6. フェスティバル
「この役立たず共が!」
ぐあっ!
ぎゃっ!
ああっ!
サン・アンヘレス警察の警官たちが横一列に並ばされ、一斉に脛を押さえて悶絶していた。
続けて隊員たちは、生体・ロボットを問わず、全員が頭を地面につけて尻を高く突き上げる過酷な姿勢で体罰を受けていた。その体罰を下している張本人はルキウス。サン・アンヘレスの治安総警であり、キャリパー-9惑星におけるサン・アンヘレスの地位を確固たるものにした功績を認められ、異例の超スピード出世で総警の座まで登り詰めた男である。
「地上最後の楽園」を標榜する都市。そのサン・アンヘレスで発生した不法侵入者たちの凶行は都市を震撼させ、その様子は街中のモニターへと絶え間なく中継されていた。
一方、地上の警官隊を振り切った三人組は、盗んだ高級車を乗り捨て、サン・アンヘレスの薄暗いスラム街区へと身を潜めていた。
地上の清潔さとは対照的に、鼻を突く汚臭が漂う路地の突き当たり。雑多なスクラップやジャンクパーツが乱雑に散らばる整備工場の中へ、三人は足を踏み入れた。
「ジョンボク、俺、怖いよ……」
それまで口を開かなかったパリスが、片手でベティの服の裾を握り締め、もう片方の手でぬいぐるみを強く抱え込みながら呟いた。
「おい、なんでそれを俺の服じゃなくそっちを掴みながら言うんだよ……」
ガサリ――。
照明の落ちた闇の奥から、微かな人の気配がした。三人は音もなくそこへ近づいた。
油染みだらけの白衣をまとい屈み込んでいた一人の工学者が、レンチを置いて顔を上げた。かつて倫理的逸脱により学会から除名された元・連邦科学者、ギボン博士だった。
ギボンは保護メガネを外し、三人を見遣った。
「おや? 誰かと思えば。アン・ジョンボクじゃねえか」
「?!」
「何よ、知り合いだったの?!」
ギボンは咥え煙草の紫煙を吐き出しながら、柄の悪い仕草でジョンボクを品定めするように眺めた。
「で、お前の半身だったあのリアルドールはどこへやったんだ? なんでそんなツラで突っ立ってやがる」
ジョンボクはぬめる緑色の肉体を縮こまらせ、決まり悪そうに口を開いた。
「あー……その、実はだな……今日ここへ来たのは……」
その言葉が落ちた瞬間、隣に立っていたベティの額に青筋が浮かんだ。
ボコッ――!
「このクソガエル野郎が!」
ベティは問答無用でジョンボクの眉間へ強烈な鉄拳を叩き込んだ。ジョンボクは悲鳴を上げて床を転がり回った。
「ぎゃああ! 何すんだよ! 少しは話を聞けっての!」
ジョンボクは鼻を押さえ、恨めしそうに喚き散らした。
「ギボン博士と知り合って長えのは事実だが、このオヤジがそこまでの大物だなんて知らなかったんだよ! ただのアダルトグッズ屋のオヤジだと思ってたんだ!」
ベティが歯ぎしりしながら銃を握り直す間、ギボンは先刻までのふざけた態度を収め、静かにパリスを注視した。その視線は、少年の首を無骨に締め上げる電子チョーカーへと注がれていた。
「おい、坊主」
「……?」
「お前、今追跡されてるぞ」
ギボンの放った低い一言に、ベティとジョンボクの表情が凍りついた。ベティは慌てて工場の扉を振り返り、切迫した声で捲し立てた。
「博士、ぐずぐずしてる時間はないわ。今すぐその首輪を何とかして! 追っ手を撒いてここまで逃げてきたのよ」
ギボンは煙草の煙を深く吸い込み、吐き出しながら舌打ちした。
「解体すること自体は難しかねえが……これだけのシロモノを地道に分解してる暇があるかどうかだな。奴らをどこで撒いてきた?」
「ここよ。サン・アンヘレスの入口で」
ギボン博士は煙草を根元まで吸い、灰を落としながら言った。
