第八十五話 妖艶な少女
「というわけで、この学園もやっぱりレベルが高いですね、私より強い人がいっばいいるみたいで、楽しみです!」
「技術はともかく、実戦でお嬢様に勝てる者はそういないとは思いますが……ところでお嬢様」
「はい、なんですか?」
「なぜ、またお料理を? それも、間食ではなく夕食の準備など……」
試験が終わった日の夜。下級寮に戻ってきたリリィは、カミラと共に厨房に入り、料理を手伝っていた。
理由を尋ねられ、リリィは決まっているとばかりに鼻を鳴らす。
「それはもちろん、この厨房にある食材と調味料の圧倒的種類の多さに感動したからです! これだけあれば、これまで諦めていた料理がなんだって作れます! みんなに勉強を教えて貰う代わりに何かお礼するって言いましたから、私がとびっきり美味しい夕食をごちそうしてあげるんです! ついでに、下級寮の他の子にも振る舞って、みんなの胃袋を掴むことで仲良くなります!」
「レシピを教えて頂ければ、私共のほうで勝手に作っておきますよ?」
「それじゃあ意味がありません! せっかく王都にいるんですから、この際料理の修行を積んで、アースランド領に帰った時、みんなにもとびっきり美味しいのを振る舞ってあげるんです! もう料理長さんにも話をつけました!」
「ああ、この子はまだまだ技術的には拙い部分はあるが、今までにない調味料や新作料理を産み出す柔軟な発想と行動力、実に素晴らしい! 鍛えていけば、将来は俺を超える料理人になれるだろう! だからカミラさん、どうかこの子を俺の弟子に!!」
「お願いします!!」
「あの、お嬢様、目的が変わってませんか? お嬢様が学園に来たのは料理を学ぶためではありませんよね?」
どうやら、料理長はリリィの作ったマヨネーズを見て、何やら感動を覚えたらしい。急に湧いて出て、リリィと共に頭を下げた。
微妙に居心地の悪いカミラは一応の反論を試みるのだが、それは儚い抵抗でしかなかった。
「私の目的は、アースランド領のみんなの幸せです! いいですかカミラさん、料理を甘くみてはいけませんよ! 人間、時には調味料一つのために戦争を起こすことだってあるんです! 美食を制するものは世界を制するんです!! アースランド領の発展には、食文化の発展は欠かせません!!」
「そうだそうだ!! 貴族のガキども、口を開けば上級寮より飯が貧相だの不味いだの好き放題言いやがって!! 俺が限られた予算の中でどれだけ工夫に工夫を重ねて味の向上を図ってると思ってやがる! この子の料理を全てモノにして、文句ばっかりな下級寮の連中に目にもの見せてやるぜえええ!!」
「あの、料理長、私怨が混じっています」
悲しみのあまり涙を溢しながら叫ぶ料理長を宥めつつ、カミラは頭を抱える。
料理自体は、別にいいのだ。小さい頃ならいざ知らず、ある程度成長した今、包丁だの火を扱うことだのに文句を付けるつもりはない。
ただ……。
(ルルーシュ様から、お嬢様は下手をすれば徹夜してでも勉強すると言い出しそうだから、それ以外の時間は出来るだけ休ませるようにと言われているのですよね)
兄には言わないと言ったが、使用人に言わないとは言っていない。
そう言わんばかりに密告を受けたカミラとしては、料理のためにリリィが余計に無理を重ねないか、それのみが心配だ。
となれば、いっそそれを条件に加えてしまうのが一番だろう。
「分かりました。但し、消灯時間を過ぎたらすぐに寝てください。燭台を使って夜間に勉強することは禁止します」
「うっ!? わ、分かりました」
本気でやるつもりだったのか、分かりやすく顔を顰めるリリィにまたも溜息を溢す。
貴族の子供とは、我儘に育つことが多いものだとは分かっていたが……こんな方向で我儘さを発揮するとは、アースランド家に来た七年前は思いもしなかった。
(まあ、それだけ元気に育ってくれているのだと、今は喜びますか)
そう考え、カミラはひとまず問題を先送りにすることにしたのだった。
結論から言えば、カミラやルルーシュの懸念は全く無駄に終わったと言っていいだろう。
なぜなら翌日、早速初めての授業が終わるなり誰かにノートを写させて貰えないかと考えたリリィはしかし、その相手をほとんど見付けられなかったのだ。
「ごめんなさいね、私、マッドロフ子爵家のご令嬢と約束しているの、またの機会にして貰えると助かるわ」
「そうですか……分かりました、その時をお待ちしております」
ペコリと頭を下げて去っていく女子生徒を見送り、リリィはガックリと肩を落とす。
今ので、既に断られること十人目。あまり生徒数の多い学校ではないことを思うと、かなり厳しい出だしとなったと言う他にない。
そうなった理由は、主にここが“貴族”の学校である、というところが大きいだろう。
「ぐう、貴族社会の派閥争いを甘く見ていました……」
学園の本棟、とある廊下の一角にて、リリィは頭を抱えて蹲る。
現在、この国の貴族達は大きく分けて二つの勢力に別れていた。
片や、軍備増強を押し進め、あわよくば隣国チェバーレ帝国をこちらから攻め落とすことで、建国以来の軍事的脅威を排除してしまおうと主張する主戦派。
そして、軍備増強の必要性は認めつつも、過剰な拡大政策は他の国との関係を損なうとして、まずは内政に注力しつつ、可能であれば帝国との不可侵条約を結ぶことで当面の緊張を和らげようと主張する穏健派。
どちらの主張も、国の安全と発展を考えればある意味で正しく、だからこそ決着がつかないまま既に数年が経過している。
