見られていた側
ガラス越しに、目が合っていた。
美月は微笑んでいる。
逃げ場がないと、はっきり分かった。
スマホが震える。
もう一度、同じメッセージ。
『今、どこにいますか?』
指が動かない。
既読もつけられない。
息が浅くなる。
(どうする……)
このまま立っていたら、外に出てくるかもしれない。
そう思った瞬間、体が勝手に動いた。
店の前から離れる。
早足で、角を曲がる。
それでも、背中に視線を感じる気がした。
(追ってきてる?)
振り返る勇気はなかった。
ただ、歩く。
心臓の音がうるさい。
やっと人通りの多い通りに出たとき、少しだけ息ができた。
足を止める。
スマホを見る。
新しい通知は来ていない。
それなのに、落ち着かない。
(なんで分かったの)
見つかった理由が分からない。
店の中からは、普通は気づかないはずだった。
思考がまとまらないまま、家に帰った。
玄関のドアを閉めた瞬間、全身の力が抜ける。
その場に座り込んだ。
手の震えが止まらない。
スマホを開く。
撮った写真を確認する。
何枚もある。
どれも、はっきり写っている。
健太と美月。
同じ時間、同じ場所。
言い逃れできない距離。
(これが……証拠)
初めて、はっきりと実感した。
ただの疑いじゃない。
現実だと。
そのとき、玄関の鍵が回る音がした。
体が固まる。
時計を見る。
早すぎる。
健太のはずがない。
ゆっくりと立ち上がる。
ドアが開く。
「ただいま」
健太だった。
心臓が一気に跳ねる。
さっきまで一緒にいたはずなのに。
何もなかったかのような顔で入ってくる。
「……早いね」
声が少しだけ震えた。
「今日は早く終わった」
靴を脱ぎながら、いつも通りに答える。
(嘘)
頭の中で、はっきりと言葉になる。
「ご飯ある?」
普通の会話。
何も知らないみたいに。
「……あるよ」
キッチンに立つ。
背中を向けたまま、必死に呼吸を整える。
(今、言う?)
問い詰めることもできる。
写真もある。
でも。
(まだダメ)
さっきの言葉がよぎる。
証拠を残す。
一人で戦わない。
ここで感情的になったら、全部崩れる。
「どうした?」
後ろから声がする。
「何でもない」
振り返らずに答える。
そのまま食事を出した。
テーブルに向かい合って座る。
健太は何も変わらない。
普通に食べて、普通に話す。
その“普通”が、逆に気持ち悪かった。
「今日、園どうだった?」
何気ない質問。
「……普通」
短く答える。
それ以上、話したくなかった。
沈黙が続く。
そのとき、健太のスマホが光った。
一瞬、画面が見える。
美月の名前。
心臓が止まりそうになる。
健太はすぐにスマホを裏返した。
「仕事の連絡」
そう言って、何もなかったように続ける。
(今の……)
間違いじゃない。
確かに見えた。
食事の味が分からなくなる。
それでも、何も言わなかった。
言えなかった。
夜。
健太が風呂に入っている間、スマホを開く。
例の番号にメッセージを送る。
『証拠が取れました』
送信。
すぐに既読がつく。
少しして、返信が来た。
『よかったです』
短い一文。
『でも、気をつけてください』
続けて送られてくる。
『あの人は気づいてます』
指が止まる。
(やっぱり……)
さっきの視線が、よみがえる。
『すぐには動かないでください』
『今は、集める段階です』
冷静な言葉。
それが逆に現実を強くする。
『あと』
『あなたの家、見られているかもしれません』
背筋が凍った。
ゆっくりと顔を上げる。
リビングの窓。
カーテンの隙間。
外は暗い。
でも、何かがいる気がした。
慌ててカーテンを閉める。
手が震える。
(どこまで……)
ただのママ友じゃない。
もう、そのレベルじゃない。
静かに、でも確実に。
囲まれている。
その実感だけが、はっきりと残った。




