第四十五話 クレアとシュノー XIII
翌日の早朝。
ヴィンター辺境伯領の丘上都市と比べると、やはり王都の夏は蒸し暑い。
俺は冷房を身に纏いながらボロい平民向けの家に侵入した。
そのまま腐食の進んだ床を進み、寝室に入ると、ベッド横の棚に手を置く。
だが、特に何かが起こるわけでもなく、頭を傾げる。
「魔力を通すってどうやるんだ……?」
「こうやるのよ」
「うわ!」
急に現れたラッテに思わず叫ぶ。
同時にボロい部屋の幻影が消え去り、以前見た時の立派な貴族向け住宅に切り替わる。
何度見ても見事なものだと感心していると、ラッテが胸を押し当てるようにして俺に迫る。
「何? こんな朝早くから? あたしを抱きたくなったの?」
「違う。急にすまない。お願いがあって来たんだ」
俺がそう言うとラッテはつまらなそうに離れる。
「ま、分かってたけど。相変わらず色欲魔法が効かないわね。お願いって?」
「今日と明日、ある人を変装してほしいんだ」
「……それだけ?」
「ああ」
「あのねえ、あたしがそんな依頼を受けると思うの? もうちょっと具体的に言いなさいよ。誰を変装するの?」
「シーメンスのシュノーの妹だ。それ以上は受けてくれたら話す」
シュナのことは出来る限り情報を伏せたい。ラッテが情報屋だからというわけではなく、体の不調のことは口外すべきでないと思ったからだ。
ラッテにとってもその名前は意外だったのか、驚いたような顔をしている。
「シュノーの妹って……。そんな対抗馬が出てくるとは流石に読めなかったわ……。たしか病気で寝込んでいるんじゃなかったかしら。外を歩けるようになったの?」
「さっきも言ったがそれ以上は話せない」
「ふーん? 変装ねえ。報酬は?」
「報酬は……金貨100枚くらいで受けてくれたりするのか?」
「変装させるだけで金貨100枚って何をさせるつもりよ……。相場が分からないの?」
「ああ。こういうのは初めてなんだ。いくらで受けてくれる?」
「もう、親切に教えてあげるから授業料込みで金貨100枚でいいわよ。前にシャイセ公爵の件で手を貸してあげた件も支払うなら500枚ね」
「わかった。じゃあ500枚で頼む」
「了解。それだけ支払ってくれるなら当分優しくしてあげるわ。それで、詳細は今教えてくれるの?」
「ありがとう。実は今、シュノーから依頼を受けてシュナの治療をしているんだ。それで、今日から外を歩く訓練をしたいんだが、シュナは人目を引くし領主の娘だと分かると難しいかと思ってな。だからフリューにしたみたいに誰か分からないようにしてほしいんだ」
「そういうことね。今はたしか15歳よね。身長と体型はどんな感じかしら?」
「身長は……このくらい。体型は……うーん……細い……? あ、あと貴族向けの店に行けるような変装でお願いしたい」
「貴族向けの店ね。それなら服は……。あとあの家系ならウィッグも必要よね……」
そう言ってラッテは寝室のクローゼットを漁り始めた。
それを見ながら雑談的に相場の話を振ってみる。
「ちなみに、授業料無く変装だけならいくらが相場なんだ?」
「変装だけなら相手次第だけど金貨1枚でも高いくらいね」
「1枚!? そんな安いのか!?」
「だから、相手次第よ。相手が重要人物なほどあたしが抱える秘密も大きくなるんだから、その秘密保持にかかるお金と思ってちょうだい」
「なるほど。誰にもバラさないようにしてもらう口止め料も込みってことか。それでシュナだと100枚ということか」
「いいえ。あなたからの依頼はそれだけで高いわ。前回も命の危険があったんだから。それに加えて移動もあるし他からの依頼を休止するのもあるわね。それで50枚くらいかしら」
「まだ50枚なのか。他には何がかかってるんだ?」
「授業料よ」
「半分が授業料か……」
「高いなんて思わないでよね。あなたには無知をいいことにいくらでもデタラメな相場を言って料金を釣り上げることもできたんだから。最初に100枚を提案したのもそっちでしょ」
「そう……だな」
たしかに、そう言われると逆に安すぎるくらいに思える。
いや、これも騙されてるのか? ……わからない。
だが、とりあえずラッテは敵に回したくない。多少多く払うだけの価値はあると思う。
「その分、さっきも言ったけど当分優しくしてあげるわ。何か知りたいことがあったら聞いていいし、してほしいことがあれば便宜を図ってあげてもいいわよ」
