第11章:坂東を縛る見えざる糸
簗田高助が一生をかけて張り巡らせた「蜘蛛の糸」は、関東平野を静かに、しかし確実に縛り上げていた。
利根川水運を掌握する要衝・関宿城。
その主である高助の権謀術数は、今や最高潮に達していたと言ってよい。
古河公方・足利晴氏は、高助の娘である芳春院を寵愛し、常に側に置いていた。
公方が政務の決断を下すとき、その耳元で囁かれるのは芳春院の声であり、それはすなわち、背後にいる簗田高助の意志でもあった。
「関東の秩序は、公方様ではなく、関宿の簗田が動かしている」
いつしか坂東の武士たちは、そう噂し合うようになっていた。
関東の諸大名や国人領主たちは、古河の公方御所へ足繁く通うよりも、まず関宿城へ進物を携えて挨拶に訪れる。
関宿を素通りしては、関東での地歩を固めることなど叶わぬからだ。
簗田の名は、古河公方の巨大な「影」として、しかし何よりも確かな重みをもって坂東一円に響き渡っていた。
「これで、しばらくは簗田の天下にございますな。公方家を内から操り、諸大名を平伏させる。大旦那様の知略、恐れ入り奉ります」
関宿城の奥書院。
薄暗い部屋の中で、老齢の家老が安堵の息を漏らしながら、高助へ茶を差し出した。
簗田の栄華は極まった。
誰もがそう信じて疑わなかった。
だが――。
主君である高助は、その言葉に微塵も表情を動かさなかった。
頷きさえしない。
「……蜘蛛の糸はな、いつか切れるものだ」
高助の低く嗄れた声が、静かな室内に響く。
「そして、それが切れる時は……決まって音もなく切れる」
高助はゆっくりと立ち上がり、天守の格子窓から南の空を見やった。
ぬるい川風が白髪を揺らす。
視線の先にあるのは、遥か南――相模国、小田原。
どこまでも広がる青空の彼方から、まだ見ぬ巨大な嵐が黒雲を伴い、こちらへ迫ってくるような気がした。
高助の研ぎ澄まされた直感は、その破滅の気配を敏感に察していた。
「北条……」
その名を口にするたび、高助の胸の奥はざわめいた。
忌々しくも、恐ろしい存在。
北条という男たちは、簗田が、そして関東の武士たちが何より重んじてきた血統も格式も、初めから信じていない。
彼らが信じるのは、ただ一つ。
眼前の敵をねじ伏せる圧倒的な力。
それだけだった。
彼らは関東の古い秩序を喰らい尽くすために現れた、まったく新しい存在だった。
そしてその牙は日に日に鋭さを増し、今や関宿の喉元にまで届こうとしている。