「なら、こいつを外し終える前に、追っ手がここへ踏み込んでくるのがオチだな」
「じゃあどうしろって言うのよ!」
ベティが怒鳴りつけると、腕組みをして考え込んでいたギボンは白衣のポケットから通信機を取り出した。
「背に腹は代えられん。少し手を借りるか」
しばらくすると整備工場の裏口が開き、禍々しく異様な風貌をした鬼のような姿の女性エイリアンが悠然と歩み入ってきた。
その手には、重厚な革張りの分厚い鞭と鉄の鎖が握られていた。二人は視線が交わるや否や、怪しく淫らな色気を孕んだ視線を交わし合った。ギボンとこの鬼型エイリアンは、知る人ぞ知る筋金入りのSMマニア同士だった。
ギボンは愛人の肩を軽く叩き、ベティのネックレスとパリスの首輪を交互に見比べながら口を開いた。
「誰もが伝説のように語り継ぐギュゲスの指輪……俺とて、その全貌を完全に把握しているわけじゃあない」
ベティとジョンボク、そしてぬいぐるみを抱いたパリスの視線がギボンへと集中した。
「だが、俺の知る明白な事実が一つだけある」
ギボンは皮肉げに口角を吊り上げ、言葉を継いだ。
「ギュゲスの指輪の最大の特性は、神の如き権能……すなわち、延長された事物の座標を絶対的に『(0.0)』として誤認させることにある」
フムフム――。
ギボンの熱弁が終わった後に訪れた静寂の中、パリスがぬいぐるみを相手に一人ままごとをする無邪気な声だけがやけに大きく響いた。
「な……何の話だ? (0.0)って?」
「……」
「見ろよ博士、こいつだって理解できてねえぞ」
「無駄口叩いてんじゃないわよ!」
ベティはジョンボクの脳天目掛けて強烈なかかと落としを叩き込んだ。
「まあ、要するにほぼ全知全能になる、くらいに思っておけばいい」
「よし、時間が惜しい。さっさとそのガキを首輪の拘束から解放してやるとするか。おい、名前はパリスだったか? おじさんとあっちの部屋へおいで」
パリスと一行は疑うこともなく、博士の案内する奥の部屋へと入っていった。
博士は研究室の作業台のような机にパリスを寝かせ、傍らの測定機を起動して少年の首を太く覆うチョーカーをスキャンした。
博士は時折独り言を呟き、鼻歌交じりに、緩慢かつ綿密に解析を進めていった。
「よし、終わったぞ」
スキャナーを置いた博士は、平然と言い放った。
「俺には無理だ」
ベティは顔を紅潮させ、怒髪天を衝く勢いで博士に詰め寄った。
「ふざけてんじゃないわよ! なんで?! なんで解除できないわけ?!」
「今の段階じゃ手が出せねえんだよ。ありとあらゆるジャンクや危険物がごった煮に組み込まれてやがる。下手に弄れば、俺が死ぬかこのガキが吹き飛ぶかの二択だ。俺が自殺する趣味はねえし、かといってこんなガキが俺の目の前で木っ端微塵になるのも寝覚めが悪ぃからな」
ギボン博士は鼻の穴をほじりながら、心底かったるそうに吐き捨てた。
「じゃあどうすりゃいいんだよ? このまま生きろってか?」
ジョンボクが口を挟んだ。
「そうするしかねえんじゃねえか。あ、いや、違うか? 違うよな? ……さっぱり分からん」
「この野郎……!」
ベティが再びかかと落としをギボン博士に叩き込もうとした瞬間、博士の鬼型愛人がベティの脚をがっしりと受け止めた。
「ご機嫌斜めなのは分かるけれど、仕方のないことよぉ〜。ところでイ・ジヨンの『私はまだ愛を知らない』って曲、知ってるかしら?」
「……」
「ダーリン、一緒にデュエットでも歌いましょっか?」
「会えないじゃない、フィーリングが大事なの。私はそう思うの〜単純すぎるのは嫌いよ〜」
「さすが俺のダミ、最高の喉鳴らしだぜ!」
ドガァァン――!
壁が吹き飛び、猛烈な粉塵が立ち込めた。
ケホッ、ゴホッ!