「それは助かる。色々と無知だからな」
「でも幻影魔法を使ってるとはいえベルも鳴らさずに侵入しないでくれる? 危うく侵入者撃退用の罠を発動させちゃうところだったわよ」
「あ、ああ。すまない」
たしかに無断侵入した俺が悪いのだがそんな罠があったとは……。
やはりこの女の前では気を抜かないように気をつけよう。
≈ ≈ ≈ ≈ ≈
「噂には聞いていたけどまさかこれほどの美貌だったとはね……」
その後、変装道具を色々と持って城に着いた俺とラッテだったが、シュナの部屋に入るなりラッテは俺だけに聞こえる声でそう零した。
俺は上半身を起こしたシュナの近くに行って顔色を確認する。一晩経ったが元気そうだ。
「おはよう、シュナ。体調はどうだ?」
「おはようございます、ハル様。体調はとても良いです」
「そうか。よかった。昨日たくさん食べたかいがあったな」
「昨日は本当にお腹がおかしくて……! いつもはあんなに食べませんからね!」
「ハハ。分かってる。それで、今日はちょっと人を呼んでるんだ。ラッテ」
俺が呼ぶと後ろに控えていたラッテが一歩前に出て挨拶をする。
「ラッテよ。よろしくね」
「初めまして。シュナと申します」
「ラッテは……えっと……」
紹介しようと思ったが職業をそのまま言ってもいいのか迷う。
それを見かねたのかラッテが遮るように口を開く。
「情報屋をしているわ。知りたいことがあれば教えてあげるわよ。ハルのこととかね」
「俺の何を話すんだよ。そうじゃなくて、ラッテにはシュナを変装してもらおうと思ってるんだ」
「変装……ですか?」
「そうだ。もう体の方はだいぶ良くなっただろう? あとは外に出ることと人に触れることに慣れていけばもう大丈夫だと思うんだ。だがシュナのままだと人目を引くから変装をした方がいいかと思ってな。ラッテの変装ならまずシュナだと分からないから安心していい。どうだろうか?」
「私だと分からない、ですか……興味がありますね……」
シュナは変装に乗り気のように見える。その様子からは外出することへの恐怖は見えない。
「まあ、急いでるわけじゃない。ゆっくり決めていい。外に出たいと思えるようになってからでいいんだ」
「そうですね……少しゆっくりと……」
「ハルも一緒に歩くんだし、怖がるようなことも無いんじゃない?」
「ハル様も一緒に……。分かりました。今日は一日中この街をご案内したいと思います」
「シュナ? そんな無理しなくてもいいんだぞ?」
「いえ。どうかお任せください」
「ふふ。あなた、本当に悪い人ねえ」
「俺が悪い人? なぜだ?」
ラッテはなぜか俺を見て呆れたように肩を竦めた。
≈ ≈ ≈ ≈ ≈
朝食を城で食べてシュナの変装を終えると、二人で街へと繰り出した。
シュナは「貴族向けの店に行けるように」という要望通り、絶妙に小貴族らしい服装をしている。
その髪色はクールン王国ではよく見られる茶色で、目や輪郭も微妙にシュナと異なる。
やはりヴィンター家は髪色の印象が強いように思う。髪の毛、眉毛、まつ毛の色が変わるだけでもガラリと印象が変わった。
目立つ特徴の無い小貴族の娘と化したシュナに気づく者はまずいないだろう。
「……ハァハァ……こ、これが……名物の……一緒にくぐると幸せになれるという……ハァハァ……アーチです……」
「レーゲン。少し休もう。いきなり歩かせ過ぎたみたいだ。ちょうど腰掛けもあるし」
「い、いえ、ナツ様……この程度……ハァハァ……なんてことは……ですから……」
「ほら、つかまって」
「……うぅ……すいません……」
少し強引にシュナを腰掛けのある場所へと導く。変装と一緒に名前も適当なものに変えてある。
シュナが案内するというので街の観光名所をまわっているが、一年もの間まともに運動してこなかったシュナの体力は脆かった。
この長い登り坂の果てにある場所に着いた時には息も絶え絶えで、膝をガクガクさせて、顔にはそんな疲労が全面に出ていた。
しかし、ここは特に人気というだけあって見晴らしがよく街の全景が見渡せて、後ろのこじんまりとした教会とセットでたしかに雰囲気の良い場所だった。
人気を反映するように人も多いのだが、シュナが恐怖しているような様子は無い。
ベンチのように置かれた丸太の腰掛けに座り、シュナに話しかける。
「大丈夫か? もし歩くのも辛いようなら風魔法で飛ぶぞ?」
