出られない喫茶店 中編
カウンターの奥にいた男性が落ち着いた声を投げかけてくる。
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
軽く会釈をして店内を見回せば、奥のテーブル席に一人座っているだけで、他に客はいない。
みすずがカウンター席に腰を下ろすと、店員がメニュー表を差し出した。
エスプレッソにカプチーノ。カフェラテ、蜂蜜と深煎りコーヒー。
スイーツの欄にはコーヒーゼリーとヘーゼルナッツのサブレ、あとはレモンクッキーが並んでいる。
値段も手ごろなことに安堵しつつ、みすずは店員に問いかけた。
「おすすめってあります?」
「そうですねぇ……。カプチーノがおすすめですよ」
「ではそれと……レモンクッキーもお願いします」
「かしこまりました」
返事と共にテキパキと手を動かす様子は長年の経験を感じさせる。その様子をぼんやり眺めていると、店員は作業を続けながら口を開いた。
「お客さんはこちらにはよく来るんですか?」
店員の言う「こちら」が異界を指していることは明かだった。みすずは首を横に振る。
「いえ、今日は偶然見かけたので」
そこまで言ってから、みすずは思い切って問い返した。
「ところで、どうしてこんな場所に店を? お客さん来ないでしょう?」
「そんなことないですよ。現にこうしてあなたが来たのですから」
微笑みつつそんなことを言う店員はどこか可愛らしく見えて、みすずは苦笑まじりに頷いた。
「なるほど。案外繁盛してるんですね」
「ええ、それなりに」
質問の答えになっているのかいないのか。しかし曖昧な余韻はどこか心地よく、みすずの時間を埋めていく。
店員の言葉が途切れたあと、不意にテーブル席の方から声がかけられた。
「マスターの話はコーヒーの砂糖みたいなものだよ。聴きすぎるのは良くないんだ」
振り返ったみすずは驚いた。
「あれ!? 警部じゃないですか」
「やあ。事務所の外で会うのははじめてだね。探偵さん」
そう言ってにこやかに手を振るのは、波打ったオールバックの黒髪とアンダーリムの黒い眼鏡が特徴的な男だった。
このやりとりでみすずと警部が知り合いだとわかったのだろう。マスターと呼ばれた店員は腑に落ちた様子で頷いた。
「類は友を呼ぶ。あなたも呼ばれたんですね」
「いやいや、約束なんてしてなかったんですよ」
ほがらかに否定するみすずに、店員改めマスターは微笑みを濃くして言った。
「人にではなく、迷路にですよ」
どこかとぼけたその言葉の意味を問いただす間もなく、マスターはみすずにカプチーノとレモンクッキーを差し出した。
一口啜る間に、警部がみすずのいるカウンターに移動してくる。
みすずがエスプレッソの苦みとミルクのクリーミーな風味に舌鼓を打っていると、警部がカウンターの上に大きなジェラルミンケースを置いた。
喫茶店の雰囲気に合わない重々しい物体に、みすずは思わず眉をひそめる。
「なんですそれ?」
「わからない。なんでも、客の一人が置いていったらしい」
「置いていった……?」
警部の含みのある物言いにみすずは首を傾げる。マスターが頷いた。
「それがどうも妖しいのです。二週間ほど前、この店に妙に上質なスーツ姿の男がやって来ましてね。ちょうどあなたと同じくカプチーノとレモンクッキーを注文したんですよ。それからほら」
マスターは先ほどまで警部が座っていた窓際のテーブルを指すと続ける。
「あの席でしばらく本を読んだあと、忽然と消えたのです。代金とそのケースを残して」
「……消えたのなら、忘れものとは呼べませんね」
「でしょう? それから今日までの二週間。あの男が現れることも、ケースを取りに来ることもないのです。……だからせめて持ち主の素性でもわからないものかと、こうして常連の警部さんに相談した次第です」
警部はみすずを見るとニヤッと笑って言った。
