繰り出した。ベティは拳銃のグリップでサイモンの関節を受け流し、生じた隙を突いてその胸元へ三発の銃弾を叩き込んだ。
ズドン! ズドン! ズドン!
胸の皮膚が裂け血飛沫が舞ったが、サイモンはその激痛に狂喜し、眼球をひん剥いて嗤った。
「いいぜ! 熱いじゃねえか!」
サイモンは裂けた傷口など意に介さず、電光石火の速さでベティの右手を掴み上げた。
メキッ――!
駆動パイプが拉げると、ベティは眉一つ動かさず、左手に隠し持っていた高周波ナイフを引き抜き、サイモンの大腿部深くに突き立てた。
ズシュッ――!
まさにその時、けたたましいサイレンの音とともに、中央警察所属の重武装パトカー三台が急ブレーキを響かせて停止した。
ウー――! ウー――!
「警察だ! 全員武器を捨てて地面に伏せろ!」
警察官たちが拡声器越しに叫び、照準レーザーを向けたが、全裸のサイモンは鼻先でせせら笑った。
サイモンは大腿部に突き刺さったナイフなど気にも留めず、間合いを詰めてきた警官の頭部を鷲掴みにすると、パトカーのフロントガラスへと叩きつけた。
ガシャアン――!
激昂した警官たちがサイモンへ向けて一斉に機関銃を乱射し始めた。
サイモンは弾幕の隙間を縫うように疾走し、忽然と姿を消した。
「今よ! 突っ立ってないで乗りなさい!」
ベティは恐慌に陥った警官の一人を蹴り飛ばし、アイドリング中の中央パトカーの運転席へ滑り込んだ。ジョンボクとパリスが素早く後部座席へ飛び込んだ。
ブオオオオン――!
警察官たちとサイモンが乱戦を繰り広げる隙に、パトカーは反重力推進音を轟かせ、現場から急加速で離脱した。
バックミラーの向こうで、再び姿を現したサイモンが警官の体を真っ二つに引き裂く光景が映し出された。
「ハァ……ハァ……助かった! あの全裸の化け物、警察に捕まったよな? なあ?」
ジョンボクが後部座席でぬめる額の汗を拭い、荒い息を吐いた。ベティはナビゲーションの座標を手早く操作しながら、冷徹に告げた。
「長くは足止めできないわ。それにあのバートの豚野郎の影響力はこの宙域一帯に及んでる。中途半端な場所に隠れたら一発で足がつくわよ」
「じゃあ、どこへ行くんだ?」
「ここから300キロ離れた場所」
ベティがアクセルペダルを床まで踏み込んだ。パトカーの計器盤の数値が跳ね上がっていく。
「そこへ行けば何があるってんだ?」
「……」
「おい?!」
「サン・アンヘレス」
(荒涼たる宇宙ハイウェイ)
「サン・アンヘレス」の検問所の手前で、ベティは燃料とバッテリーが同時に底をつきかけていたパトカーを、人里離れた無人給油所兼サービスエリアへと滑り込ませた。
「ほら、降りなさい」
ベティの指示に対し、ジョンボクはぬめる肉体を後部座席の隅へさらに小さく丸めた。
「嫌だ……俺は出ねえぞ……」
「何言ってんのよ、今更?」
ジョンボクは両手で顔を覆い、陰鬱な声で呟いた。
「俺のシャロンが……この奇怪でネバつく全裸の姿で外を歩けってのか……。誰もが俺を蔑みの目で見るに決まってる! 怖くてたまらんのだ……」
「はぁ、呆れた。よく言うわ」
「おい、パリス。あんた何か飲む?」
「いや、俺はいい。行ってこいよ」
「もう、二人とも降りなさいっての! この車はパトカーなのよ! 乗り捨てるの!」
ベティは吐き捨てるように叫び、運転席を降りた。
給油機の傍らでは、身なりの良いエイリアンの貴族が、最新型の高級浮遊乗用車に急速充電を行っていた。
ベティは即座にあれを奪うことに決めたようだった。
パトカーの中で縮こまるカエルと小僧に向かって告げた。
「あの車が見える? あれに乗り換えるわよ。時間は取らせないから、私が合図したらすぐ飛び乗りなさい。分かった?」
言い置くと、ベティは売店の中へと足を踏み入れた。
そして、その車を運転していそうなエイリアンを目視で特定した。標的を定めると、ベティは得意の妖艶な笑みを浮かべ、胸元をわずかに強調しながらしなやかにその男へ擦り寄った。
「あのぉ、お兄さん……。私の車が動かなくなっちゃったみたいで。少し見ていただけませんか?」
「お、おお! もちろんですとも、麗しきレディ! この街では困っている者に手を差し伸べることこそ、至高の倫理ですからな!」
エイリアンが相好を崩してベティの後に続こうとした瞬間、ベティは男の後頭部へ鋭い掌底を叩き込んで昏倒させた。そしてポケットからスマートキーを掠め取り、パリスとジョンボクのいる方向へ向けてニヤリと笑った。
「乗りなさい、新車よ」
パリスは相変わらずボロボロのぬいぐるみを抱えたまま静かに乗り込み、ジョンボクはベティに首根っこを掴まれて乱暴に後部座席へと放り込まれた。
