第三十八話 クレアとシュノー Ⅵ
シュナの部屋の前には先程同様に誰もいない。思った通りだ。
ドアにノックをする。
「シュナ。先程挨拶をさせてもらったハルだ。至急相談したいことがある。もしよければ少し話せると嬉しい」
返事は無い。
――と、思ったが。
「……どうぞ」
かなりの間があったが入室を許可してくれた。
「失礼する」
ドアを開けて中に入ると、やはり白い冷気が漂っている。
ベッドの上のシュナは上半身を起こしてこちらを見ている。
だが、視線は重ならない。
警戒されているのだろう。いきなり一人でやってきたら当然だ。
その状況でドアを閉めるか迷ったが、話が外に漏れると困るので閉める。
だが、近づきはせずに、ドアに近い位置から話しかける。
「警戒しなくても大丈夫だ。怪しい者ではない」
俺がそう言うと、シュナはブランケットを胸元に手繰り寄せて手を強く握る。
まずい。かえって警戒させてしまったようだ。誤解を解かねば。
「いや、本当に。シュノーが凍ってしまったので相談に来たんだ」
「……凍った……? ……どういうことですか……?」
シュノーから依頼を受けていることは伝えない方がいいだろう。依頼で会話をしていると思われると心を開いてくれないかもしれない。
怪訝な表情をしているシュナに言葉を続ける。
「さっきまでシュノーの部屋で話をしていたんだが、シュノーにとって少し衝撃的な話をしてしまったみたいなんだ。いきなり全身が氷に覆われてしまった」
「……それで、お兄様は無事なんですか……?」
「今はクレアが看病をしている。逆に聞きたいのだが、氷漬けになっても大丈夫なのか?」
「……氷に覆われるくらいなら、多分大丈夫だと思います」
「そうか。ならひとまず安心だな」
正直なんとなく大丈夫だろうとは思っていたので体の方の心配はしていなかった。
シュノーなら、いや、この一族なら多少凍っても大丈夫だと思えてしまう。
「やっぱり氷魔法に特化しているだけあって寒さには強いんだな」
ちょっとした話題転換を試みたがシュナからの返事は無い。
やはり質問に答えることはあっても会話を広げようという気は無さそうだ。
「でも、この部屋はちょっと寒いと思うんだ。暖房してもいいか?」
シュナからの返事は無い。
だが、拒絶を示すような素振りも無い。
怪訝というか疑問を浮かべたような表情をしている。
質問に対する答えは無いが、進むべきか、退くべきか。
進めば会話に繋げやすいが拒絶される可能性はある。
退けば気まずさだけが残るだろう。
ここはちょっと強引だが会話の為にも進もう。
「体に悪いと思ってな。暑かったら言ってくれ」
そう言って風魔法を起動して暖房を始める。
部屋の床に漂っていた白い冷気が一気に霧散していく。
すると、シュナは今までに無いほど大きな反応を見せる。
周りをキョロキョロとし始めて、そんな反応に驚く俺と目が合う。
その目は見開かれていて、分かりやすいほど暖房に驚いている。
「驚かせたか? 得意なんだ、こういうの」
そう言って微笑みながらシュナの返事を待つ。
少し間が空いて、返事の代わりに俺に目を合わせながら首を縦に振った。
よし。
興味を引くことには成功したと思っていいだろう。
貴族の作法も知らないし社交も不慣れな俺が持つ唯一の武器は風魔法だ。
これで上手く行かなければ難しいと思っていたので胸を撫で下ろす。
あとは距離を詰めていきたい。物理的に。まだドアの近くにいるのでこの広い部屋では結構距離がある。
「もしよければ、窓を開けてもいいか? 空気の入れ替えもしたいと思ってな」
シュナからは相変わらず返事は無いが、首肯は確認できた。
ドアの近くからガラス窓のある場所へと歩く。
ベッドは窓の近くにあるので、シュナとの距離はかなり近い。
窓からは先程庭から見えた広大な景色が広がっていた。
こんな景色があるのに塞ぎ込んでいるのは正直勿体ないと思う。
その窓を開けて空気の入れ替えをしていく。
外から入ってくる山の澄んだ空気が心地よい。
「いい場所だな……」
思わず声が漏れたが、返事は無い。
外の景色から向き直ってシュナへ視線を向けるとこちらを見ている。