「ったく、何事だ!」
「!」
「YEAH〜」
モヒカン頭のサイモンが悠然と姿を現し、手を挙げた。
「新しいお友達が増えてるじゃねえか〜?」
「ほう……」
ギボンはサイモンを感嘆の眼差しで見つめた。
「あん? おいそこの、俺を知ってるのか? えらく癪に障る目つきで見つめてくれるじゃねえか」
「お前……ブレードランナーだな?」
「……」
「図星だろ、なあ!」
「貴様、地球人でもない癖になぜそれを知っている?」
サイモンはサングラスを外し、ギボンを鋭く見据えた。
「!」
「お前も俺を知ってんのか?」
「ギボン先生じゃねえか〜?」
「ギャハハハ! なんだお前、なんで俺を知ってやがる?」
「貴様らのような奴らを忘れるわけがねえだろうが……俺たちをこんなナリに改造しやがった元凶どもをよぉ」
「ダミ、マイハニー。あいつの血がちょっと要るんだ。あの野郎をぶちのめしてくれないか?」
「フンッ!」
「おいおい〜そうツレないこと言うなよ。今夜はたっぷりとご奉仕してやるからさぁ〜」
「……」
「ワン! ワンワンッ!」
ギボンは突然舌を突き出し、犬の鳴き真似をした。その声を合図に、愛人のダミは手当たり次第に周囲の鉄骨を掴み、サイモン目掛けて投げつけながら間合いを詰めた。
ズドォォォン――!
ダミが振るった重厚な鉄鎖の一撃が、工場の鉄骨の柱を丸ごとへし折った。破片が四方へ弾け飛ぶ粉塵の中、サイモンはせせら笑いながらその鎖を素手で鷲掴みにした。
「パワーだけは一丁前じゃねえか、オバサンよぉ!」
サイモンが腕の筋肉を隆起させて鎖を手繰り寄せると、ダミは奇怪な咆哮とともに、逆の手に握った太い鞭を一閃させた。
ビシィィィッ――!
音速を突破した鞭の先端が、サイモンの右頬を深く切り裂いた。裂け目から鮮血が噴き出したが、サイモンの白濁した瞳はむしろ狂喜に輝いた。痛みなど忘れ去ったかのように傷口を指先で拭うと、電光石火の踏み込みでダミの懐へと潜り込んだ。
ドゴッ――!
岩のような拳がダミの鳩尾を正確に捉えた。屈強な鬼型エイリアンの口から濁った悲鳴が漏れ出る。だがダミもタダ者ではなかった。強打を浴びた瞬間、無骨な鎖でサイモンの首を背後から絡め取り、凄まじい力で締め上げた。
「ぐああああ――ッ!」
首を絞め上げられ、サイモンの全身から白い冷気が異様な勢いで噴出した。工場の床面が蜘蛛の巣状に砕け散り、一切の容赦のない血みどろの肉弾戦が幕を開けた。
ダミが一瞬体勢を崩し、鎖の万力がわずかに緩んだその刹那、横で隙を窺っていたベティが疾風の如く飛び込んだ。機械の腕のフレームから高周波ナイフを引き抜き、サイモンの脇腹深くへと突き立てた。
ズシュッ――!
「チャンスよ、逃すんじゃないわよカエル!」
ベティの鋭い叱咤に、隅で蹲っていたアン・ジョンボクが奥歯を噛み締め、ねばつく緑色の肉体を宙へと跳ね上げた。空中でしなやかに体を回転させ、カエル特有の強靭な後脚のバネを限界まで溜め込むと、サイモンの眉間中央目掛けて渾身のドロップキックを撃ち込んだ。
ドスッ――!
ナイフで抉られた脇腹と、アン・ジョンボクの奇襲ドロップキックを同時に食らい、サイモンの巨躯が宙に浮き、横倒しになって吹き飛んだ。工場のスクラップや人工臓器の山が下敷きとなり、けたたましい音を立てて粉砕された。
「てめえら……束になってかかってきやがったな?」
血走った白目を爛々と光らせ、サイモンが粉塵を払いながら立ち上がった。瓦礫と化した修羅場の中心で、ダミ、ベティ、アン・ジョンボクの三人が、完全にサイモンを包囲していた。
第6話の翻訳が完了しました。続けて第7話の翻訳に進みますか?




