後編
最終話です。
豪奢なドレスに身を包み、アガーテが聖堂へと歩を進める。この三つの月の間に、少しふっくらしたようではあるが、肌は綺麗に磨き上げられ、うつくしく化粧をされていた。
回廊の両側に高位貴族とその令嬢たちが並び、アガーテが前を通るのに合わせて、深く礼をする。それは、さながら波のようにも見えた。
女王のように頭をそらすアガーテは、気づかない。
選ばれなかった令嬢たちとその家族が、いずれも羨望のかけらさえ見せていないことを。皆、心の底から自分たちの家から聖女が出なかったことを喜んでいるのだ。
聖堂の扉が大きく開かれ、着飾った少女を迎え入れた。
重い音を立てて扉が閉まると、サンオルリア侯爵は傍らの妻を見下ろした。
「これで、そなたの役目は一通り終わった。暇を取らせるゆえ、早いうちに邸を出るがよい」
「は?」
怪訝そうにガリーナは侯爵を見やる。娘が聖女に決まり、贅沢ができると思っていたところだったのだ。
「分からぬか。そなたを娶ったのは、アガーテを聖女として送り出すためだけだ。そなたには、もうやれることない」
「何を仰いますの?わたくしは、侯爵夫人として、これから社交界に出なくては」
「その必要はない。わが侯爵家の後継はウルスラだ。次代の女侯爵として、既に社交界には受け入れられている。わが邸の女主人としての采配も、こなせている」
「なんですって?」
「そなたは知らなんだらしいが、高位貴族の邸において、南翼の棟を与えられるのは、後継者と定まったことを意味する」
ガリーナは、今までどんなに命令しようと、ある一定の事柄以上は家令に拒否されたことを思い出す。あの家令は、そろそろ追い出してやろうと思っていたところだった。
このまま、家を出されてなるものかと、ガリーナは手を握り締める。
「後継に決まったとはいえ、ウルスラにそのような権限を持たせるのは、早いのではありませんか?もう少し、後でも」
「致しかたないな」
ガリーナに皆まで言わせず、侯爵は軽く手を上げた。騎士がすぐに寄ってくる。
「聖女の生母だ。供をさせてやるがよい」
「わたくしも王宮で暮らせと?」
ガリーナの表情に、一転して喜色が混じる。聖女の生母として迎えられるのであれば、かなりの権力が手に入ると思ったに違いない。
「王宮ではない。聖女の赴く場所へ、共に行くのだ」
騎士は丁寧に、しかし有無を言わせぬ所作で、ガリーナを扉へと導く。
重い扉が再び開き、そして閉じた。
この国において、聖女とは贄である。
かつて、暴虐な王子が乙女を求め、拒まれたことに憤って殺めた。その後、乙女は聖女として昇天し、人々に庇護を与えたという。
それになぞらえ、飢饉や災害が続き、王家が必要と認めた時、聖女候補の中から選ばれた少女が、死を賜る。そして、その少女を聖女として奉り、国の平穏を願うのだ。その肉親が供をするというのは、殉死を意味する。
今より、十六年前。王家は聖女を選出すると決めた。既に第一王子との婚約が整っていた公爵家の令嬢を除いた高位貴族の令嬢たちが、候補として選ばれた。
だから、侯爵は新しい妻と娘を迎えた。最愛の娘、ウルスラを護るために。
分厚い扉の向こうから、かすかに悲鳴が聞こえたような気がして、侯爵は娘を見やった。ウルスラは、気づいていないようだ。
令嬢たちには知らされていないが、聖女が死を賜る時は、むごいありさまだと知っている。時には両手を切り落とされ、時には眼をえぐられ、生きたまま牡蠣殻で肉をこそげ落とされる。
かつて、最初の聖女が受けた苦しみを追体験することで、あらだな聖女が生まれると言われているからだ。
流石に、言い伝えの聖女のように王子が手を下すわけではなく、大聖堂の専門の神官が行う。聖女の選出とともに選びだされ、そのためだけに育てられた神官がいる。聖女を天上へと導いたのちは、その神官も供をする。聖女を殺めた王子がそうであったように、空井戸に閉じ込められ、蓋をされるのだ。
