第22章:賽の河原の地獄
また始まった。
それが晴助の率直な感想だった。
城壁の上から見える地平線。
そこに再び北条の旗が現れる。
一つ。
二つ。
十。
百。
やがて視界を埋め尽くした。
上杉軍が去ってまだ数か月。
関宿に訪れた束の間の平穏は、あまりにも短かった。
「北条軍接近!」
「敵先鋒、栗橋を通過!」
「氏照勢三万以上!」
報告が飛び交う。
兵たちの顔から血の気が引いていた。
誰もが知っている。
また始まるのだ。
終わりのない戦が。
晴助は黙っていた。
怒りもない。
驚きもない。
ただ疲れていた。
心の底から。
上杉謙信は確かに来た。
関宿を救った。
北条を打ち破った。
だが。
謙信は去った。
そして北条は戻ってきた。
結局それの繰り返しだった。
積む。
壊される。
また積む。
また壊される。
まるで賽の河原だった。
死者の子供が石を積み上げる。
完成しかける。
鬼が現れる。
全て崩される。
また最初から。
関宿も同じだった。
砦を築く。
守る。
奪われる。
取り返す。
また失う。
何年も。
何年も。
何年も。
その果てしない消耗戦が、人の心を削っていった。
かつて黄金色に輝いていた水田は荒れ果てた。
田を耕す者は兵になった。
兵になれぬ者は逃げた。
残った者は飢えた。
戦が終わらない。
だから田植えもできない。
収穫もできない。
収穫できなければ兵糧もない。
兵糧がなければ戦えない。
関宿そのものが、少しずつ死んでいた。
「父上……」
持助が頭を下げる。
まだ若い。
だがその目には疲労が刻まれていた。
「東の砦が落ちました」
晴助は何も言わない。
「兵も足りませぬ」
沈黙。
「領民も限界です」
長い沈黙が続いた。
やがて晴助は窓の外を見た。
利根川。
簗田一族を支えてきた大河。
その水面だけが何事もないように流れている。
「落ちぬ」
かすれた声だった。
「父上……」
「関宿は落ちぬ」
もう一度言う。
自分自身へ言い聞かせるように。
「我らは蜘蛛だ」
晴助は呟く。
「泥の中で生きる蜘蛛だ」
豪華な城もない。
巨大な石垣もない。
豊かな領地もない。
だが。
泥の中でも生きる。
何度踏み潰されても糸を張り直す。
それが簗田だった。
持助は父の横顔を見た。
そして胸が痛んだ。
かつての晴助は違った。
堂々としていた。
誰よりも自信に満ちていた。
関東の国人たちを率いていた。
今の晴助は痩せていた。
顔色も悪い。
目の下には深い隈が刻まれている。
それでも。
その目だけはまだ死んでいなかった。
北条への憎悪。
関宿への執着。
そして。
いつか再び現れるかもしれない上杉軍への希望。
それだけが彼を支えていた。
しかし。
時代は変わろうとしていた。
小田原。
関東に君臨した相模の虎。
北条氏康。
その命の火が、静かに消えようとしていた。
そして。
若き当主。
北条氏政が家督を継ぐ。
多くの者は思った。
氏康ほどの名将ではない。
北条も衰えるだろうと。
だが。
それは甘い考えだった。
氏政は父とは違う。
猛将ではない。
戦上手でもない。
その代わり。
冷たかった。
獲物を追い詰める猟師のように。
敵が息絶えるまで締め上げることを知っていた。
やがて関宿を襲う。
これまでとは全く違う戦。
城を攻めるのではない。
城を飢えさせる。
城を孤立させる。
城そのものを殺す戦。
北条家が長年蓄積した知識と財力を注ぎ込む、
恐るべき「城殺し」が始まろうとしていた。