「どうだい。気になるだろう?」
いたずらっぽく笑う警部にみすずは苦笑した。
「ここまで聞いたらそりゃあね。私も一枚噛ませてくださいよ」
「そう言ってくれると思ったよ。マスターも、構わないかい?」
「もちろん。こちらとしても助かります」
二人の許可を得たみすずは、視線をジェラルミンケースへと向けた。
「持ち主といえば、ケースの中は見たんですか? 身元の手掛かりが入っているかも」
「もちろん確認した。しかしこれがまた妙でね」
「妙……? 持ち主が消えたことよりもおかしなことが?」
「遺物だよ」
警部の唇が重々しく紡いだその言葉に、みすずは思わず目を細めた。
異界ではときどき妙なものが見つかる。見た目はふたつとして同じでは無く、形状も素材も千差万別だが、ひとつだけ共通点があるのだ。
それは人に力をもたらすこと。
現代の科学で説明できない技術で作られた物体には、それを遺した異界人の意志が今もなお焼き付いている。
その熱が奇跡を生み、人に力を与えるのだ。
「異界が観測されてからおよそ十年。遺物絡みの事件は増えるばかりだね。まったく嫌になる」
警部の毒づきで我に返ったみすずは、甘苦いカプチーノを一口啜って言った。
「なるほど。だから私を巻き込んだんですね」
「巻き込んだなんて人聞きが悪いな。君も乗り気だったじゃないか」
なぁ?とマスターに頷きかける警部に、みすずは言う。
「まぁいいですけど。遺物に興味があるのは事実ですし」
「そう言ってくれると思ったよ。探偵さん」
「もういいでしょう。そろそろ現物を見せてくださいよ」
「わかった。……でも慎重に頼むよ。明日の新聞の一面が『喫茶店で三人の死体が発見された』なんてことにならないようにね」
そう言った警部のしなやかな指が、ジェラルミンケースの蓋をゆっくり開いた。
最初に目に入ったのは鈍色の立方体だった。
重量感のあるそれが、敷き詰められた黒い緩衝材の溝に埋まっている。
金属質の表面は虹色の光沢を纏っており、その滑らかな表面には文字のような模様が彫り込まれていた。
みすずは無骨なジェラルミンケースの中に鎮座する遺物をまじまじと見つめたまま警部に質問した。
「インターフェイスの類は?」
「ボタン、スイッチ、ディスプレイの類は無かったよ。当然、操作方法もわかっていない。でもね――」
そこで警部は言葉を溜めると、どこか不安の滲む声で言った。
「生身で触れると光るんだ。刻まれた文字が」
「触ったんですか!? 私に『慎重に』とか言っておいて」
「いやいや、私じゃないよ! マスターからそう聞いただけさ。そんな怖いこと私がやるわけないだろう」
警部は首をぶんぶん左右に振りながら言い訳した。
慌てる警部とは反対に、マスターは不思議そうに首を傾げる。
「なにか不味かったでしょうか? 本当に光っただけでしたが……」
「いえ、なにもないなら良いんです。でも大抵、こういう操作方法がわからない遺物は生物との接触がきっかけで起動するので」
というみすずの説明を聞くやいなや、マスターはカウンターの向こう側で後退った。
「大丈夫だよマスター。体に異常は無いんだろう? 過去の事例では触ったとたん記憶障害が起きたり、衝撃波出して辺りをめちゃくちゃにしたモノもあったんだから」
「そ、そんなことが……本当に?」
「事実です。たしかに市場に流れるモノは比較的安全なヤツだけですが、本当に危険なのは発見者もろとも惨事に巻き込まれて壊れてしまうのです。そして誰にも知られることなく忘れ去られる」
寂しげな表情で呟いたみすずはしかし、すぐにあっけらかんと続けた。
「でも光るだけなら問題ないですよね」
そして躊躇なく素手で遺物をケースから抜き取り、目線の高さに掲げ持った。
「綺麗……!」
それはまるで、極小のオーロラだった。
みすずの指を起点として、波打つように模様が光る。しかし光るだけで音も出さなければ震えもしない。