暖房を始めた時からずっと目が合う。
今は距離が近いので表情もはっきり分かる。
もしかしたらシュナも何か話したいことがあるのかもしれない。
「この空気の入れ替えの風魔法は掃除の時にも使えるんだ。入れ替える時に部屋の中のホコリを外に出すようにしてな。今は冷気を出すようにしてる。あ、さっきも言ったが暑かったら言ってくれ」
とりあえず雑談をしてみるが、やはり返事は無い。だがずっとこちらを見ている。
あのカルテと泊まった宿屋を掃除した時の話をするか?いや、何かもっと良い風魔法の話題は――
「あ……ゴホン……あの、ハル様、でよろしかったでしょうか?」
シュナが自ら言葉を発した。
それも、今までの呟くような話し方ではなくしっかりと抑揚がついている。
俺は内心ではかなり驚いたが、平静を装って返す。
「そうだ。どうした?」
「あの……えっと……」
シュナは途端に尻込みしたように視線を逸らし何かを言い出すのを躊躇い始める。
その表情からは不安が見て取れる。
だが、今は間違いなく好機だ。何かを打ち明けようとしているように見える。絶対に逃すわけにはいかない。
「何でも聞くよ。遠慮無く言ってくれ」
その言葉に、シュナは少しの間迷ったようにしてから、決意したように表情を変えて再び俺と目を合わせる。
「それでは……私の手を握ってくれませんか?」
「もちろんだ」
その要求に内心かなり驚いたが、どんな内容でも好意的に受け入れるつもりだったので微笑みを崩さずに即答する。
シュナの位置まで歩いて、先程シュノーがしたように膝を曲げて目線を合わせてから団子のように固く握られた両手をそっと外から包む。
その手は氷のように冷たく、震えていた。
思わずシュナの顔を見ると、唇を引き結んで目を強く閉じている。
その様子を見て、色々と打算的に心を開かせる為に頭を回していたが純粋にこの子の不安を取り除いてあげたくなった。
何かがあるのだ。こんなになるほどの。
シュナの体を包むようにして暖房の層を纏わせる。
「大丈夫だ」
何も事情は知らない。ただの気休めの言葉だが、そう声を掛ける。
すると、固く握られていた手が緩んでいき、体から力が抜けていく。
そのままゆっくりと手を解すようにして拳を開いていき、左手を俺の右手で、右手を俺の左手でそれぞれ握る。
「スゥ……ハァ……」
シュナは必死に自分を落ち着かせるように目を閉じながら深呼吸をする。
もしかしたら何かトラウマのようなものでも抱えているのかもしれない。
手を握るという要求はその為?
そういえば、最初に挨拶をした時にシュナが少し反応を見せたことがあった。
たしか、俺達がここにいる間は友達と思って話していいとシュノーが言った時だったか。
その中で関係しそうな言葉と言えば、友達か?
友達がきっかけでトラウマ? それに氷魔法が関係している? 何かがあって凍らせてしまった? いや、もっとシンプルに氷魔法のせいで嫌われた?
色々と考えられるが、一応、そんな可能性を頭に入れておこう。
シュナの手はまだ冷たいままだが、ほんの少しずつ温まってきているように思う。
更に手だけを包むように暖房を重ねてみる。
「暑くないか?」
「はい。温かいです」
シュナの声色は最初と比べると別人のように柔らかくなった。
確実に良い方向に向かっている。
原因は分からないが、温めれば良くなるのであればそうしよう。
……。
…………。
そのまま五分くらい経っただろうか。
握り続けていたシュナの手は体温が分かるほどに温かくなり、自分を落ち着かせるようにしていた深呼吸は普通の呼吸に戻っていた。
もう大丈夫だろう。そう思っていると、手を握り始めてから閉じられていた目がようやく開かれた。
目と目が合ったので緊張させないように微笑む。
すると、微笑みを返してくれた。
「もう大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます」
そう言って微笑むシュナは最初に会った時とはまるで別人だ。
まだ依頼が完了した訳ではない。原因を調べるのも、解決するのも、これからだ。
だが、ひとまずその微笑みを見られて心から安堵した。