「フゥー……。大丈夫です。少しゆっくりすれば歩けます」
「そうか。なら、しばらくここにいよう」
シュナは息を整えるように深呼吸しながら首肯した。
俺は近くで軽食を売り歩いてる行商からサンドイッチを四つ買ってきてシュナと分ける。
もう時間的にはお昼時ということもあってこの手の商人は観光名所に出てくるようだ。教会の敷地内だろうが、そんなことが許可されているあたり観光地として許容しているのだろう。
シュナと二人でのんびりと街の景観を眺めながら食べていると、三人組の老年の男女が隣に腰掛けた。
「ここは恋人達が多いですねえ。お二人もそうですか?」
その中の老婆から急に話を振られた俺とシュナは顔を見合わせる。
シュナは慌てふためくように答える。
「い、いえ! 私達は観光で!」
「おやおや、そうですか。とてもお似合いでしたから、つい」
老婆が朗らかな笑みを浮かべながらそう言うと、その中の男の老人が俺のことを睨んできた。
「……なんだ?」
「……なんでもない」
なぜいきなり睨まれたのか分からず聞いてみたが流された。
その青い瞳は見た目の年齢に似合わないような凄みというか威圧感がある。
老人の眼光に気圧されていると、空気が冷えてきた。
この感覚は――
「シュ……レーゲン! 大丈夫か!?」
「え? 大丈夫ですが……どうかしましたか?」
「本当か? ちょっと確かめさせてもらう」
もしやシュナの魔力暴走が再発したかと思い、手を握ったり顔色を確認したりするが、特に変わった様子は無い。
しかし、俺がそうしていると余計に空気が冷えてくる。
何が起こっているか分からず、とりあえず魔力開放前にしたようにシュナを暖かい空気で包んで両手を握る。
「どどど、どうしたんですか、ハ……ナツ様!?」
「大丈夫だ。安心してくれ」
シュナに安心してもらうようにそう言うが、冷気は強くなるばかりだ。
危機感が高まっていくのを感じていると、後ろからバシンという音が聞こえた。
思わず振り返ると、先程話した老婆は笑いを堪えるようにしていて、睨んできた老人は頭を抱えながらもう一人の老婆と睨み合っている。
その様子を不思議に思っていると、冷気が落ち着いていった。
何が起こっているのかさっぱり分からないが、とりあえず一安心だ。
「ナツ様……その……」
「あ、ああ。すまない。体の方は大丈夫そうだな。もし何かあったら言ってくれ」
「わかりました。では、アーチをくぐってみましょう」
「ん? ああ、さっき言ってたやつか。いいよ」
今日は俺の案内をしてくれるということだが、シュナが自発的にしたいことがあるならそれを優先するつもりだ。あくまで自分の意思を大切にして欲しいからだ。
そのまましばらくそこでゆっくりした後、再び街歩きを再開した。
シュナは先程のような坂道を除けばずっと笑顔だ。最初に会った時と比べるともはや別人だが、本来のシュナからすればあの頃が別人だったのかもしれない。
今のシュナはどことなくカルテと雰囲気が似ているように思う。雰囲気というか接し方というか。変装していて外見より言動に意識が向くからそう思うのかもしれないが。
そんな風にして途中休憩を多めに挟みながら街を散策していると、日も傾いてきた。
そろそろ夕食時だろう。
そう思った俺はシュナに提案してある料理屋へと向かった。
そこは街でも有数の貴族向けの料理屋で、店内に入ると今朝シュナの従者から聞いていた通り豪華な内装をしていた。
給仕に案内されて席に着き、とりあえずおすすめを聞いてそれを注文する。
周りを見ると従者を伴って来ている大人達ばかりで、まだ若い俺達は少し浮いている。
「高級そうな店だな」
「そうですね。外で食べることはほとんどありませんでしたが、上位貴族をおもてなしするのに使われてもおかしくないお店ですね。このような場所に誘って頂きありがとうございます」
「あー、まあな。ちょっと気になったんだ」
シュナをここに連れて来たのには訳があるのだが、まずは味を確認しなければならない。
これで味が悪かったら何とも言えない空気になりかねない。
少しして料理が運ばれてきた。
複数の皿にはサラダや魚やパスタのようなものが分けられている。
この世界に来てから色々と料理を見てきたが、見たことがないような料理だ。
それを見たシュナは驚いたような感心したような顔になる。
「これはベファイヒトン王国の料理ですね」
