第二十七話 商人と大切な商品 Ⅱ
「行商で爵位を目指すってことは商人として成功してるんでしょうね。なんで夫婦喧嘩なんてしてるのかしら?」
先程までの話をトレーネから伝えられると、フリューはそう率直な疑問を述べた。
「多分ですけど、父の仕事が関係しているのではと思います。一ヶ月程前にいつものように長い仕事から帰ってきたのですが、その後少ししてから喧嘩をするようになりました」
長い仕事から帰ってくる、というのは、行商として遠い地域まで商売をしてまわって帰ってきたということだろう。
「その喧嘩というのは、どんなものなんだ?暴力は無いと思いたいが」
「暴力は無いと思います。でも、わたしの前ではほとんど会話をしないし、わたしのいないところではよく口論をしているみたいなんです」
「前はそんなことは無かったのか?」
「はい。ずっと仲が良かったです。よくおしゃべりをしていましたし、口論も見たことがありませんでした。二歳の弟もいるんですけど、父は前はずっとデレデレとしていましたが、今は家にいてもろくに見向きもしません。この前の仕事から変わってしまったんです」
その話を聞いて風花にデレデレだった春風のことが浮かんだ。だから、信じ難い話だと思った。ずっと仲の良かった夫婦でも急にそんなに変わるものなんだろうか?
俺が疑問に思っているとフリューが質問を継ぐ。
「あなたがいないところで口論をしている、というのは、なぜわかるの?」
「わたしが外出して帰って来ると、家の外まで声が聞こえてくることがあるんです」
「例えばどんな言葉が聞こえるの?」
フリューがそう問うと、トレーネは記憶を探るように目を伏せる。
「えっと……『どうしようもない』とか『待って』とか……」
何かを諦めようとしている?何をだ?
俺は思考を巡らせていたが、次の言葉で中断される。
「あと……聞き間違いかも知れませんが、『殺す』という言葉も聞こえたように思いました」
俺とフリューは思わず顔を見合わせる。ぼんやりとただの仲違いだとか、そんな安全な喧嘩の話だと思っていたが、意識が切り替わる。フリューの顔付きも真面目なものに変わる。
「『殺す』と言ったのがどっちだったかは覚えてる?」
「母です。ただ、『壊す』だったかもしれません。母がそんなことを言うなんて信じられないので」
「その時の二人はどんな様子だったの?」
「その時は友達の家から帰るところで、玄関の近くで聞こえました。そのまま家に入ると母は泣いていました。父もわたしの前なのに取り繕うことも無く頭を抱えていました」
それを聞いたフリューは少し考えてから質問を続ける。
「さっき、親はあなたの前ではほとんど会話をしないと言っていたけれど、取り繕うことはしていたの?」
「はい。様子がおかしいのは明らかなんですけど、それでもわたしの前では笑顔を浮かべようとしています」
「そう……」
聞けば聞くほど深刻な問題のように思えてくるが、トレーネはずっと冷静に答えている。この年齢にしては驚くほど客観的な分析をしているように思う。これも両親の厳しい教育の賜物なのだろう。
だが、まだ両親に甘えたい歳なんじゃないだろうか。そんな時に両親がそのような状況に陥っているのは、つらくないのだろうか。
俺はそんなことを聞こうと開きかけた口を引き結ぶ。
愚問だ。つらくないわけがない。
そんな状況で、俺を頼ってアレスカーナへやってきたのだ。
絶対にトレーネの家族を元通りにしよう。
そう心に誓った。
≈ ≈ ≈ ≈ ≈
それから雑談を交えたりして歩いていると、トレーネが歩みを止めて口を開く。
「あの茶色の屋根の家がそうです」
その家からはまだかなり距離があるので小さく見えるが、遠目から見ても貴族向けの立派なものだった。どうやらトレーネの親は思った以上に行商として成功しているようだ。
フリューが家を見ながら口を開く。
「これからどうするの?」
「まずは様子を見ようと思う。父親と母親の両方の行動を監視して、何をしているか探りたい」
「わかったわ。でも……」
フリューはトレーネに視線を向ける。言わんとしていることは分かる。
「そうだな。トレーネ。君は家に帰るんだ」
「……わかりました。では明日またアレスカーナへ伺わせて頂きます」
「ああ。後は俺達に任せてくれ」
「はい。それでは、どうぞよろしくお願い致します」
そう言って、深々と礼をすると、トレーネは家の方に歩いていった。
トレーネが十分に離れたことを確認すると、フリューがため息混じりに口を開く。
「偉いわね、あの子」
「そうだな」
率直な感想だった。フリューも同じ気持ちだったことに安堵した。
「遊び半分じゃ出来なくなっちゃったわ。最後まで付き合ってあげる」
「そうしてくれると助かる。だが、監視や尾行が主になると思うがいけるか?」
「それなら大丈夫よ」
そう言うと、目の前にいたフリューが音も無く消えた。
「なっ!?え!?」
驚愕しながら周囲を見回していると、また急に目の前に現れた。