予想に反して、サン・アンヘレスに厳重な国境ゲートは存在しなかった。
そうして足を踏み入れた「サン・アンヘレス」は、異様なまでに整然とし、清潔極まる道徳的ユートピアだった。
街路には塵一つ落ちておらず、白い衣服に身を包んだ市民たちは、互いに過剰なまでに礼節を弁え、気品に満ちた挨拶を交わし合っていた。罵声も、暴力も、血生臭い生存競争も存在しない、徹底して統制された楽園。
三人は人気のない路肩に車を寄せて降り立った。
パリスは無関心そのものだったが、車から引きずり出されたアン・ジョンボクの精神状態は限界に達していた。
アン・ジョンボクは冷や汗を流し、身を縮こまらせながら奇妙な足取りで歩いていた。やがて数歩も進まぬうちに、耐えきれずに叫んだ。
「あぁっ……あぁっ! もう我慢できねえ! 破裂する!」
「ちょっと、我慢しなさいよ! この狂いガエル、どこで――」
「決壊するんだよ!」
ついに理性が吹き飛んだアン・ジョンボクは、純白の石造りで設えられた市民公園の中央銅像の足元へと突進し、そのまま股を開いて豪快に立ち小便をぶちまけた。
ジョボボボボ――
公園を散策していたサン・アンヘレスの市民たちの顔が、一瞬で青ざめた。
「まあ、なんてこと!」
「生殖器を露出して排泄行為に及ぶなど! 倫理法案第四項違反ですわ!」
悲鳴とともに、上空から球形の倫理監視ロボットが一機、駆動音を鳴らしながら急降下してきた。
ウィー――ン!
【警告:公共空間における排泄および風紀紊乱行為を検知。違反者『カエル型生命体』に対し過料100テックスを科す】
ロボットの正面スピーカーから自動販売機の釣り銭のような音とともに、過料の納付伝票が吐き出された。ジョンボクは用を足し終えたものの、身づくろいすらできずに呆然とロボットを見上げた。
「何をほざいてやがる、このスクラップめが!」
ベティが慌てて駆け寄り、ジョンボクの首根っこを掴んで取り繕おうとした。
「あはは、申し訳ありません。うちのペットのカエルがちょっと縄張りの主張を……」
【身元確認手続きを開始します。市民証または銀河連邦パスを提示してください】
ロボットのスキャナー光線が、ベティ、ジョンボク、そしてぬいぐるみを抱いて立ち尽くすパリスの顔を順に走査した。
――ピッ
――ピッ
ピッ――!
【警告:未登録の不法滞在者を検知。市民証不所持。直ちに中央警察へ通報措置をとります】
「チッ、ツイてないわね!」
バキッ――!
ベティの鋭い蹴りがロボットを粉砕した。
瞬く間に公園一帯へ警報サイレンが鳴り響き、重武装を施したサン・アンヘレス連邦警察の警官隊が四方から殺到し始めた。
三人は盗んだ高級車へ飛び乗り、追手を撒くべく急発進した。だが、ここの警察は容疑者の追跡中であっても、信号が赤に変わると律儀に停止した。
「何なのよ、このマヌケどもは?」
ベティは何の苦もなく追跡を振り切ることができた。
(一方、サン・アンヘレス入口の料金所ゲート)
フシュー――。
300キロに及ぶハイウェイを、一瞬の休息すら挟まず、己の二本の脚だけで疾走してきた怪物。
布切れ一枚纏わぬ全裸のまま、全身から白い冷気を噴き上げ、ゲートの中央に荒い呼気を吐き出しながら到達した者。
――サイモン・フェリックス。
サイモンは大腿部に突き刺さっていたナイフの傷が不格好に癒着した足を軽く鳴らし、眼前に広がる過剰なまでに白く清潔な都市、サン・アンヘレスを見渡した。
全裸のまま返り血と冷気を纏った巨躯が料金所のど真ん中に立ちはだかると、行き交う富裕層市民の車列が次々と急停車し、大パニックが巻き起こった。
「ひぃっ! 全裸の化け物だ!」
「警備班! 今すぐ警察を呼びなさい!」
その時、道路中央の管制ブースから二機の球形倫理ロボットと、純白の制服に身を包んだサン・アンヘレス警察の警官たちがサイモンを取り囲んだ。
ウィー――ン!
【警告:猥褻物露出および倫理法案第一条違反。身体前面の完全露出罪により過料500テックスを科す】
【警告:市民証を提示してください。提示なき場合は制圧シークエンスへ移行します】
警官の一人が恐怖に震えながら怒鳴り散らした。
「直ちに膝を突き、身分証を提示しろ!」
サイモンはサングラスを指先でわずかにずらし、白濁した双眸で警官とロボットを見下ろした。その口元が奇怪に裂ける。
「身分証ぉ〜?」
サイモンは電光石火の速さで腕を伸ばし、過料伝票を吐き出し続けていたロボットの排出口ごと頭部を力任せに引きちぎった。そして逃げ腰の警官の首根っこを鷲掴みにするや、料金所の強化ガラス目掛けて叩きつけた。
ガシャアン――!
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