第15章:氏康の謀略、引き裂かれた公方
冬の風が障子を揺らしていた。
関宿城の評定の間には重苦しい空気が漂っている。
上座には晴助。
その左右には宿老や重臣たちが並んでいた。
誰もが険しい顔をしている。
議題は一つだった。
古河公方家の行く末。
そして北条氏康の思惑である。
「ここまで見事にやられるとは……」
白髪の宿老が苦々しく呟いた。
「氏康殿は戦だけの男ではござらんな」
その言葉に何人もの家臣が頷く。
河越夜戦以来、北条の勢いは止まらない。
だが本当に恐ろしいのは軍勢ではなかった。
「血でございます」
別の重臣が言った。
「北条は血で公方家を縛ったのです」
晴助は黙って聞いていた。
その話は何度も聞いている。
だが聞くたびに胸の奥が冷える。
かつて北条氏は公方家との関係を深めるため、芳春院を足利晴氏へ嫁がせた。
それ自体は珍しい話ではない。
戦国の世では婚姻もまた武器である。
問題は、その後だった。
公方家には二人の男子が生まれた。
長男・藤氏。
そして次男・義氏。
藤氏は簗田家とも縁の深い若君だった。
本来ならば何の疑いもなく後継となるはずだった。
しかし北条は違う未来を望んだ。
「藤氏様は古河を追われました」
宿老の声は重い。
「晴氏様もまた小田原へ連れ去られた」
誰も反論しない。
それが現実だった。
そして今。
古河公方の座には義氏がいる。
北条の血を引く若き公方。
「名目の上では、すでに決着しております」
重臣の一人が静かに言った。
「世間が認める公方は義氏様」
「……」
「我らが藤氏様を奉じるということは、北条への敵対を意味します」
評定の間が静まり返った。
その言葉の重みを誰もが理解していた。
敵対する相手は一国の大名ではない。
坂東最大の勢力。
北条氏康である。
晴助はゆっくりと目を閉じた。
父が生きていた頃ならどうしただろう。
高助は迷わなかったかもしれない。
だが自分は違う。
関宿を守らなければならない。
家臣も領民も守らなければならない。
そして藤氏も。
その全てを守る道など本当に存在するのか。
「殿」
宿老が口を開く。
「まだ間に合います」
晴助は顔を上げた。
「藤氏様を北条へお渡しすれば――」
そこまで言いかけた宿老の声が止まる。
晴助の視線があまりにも鋭かったからだ。
部屋の空気が張り詰めた。
「それは父上なら決して選ばぬ道だ」
静かな声だった。
だが誰一人として反論できなかった。
「簗田は公方家と共にある」
晴助は立ち上がる。
「たとえ相手が北条氏康であろうとも」
窓の外では利根川の風が唸っていた。
まるで遠い小田原から届く圧力のように。
だが晴助は目を逸らさない。
父が遺した蜘蛛の糸はまだ切れていない。
そしてその糸の先には、追われた若君――藤氏がいた。