こうしたいくつかの儀式は、王侯貴族の中でも、数名にしか内容を知らされていない。だから、候補の令嬢たちに伝えられるのは、聖女となったあかつきには、大聖堂に入り、死ぬまで出られないということだけだった。
サンオルリア侯爵の娘ウルスラが聖女候補になったのは、先代の大司教と侯爵の軋轢が元である。聖職者でありながら、権力と富に強欲だった大司教は、ある利権をめぐって侯爵と対立した。聖女候補の選定に大きな発言力を持っていた大司教は侯爵に、要求を飲まねばウルスラを聖女とすると暗に脅した。要求を飲めば、多くの民草が苦しむと分かっていた侯爵は、自分の道を曲げることをせず、結果としてウルスラが聖女にほぼ決まってしまったのだ。
二年前に新たな聖女を見ることなく大司教は天上へと旅立ったが、今更聖女候補を変えることは不可能に思われた。だが、侯爵は手だてを見つけたのだ。
大司教の遺言に曰く、次代聖女はサンオルリア侯爵の娘とする、とあり、ウルスラを指定したものではなかった。
娘でありさえすればいい。
侯爵は、半年迷った。そして、身代わりのために娘をこしらえ上げることを決心した。そして、丁度いい年の娘を持つ、いささか評判の良くない寡婦を探し当てたというわけだった。
身代わりに娘とした彼女の気立てがよければ、少しは心が痛んだかもしれない。だが、使用人に辛く当たり、侯爵令嬢であるウルスラをうらやんで蹴落とそうとしたアガーテとガリーナを哀れには思えなかった。
あのようなあさましい娘が聖女となってよいのかとも思うが、過去の例では罪人と大差ない者もいたようなので、よしとした。どうせ、聖女とは名ばかりの人柱なのだ。
「お嬢様、お屋敷に帰りましょう。久しぶりに、お嬢様のお好きなお茶をお淹れいたしますわ」
アガーテに就かせていた侍女が、ウルスラのもとに戻ってきた。
「ご苦労様でしたわね。大変だったでしょう?」
「ええ、でももう終わったことでございますから」
侍女は、微笑む。主に愚痴をこぼすようでは、侯爵令嬢の侍女は務まらない。
「ナンナが、お嬢様のお好きなケーキを焼いておりますわ」
濡れ衣を着せられかけたナンナに、侯爵は契約を切ると言い渡した。侯爵との契約は、ウルスラの専属侍女になるまでの仮のもので、邸の雑用をこなすこととされていた。侯爵家との契約を切ったわけではなく、侯爵自身との契約を切ったことで、ナンナはウルスラの専属侍女として、ずっと南翼の炊事場で働いていたのだった。
「ウルスラさま」
「マルグリットさま」
「こんなことを申し上げるのはどうかと思いますけれど、良きところにおさまりましたわね」
「マルグリットさまにも、ご迷惑をおかけいたしました」
アガーテは、聖女と決まってからは格上の公爵令嬢であるマルグリットにさえ、不遜な態度を取っていた。特に、マルグリットが王太子の婚約者であると知ってからは、かなり嫌味を言ったり、マルグリットに虐められたと吹聴していたようだ。
「ウルスラさま、気に病まれることはありませんのよ。先ほどまで、控室で次期聖女さまとご一緒しておりましたが、口に出すのがはばかられるようなありさまでしたの」
あの義妹のことだ。勝ち誇って、さぞや無礼なふるまいに及んだのだろう。
「でも、もう終わったことですわ。次期聖女さまは聖堂に入られました。時がくれば、正式に聖女におなりあそばし、もはや俗世には関わりません。わたくしたちは、わたくしたちのなすべきことをなさねば」
聖女を立てて祈らねばならぬほど、今、この国は逼迫している。それを立て直すのは、マルグリットやウルスラの世代の者たちなのだ。
マルグリットは次期王妃として。ウルスラは、次代のサンオルリア女侯爵として、山積した問題を解決していかねばならない。
決意も新たに、二人の令嬢は大聖堂に背を向けて、自らの道に踏み出していった。
Fin
お読みいただき、ありがとうございました。
聖女ウルスラ、聖女アガタなどの宗教画が、一部モチーフになっております。