その様子を横から見ていた警部が慌てて言った。
「おいおい! どんな効果があるかわからないんだから、本当に気を付けてくれよ!?」
「これは鉄でしょうか。それとも何かの合金?」
警部は呆れて言う。
「……さあ? 詳しいことは成分分析にかけてみないとなんとも。いっそカチ割って中を見てみようか」
「そんなもったいない」
虹色の光に魅入られたみすずは恍惚とした顔で抗議の声を挙げた。マスターも同調する。
「そうですよ。お客さまの物を壊すなどいけません。せめて持ち主を見つけてからでないと」
それもそうだと頷く一同。
みすずはようやく視線を遺物から逸らし、警部に訊ねた。
「……ところで警部。この模様にはなにか意味があるのでしょうか。遺物にはときどき似たものが描かれてますが」
「ああ、ウチの解読班が言うところじゃ、ある種の言語なのは間違いないそうだよ。無論、誰も解読できていないけどね」
「つまり今は文鎮替わりにしかならないと」
みすずはまったく困っているようには見えない平然とした口調で言うと、カプチーノとレモンクッキーを順に口に運んだ。
その様子を見ていた警部が苦笑交じりに口を開いた。
「やっぱりこれを調べても埒が明かないな。持ち主の足取りを追う方が確実かも」
「ですねぇ。消えた男がどこから来て、どこへ行ったのか。それがわかれば遺物の入手経路もわかるかもしれませんし」
みすずは手に持っていた遺物をケースに収め、マスターを見た。
「そのお客さんがどの方向から来たか覚えていますか?」
「ええ、それなら珍しかったのでよく覚えています」
そう言って店主は窓ガラスの向こうに見える道路の右側を指さして続けた。
「あちらから歩いて来ました」
「珍しい?」
みすずの質問にマスターは頷く。
「多くのお客さまはすぐそこの境界を超えて来店されるんですよ。あなたもそうだったでしょう?」
自分が店に来たときの経路を思い出しつつ、みすずは頷いた。
「そういえば……。この異界に辿り着く人はみんな左からやってくる。しかしその男は右から来た。つまり、私とは違うルートで異界に入った……?」
「向こうには何があるんだ?」
「ここいらと変わりませんよ。延々と廃墟があるだけです」
マスターはそう言ってカウンターを出て出入り口へ歩いて行った。みすずと警部も後に続く。
しかし、ドアノブに手をかけたマスターは首を傾げた。
「おや?」
「どうした?」
「開かない」
マスターはドアを引き開けようと力を込めるものの、微動だにしなかった。
「なに? ……鍵は閉まってないよな」
ドアの内鍵をいじりつつ、警部が己で確認するように呟いた。
鍵は空いてる。しかし接着されたかの如く動かない。
「そもそも私が来た後に誰もドアに近づいてないんですから、鍵は間違いなく開いてるはずでしょう」
「じゃあ、ドアに何かつっかえているとか?」
三人同時にドアの周囲を見た。みすずが代表して口を開く。
「なにもありませんね」
「外から引っ張られているんじゃないか?」
警部はそう言って窓ガラスに駆け寄った。頬をガラスに近づけてドアの反対側を覗き込む。
「ううむ。仕掛けらしいものは見当たらないな」
「大丈夫。誰かそのうち来ますよ。その人に開けてもらえば」
「いや……助けは期待できないぞ」
みすずの言葉を遮って、窓の外を見ていた警部が震えた声を上げる。
「なぜです?」
みすずとマスターは顔を見合わせた。いくら閑散としていても一時間もすれば誰かくるはず。そう考えたが故の疑問は警部の答えによって粉砕された。
「止まってるんだよ。全部」
「止まってる?」
鸚鵡返しに呟いたみすずは、警部と同じように覗き込んだ窓の先に、その光景を見た。
風に揺れる葉も、空を飛ぶ鳥も、道を行き交う人々も、全て止まっていた。
外の時間が止まっていたのだ。




