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水底の蜘蛛、不屈の関宿城  作者: 水川仁


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第24章:枯渇する血脈

関宿城から、人の声が消えていた。


兵糧は尽きた。


塩も尽きた。


火薬も尽きた。


希望も尽きようとしていた。


城壁の下。


一人の足軽が倒れていた。


誰も助けに行かない。


助けられない。


皆、自分が立っているだけで精一杯だった。


雑草は食べ尽くされた。


犬も消えた。


猫も消えた。


軍馬も消えた。


残ったのは飢えだけだった。


「殿……」


持助が静かに呼びかける。


晴助は返事をしなかった。


いや。


返事をする力が残っていなかった。


かつて関東中の国人を動かした男。


北条氏康を何度も苦しめた男。


その姿はもうなかった。


髪は真っ白だった。


頬は落ち窪み。


指は枝のように細い。


それでも晴助は窓の外を見続けていた。


北。


越後のある方角。


「来ぬか……」


かすれた声だった。


「上杉殿は……まだ来ぬのか……」


持助は答えられない。


謙信は動いていた。


実際に動いていた。


だが届かない。


北条が築いた包囲網はあまりにも強固だった。


援軍も。


兵糧も。


書状さえも。


関宿へ届かない。


城は完全に孤立していた。


その頃には、城内で死者を埋める者もいなくなっていた。


生者にそんな力は残っていない。


死者はただ毛布を掛けられ、


壁際へ並べられていく。


一人。


また一人。


関宿は静かに死んでいた。


そして天正二年五月。


一本の矢が飛んできた。


城門へ突き刺さる。


矢文だった。


北条氏政からの降伏勧告。


最後通牒だった。


数日後。


北条の使者が城へ入る。


使者は痩せ細った兵たちを見た。


腐臭の漂う城内を見た。


そして奥の間に横たわる晴助を見た。


「晴助殿」


使者は静かに言った。


「もはや勝敗は決しております」


晴助は黙っていた。


「降伏されよ」


沈黙。


「氏政公は一族の命を助けると仰せです」


その言葉を聞いた瞬間だった。


晴助の目が見開かれた。


「命……?」


かすれた声だった。


「今さら……命だと……?」


笑った。


乾いた笑いだった。


「北条が……我らに慈悲を語るか……」


震える手が畳を掴む。


「どれだけ……」


「どれだけ戦ったと思う……」


「父祖の代から……」


「どれだけ守ったと思う……!」


突然。


晴助は拳を振り下ろした。


ドン。


畳が鳴る。


もう一度。


ドン。


そしてまた。


ドン。


拳の皮が裂ける。


血が滲む。


それでも止まらない。


「父上!」


持助が抱き止める。


「もうおやめください!」


晴助は息子の腕の中で震えていた。


怒りだった。


悔しさだった。


絶望だった。


そして。


自分が負けたことを理解してしまった苦しみだった。


長い沈黙。


やがて晴助は呟いた。


「持助」


「……はい」


「生きよ」


その一言だった。


持助は涙を流した。


それが降伏だった。


数日後。


関宿城の門が開かれる。


戦ではない。


降伏によって。


晴助は息子に支えられながら城門を出た。


歩く。


一歩。


また一歩。


祖父の代から守った城。


父から受け継いだ城。


自らの人生そのものだった城。


その土を踏みしめる。


もう二度と戻れないと知りながら。


振り返る。


関宿城が見えた。


晴助はしばらく見つめていた。


何も言わない。


言葉にすれば壊れてしまう気がした。


やがて前を向く。


その背中は老いていた。


小さくなっていた。


だが最後まで武士だった。


こうして簗田晴助は関宿を失った。


関東を震わせた「水底の蜘蛛」は、


ついにその巣を奪われたのである。


しかし。


歴史はまだ終わらない。


蜘蛛は巣を失った。


だが蜘蛛そのものは生きている。


そして時代は再び大きく動こうとしていた。


甲斐では虎が死に。


越後では龍が老い。


やがて天下そのものを揺るがす嵐が近づいていた。


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