「おわ!」
「ね?」
思わず声が漏れた俺に、フリューは笑みを浮かべてウインクする。
「アタシは速いのよ」
「速いとかいう次元じゃないだろ……」
フリューは俺の反応を見て愉快そうに笑っている。
あらためてミーレの凄さを思い知った。クライネからは誘われているが、本当に役に立つんだろうか。
「……とりあえず、相手にバレることは無さそうだな。じゃあ、怪しまれないようにどこかに隠れよう」
「そうね。と言ってもどこがいいかしら」
あらためて周囲を見ると住宅街だ。隠れられるような場所が見つからない。
どうしようかと思っていたが、ふと思いつく。下が駄目なら上に隠れればいいのだ。
俺は付近で一番高い家の屋根を指差して言う。
「フリュー。あの家の屋根だ」
「なるほど。屋根に隠れるのね。でもどうやって登るの?」
「少し待ってくれ。俺に掴まってくれるか?」
フリューは首を傾げつつも指示通りに背中から俺の腰に掴まる。
俺は周囲に人がいないことを確認して、体を包む涼風用とは別に飛行用の風魔法を起動する。
「ちょ!浮いてる!?」
「飛ぶぞ」
驚くフリューをよそに、他人に見つからないようにさっさと移動したかった俺は一気に加速させて目標の屋根まで飛んだ。
「ふぅ。多分バレてないだろう」
「いやいやいや、何今の!?あなた一体何者?」
「風魔法が得意なんだ」
「得意とかいう次元じゃないでしょ……」
もう驚かれ慣れているが、やはりフリューにとっても衝撃的だったようだ。
だが、今はそれどころでは無かった。
「ちょっと待ってくれ。とりあえず熱い。先に屋根を冷やす」
真夏の太陽で熱された屋根はかなりの高温だった。俺は風魔法で自分達の付近の屋根に冷風を当てていく。温度は前世で設定可能だった下限の16℃だ。
訝しむフリューをよそに屋根を冷やしていくと数分後にはすっかり冷えたので、二人して腹這いになる。
通行人からは俺とフリューの頭が屋根からちょこんと出ている形になるが、気付かないと思いたい。まあ、フリューなら上を向く瞬間に消えることも出来そうだが。
監視の体制が整ったところで、俺はあらためて夫婦喧嘩の原因について考える。
「フリューはこの夫婦喧嘩の原因は何だと思う?」
「父親が仕事で下手を打ったか、どちらかの浮気じゃないかしら」
「浮気か……」
仕事で大きなミスをした可能性は考えていたが、浮気については考えていなかった。
「あくまで可能性よ」
「色んな可能性は考えておきたい。もし浮気だったら……できればトレーネには伝えずに二人の仲を戻してあげたいな」
「トレーネのことを優先するならそうね。でも、浮気相手と本気の愛が始まっていたらどうしようもないわ」
「家族よりもその相手を優先するというのか?」
「そういう人もいるのよ」
「そうか……」
俺には家族よりも優先される愛というものが理解出来そうに無かった。
「仕事のミスだと思いたいな」
「そうね。今まで順調にやってきたのがミスをきっかけに喧嘩をするようになったというのも筋は通るわ。でも、それにしたって不自然じゃないかしら」
「ああ。トレーネの口ぶりからは夫婦には何かもっと重大な隠し事があるような気がする。『殺す』の件は『壊す』だったと思いたいが」
「どうかしらね。最悪を想定した方がいいかもしれないわよ」
「最悪……誰かを殺す……そう考えると、浮気相手か……?」
「それも考えられるわね。あとは、取引相手とか」
「なるほど。ふむ……ん?あれは?」
監視していたトレーネの家の前で男が立ち止まった。あれがトレーネの父親だろうか。
いや、違うな。服装からしてあの家に合わない。爵位を目指す男が着るような服じゃない。遠くて顔はよく分からないが、身のこなしからもあのトレーネの父親とは思えなかった。
ということは……あれが浮気相手なのか……?
嫌悪感が押し寄せてきたところに、家から女が出てきた。間違いなくトレーネの母親だろう。
「下に降りる。尾行を開始するぞ」
「わかったわ」
通行人が一人いたので通り過ぎるのを確認してから下に降りる。
そのまま男とトレーネの母親を尾行していくと、やがて人のいない路地裏へと入っていった。
俺とフリューは二人からは隠れるようにして路地裏の入口で聞き耳を立てる。
「子供がいる時に来るのはやめてください」
「いやあ、大切な商品なんだからよ、ちゃんと見とかねえとな。あれがトレーネだろ?」
「まだ時間はあります。絶対になんとかしてみせます」
「そんなこと言ってもなあ?もう約束の一ヶ月は明日だぞ?分かってんのか?」
「絶対になんとかしてみせます」
「どうやって?誰も貸してくれねえんだろ?」
「……絶対……に……」
「あんたらが飛ばした金貨千枚分の商品。家とトレーネを売っても足りねえんだぞ?」
「……」
「言っとくが逃げるなよ?ずっと見張ってるからな」
「……うぅぅ……ぁぁぁぁぁ……」
「明日の十二時だ。それまでに用意出来ないならトレーネを連れて行く」