「ベファイヒトン王国?」
「この領の西に、つまりクールン王国の西に隣接する国です。国の西側がずっと海に面しているので魚料理が多いんです。この麺の料理も有名ですね。ヴィンター辺境伯領は結構影響を受けてるんですよ」
「へえ。ということは食材も輸入したものを使ってるのか」
「そうだと思います。昔、ベファイヒトン側のこの街に隣接する領へ家族で訪れた時に色々と食べたことがありますが、印象的だったので覚えています。まさか知っていて誘ってくださったんですか?」
「いや、そんなことはないんだが、喜んでくれそうでよかったよ」
なるほど。彼がここで働いているのはそういう理由もあるのだろう。
それにしても、城や家々の意匠が王都のものと雰囲気が違うとは思ったが、それも隣国の影響があったと思うと納得だな。
貴族のテーブルマナーはいまだによく分からないので、とりあえずシュナが先に食べるのを待つ。
シュナは魚料理を一口食べると顔を綻ばせた。
「とても美味しいです。味付けもベファイヒトンで食べた時のものです」
俺も続いて同じように食器を使って一口食べると、今までに感じたことの無い味に思わず目を見開く。
「これは……美味いな……!」
転生してから初めて魚料理を食べたが、身はプリプリしていて噛むとすぐにほぐれる。よく食べる肉とはまた違う食感だ。味付けも王都の料理にはないほのかに辛味が効いたものだ。
パスタのような麺料理とサラダも王都では食べたことのない味で、どんどん食が進む。
気づけば俺もシュナもあっという間に食べて終えてしまった。
「美味かった……」
「そうですね……驚きました……」
二人して満腹感と幸福感で放心状態になる。
だが、ここに来た目的を果たさなければならない。
俺は給仕を呼ぶと厨房を見てみたいとお願いをする。
給仕は困惑した様子だったが要望を受け入れてくれて、同じく困惑の表情のシュナと共に厨房へと入らせてもらった。
広い厨房では忙しい時間帯ということもあってみんな忙しなく動き回っており、俺とシュナは人の通らない端っこで邪魔にならないように見させてもらった。
俺がキョロキョロと人を見ていると、先にシュナが一人の青年に目を止めた。
その青年はまだ見習いのようで指示を受けて食材を運んだり下処理をしたりしている。
どうやらシュナが腕を凍らせてしまったのは彼らしい。
「ハル様……あ、ナツ様……あの……これは……」
「シュナの従者の人に確認したんだ。今はここで働いていて、腕の機能は仕事には支障が無い程に回復しているらしい。騎士の道は断念したものの同じくらいの情熱で料理人を目指しているそうだ」
俺がそう小声で話すと、シュナは言葉を失った様子で、ただ青年のことを見ている。
遅かれ早かれ青年と面会する必要はあった。トラウマを克服するには避けては通れない存在だからだ。
仮に青年がシュナに対して恨みを持っているようなら見送るべきだと思っていた。しかし、従者の人が言うには当初は様子を見に行っても会ってくれなかったが、三ヶ月もすると話をしてくれるようになり、やがて料理人を目指すようになったそうだ。
従者の人もシュナの魔力暴走がおさまったら会わせたかったそうで、俺が少年について相談したことを喜んでいた。
昨日の今日で早いかとも思ったが、体の具合は良いし、俺も付きっきりで暖房が使えるので会わせることに決めた。
シュナの様子を確認する。
もし魔力暴走の兆候が見えたら即打ち切って店を出るつもりだったが、問題は無さそうだ。
「彼がここで働いているのもシュナがベファイヒトンの料理のことを話したからじゃないか? またいつかヴィンター家に仕えることを夢見ているんだろう。今度は料理人として」
シュナは言葉も無くじっと青年を見ている。涙を堪えているようにも見える。
と、青年がシュナの視線に気づいたようで、愛想の良い笑顔を浮かべた。
シュナもそれに返すように微笑みをつくった。
青年は笑顔を向けた相手が変装したシュナだとは気づかなかったようで、すぐに作業に戻る。
だが、シュナはそんな些細なやりとりでも満足したようだ。
「行きましょう。ハル様」
「わかった」
今は店も忙しいし話す時間を取らせることはできない。それはまた機会を探せばいいだろう。
ひとまずはシュナの笑顔を見て、トラウマの件が大きく前進したことを確信し、俺も安堵した。