なまじ、この国でも最大の発言力を有するランドール公爵家と現王が、この問題を巡って主戦派と穏健派に別れて火花を散らしているために、対立は激化の一途を辿っていた。
あくまで政治の、大人達の問題だと言えたら楽なのだが……困ったことに、長子相続が当たり前の貴族社会、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとまでは行かないが、親達の代理戦争とばかりに子供同士すら派閥ごとに纏まり、相手の派閥と敵対している有様だ。
ここに、アースランド家の微妙な立場も加わって、仲良くお勉強と洒落込むような相手はほとんどいなかった。
「スクエア家が穏健派で、うちも一応その一員。でも、ルル君達ランターン家はランドール家の影響下にいて、いわば主戦派……今のアースランド家は、穏健派でありながら主戦派と結託して軍艦を作った裏切り者、コウモリってわけですか」
そう、まだ最近知ったばかりなのだが、どうやらランターン商会に軍艦の建造話を持ち込んだ家というのが、主戦派筆頭のランドール公爵家らしいのだ。
カロッゾによれば、どちらにしても旧式化が進む軍艦の更新は必須だったそうだが……態々敵対派閥に塩を贈るような真似をしたのだ、多少なりと穏健派の中で浮いてしまうのは仕方がない。
仕方がないが、学園で友達を作りたいリリィとしては、非常に困った問題として目の前に横たわっていた。
「あ~、どうすればいいんですか~!」
天に向かって吠えながら、頭をかきむしる。
淑女としては色々と残念な仕草だが、元々リリィは男なわけで、それほど淑女らしさに拘っていない。
クルトアイズには立派な淑女になって帰ると言ったのだが、当の本人にも既にそんなことを言った記憶は残っていなかった。
「あらあら、こんなところでどうしたのかしら?」
すると、そんなリリィに一人の少女が話し掛けて来た。
紫色のウェーブがかった髪を腰まで伸ばし、ゆったりとしたドレスを身に纏った姿からは、貴族の中にあってさえ育ちの良さを感じさせる。
どこか猫を思わせる金色の瞳には好奇と嗜虐の感情が垣間見え、下手に触ると火傷しそうな気配があるにも拘わらず、それでも手を伸ばしたくなってしまう妖艶さが漂っていた。
身長だけならリリィとさほど変わらないのに、とても同年代には見えない――一応、一つ年上ではあるらしい――不思議な少女を前にして、リリィは何か記憶に引っ掛かるものを感じて首を傾げる。
「ええと、あなたは……あ、思い出しました! 確か、ランドール公爵家の!」
「ふふ、三年前にスクエア家主催の晩餐会でご一緒して以来ね。私の名はシルヴィア、シルヴィア・ウィル・ランドールよ。あの時は挨拶も出来なかったけれど、改めてよろしくね?」
「はい! 私はリリアナ・アースランドです、シルヴィア様、こちらこそよろしくお願いします!」
自分の記憶が間違っていなかったことを知って、リリィは慌てて礼を取る。
まさか、たった今思い浮かべていた渦中の家の人から話し掛けられるというのは、全くの予想外だ。
「ふふ、そう固くならなくてもいいのよ? 私のことは、気軽にシルヴィアと呼んでくださいな」
「は、はい、シルヴィアさん」
言われるがままに呼び方を改めるリリィに、シルヴィアはすすすと身を寄せる。
どことなく色気を漂わせる彼女の顔が間近に迫り、リリィは同性にも拘わらずドギマギしてしまう。
(いやいや、私は中身男ですから、普通の反応です!)
同性という単語がすんなり頭に浮かんでしまう自分にそう突っ込みながら、リリィはやんわりとシルヴィアの体を押し止める。
「あの、シルヴィアさん、近いです」
「あら、ふふふ。可愛らしいお顔だったものだから、つい」
くすくすと笑みを溢しながら離れていくシルヴィアに、リリィは早くも疲労を感じ初めていた。
悪意のようなものは感じないので天然なのだろうが、この少女はどうも心臓に悪い。
「それで、何のご用だったんですか?」
「ああ、そうそう。あなたが随分と熱心に歩き回っていたものだから、何をしているか気になったの」
「それは、まあ、授業のノートを写させて貰える人を探していました。私が参加出来なかった授業についても、勉強したくて」
「あら……随分と勉強熱心なのね? どの授業について知りたいの?」
「私が参加出来なかった授業ならなんでも! 私、少しでもたくさん勉強して、アースランドのみんなの役に立ちたいんです!」
「なんでも? それって、あれば全部学びたいということ?」
「はい! もちろんです!」
「あらあら、ふふふ……本当に面白い子ね、あなた」
力強く宣言するリリィに、シルヴィアは益々楽しそうに笑う。
やはり、大言壮語が過ぎて不快な気分にさせてしまっただろうかと心配になるリリィだったが……シルヴィアは、その瞳をスッと細め、リリィの耳元に口を寄せる。
親切そうな、優しい声色で。
容赦のない提案を。
「本当に、全てを学びたいのなら、放課後、第二図書室に来るといいわ。……私の“友達”に声をかけて、受けられる授業全ての内容を集めてあげる」
「本当ですか!?」
「ええ、嘘は吐かないわ。その代わり、せっかく集めるのだから……辛いかもしれないけど、頑張って勉強してね?」
「ありがとうございます、シルヴィアさん! 私、頑張ります!」
愉しそうに、悪戯っぽい笑顔でシルヴィアは告げる。
それは、そう、まさに……新しい玩具を見付けた、無邪気な子供のような笑顔だった。




